第5章

第26話

「ひさしぶりだね」

 次の日。俺は店長と会うためライブハウスを訪れていた。その場にリオさんの姿はない。俺が彼女の来ない時間を指定したからだ。

「頭は冷えたかなー? あの時は話し合いもクソもなかったからね」

「それは、まぁ……すみません」

 モップがけをしながら、彼は軽口をたたく。とはいえ、心配してくれていたんだろう。いつもよりその動作にキレがない。なんで煽り口調なのかはツッコみたくなったが、今はそれを言える立場じゃないだろう。営業時間外とはいえ、店長に迷惑をかけたのは事実だし。

「で、今日はどうしたの。わざわざリオがいない時間まで指定して」

「そのことなんですけど、お願いがありまして……」

「お、タカちのお願いなら大抵は聞いてあげるよ」

 そう言いながら彼は誇張気味に胸を張る。そこはなんでもと言ってほしかったけど、このゆるさが彼の良さだ。

「リオさんをスカウトした会社の人と連絡取れたりしませんか?」

「まぁ、連絡先は交換してるけど……どしたの急に」

 キョトンとした顔で問いかける店長に、俺は本題を切り出す。

「俺が直接会ってお願いしてきます。彼女のデビューについて」

「なるほどねぇ…………って、えぇ!?」

 漫画のようなリアクションを取りながら、店長の手が止まった。それと同時にモップが倒れる音が響く。

「全然頭冷えてないじゃん! むしろ熱気に満ち溢れてるじゃん!」

「別に無策で言ってるわけじゃないですよ……」

 とりあえず立ち話で済ませるような話じゃない。そう判断した店長によって、カウンターへと移動する。

「で、タカちの策ってのは?」

「まずですね。リオさんは俺を切り離したくない。けど、その会社でデビューすること自体には意欲的……ここまでは間違ってないですよね?」

「そうだね。合ってる」

「よかったです。で、俺を一緒に引き込みたくない理由って何だと思います?」

「そりゃ、無名で実績もない人間をスカウトしたくは……あ」

 そこで俺の言いたいことに気付いたのだろう。店長の言葉が止まる。それを確認して、俺は話を続ける。

「そういうことです。つまり俺も一緒にスカウトしたいって、向こうが思えばいいんですよ」

 俺としては名案のつもりだった。もちろん、簡単な条件だとは思わない。成功率は五割にも満たないだろう。けど現実的に考えて、互いの願いを叶えようとすればこれが正攻法であることには違いないのだ。

「でも、話を蹴ったのはリオだよ? 向こうさんに非はない。そこはどうするつもり?」

「あー……」

 言われてみればそうなのだ。けど、だからと言って諦めるわけにはいかない。これは彼女の未来がかかった話なのだ。

「な、なら俺がリオさんを説得します。今の提案なら、彼女が断る理由はないと思いますし」

「だとしても分の悪い賭けであることには変わらないよ。リオって、一度決めたらなかなか曲げないし……」

 それはそうだ。進んだ道を戻ってもう一つの道に進む。そんなことは、俺の知ってるリオさんなら絶対にしないだろう。だが。

「やらずに後悔するよりはいい……そう思うんです」

 店長の目をじっと見て俺は告げる。その言葉を聞いて、彼は目を真ん丸にした。

「……あはは!」

「ちょ、なんで笑うんですか!」

 俺としては決め台詞のつもりで言ったんだけどなぁ。これじゃ格好がつかない。

「いや、なんかそういうところ。リオに似てきたなぁって」

「あ……」

 彼女と公園で話した日を思い出す。夜の公園で二人っきり。俺が彼女と歩みを共にすると決めたあの日。あのときにリオさん、全く同じことを言ってたっけ。別に、それを意識したつもりはなかったけど。

 あの日を思い出し、思わず俺の口角も上がる。

「そういや俺、同じことをリオさんに言われたような気がします」

「そっかそっか……」

 笑いを静めながら店長が言う。ひとしきり笑いきると、彼はポケットからスマホを取り出した。

「出るかどうかはわからないけど、賭けてみる?」

「……ありがとうございます!」

 俺の返事を聞いて、彼は電話をかける。少しのやり取りがあった後、彼のスマホは俺の手へと渡された。

「……もしもし?」

『もしもし、こちらツカサ・ミュージックの小林と申します』

 小林と名乗る物腰の柔らかい男は、挨拶も早々に本題へと切り出す。

『先ほど古賀様よりお話を伺ったのですが、渡井リオ様の件ということでお間違いはなかったでしょうか』

「はい。彼女のデビューについて、もう一度考え直していただけないかと思いまして……」

 そう告げると、電話越しにマウスのクリック音が聞こえてきた。おそらく、会社におけるリオさんの状況について確認しているのだろう。

『渡井様本人の意志でデビューを辞退されているようですが、それについては把握していらっしゃいますでしょうか』

「それは……はい」

 淡々と事実を述べていく。そんな中でも、クリック音やタイピング音は鳴り続けていた。視覚のないやり取りに加えて、小林さんの手慣れた対応。油断していると、彼にペースを握られてしまいそうで怖い。

「彼女にはもう一度こちらで説得を試みますので、その間待ってはいただけないでしょうか? 次に出す曲も決まっているんです。それを聴いてみてからでも、遅くはないんじゃないでしょうか」

『説得に新曲……上のものに確認してまいりますので少々お待ちください』

 少し考えたのち、保留音声に切り替わった。何を見ていたのかは知らないが、リオさんの情報を見て手放すわけにはいかないと思ったのだろう。とりあえずは一歩前進だ。上層部にうまく伝えてくれればいいが……。

「どう? 順調そう?」

 俺が話さなくなったことを見て察したのだろう。口を出してこなかった店長が小声で問いかける。なんだかんだ、彼もデビューの話を蹴ることに対して思うところがあったのだろう。

「今、上の人間に聞いてきますって……」

「あとは上司さん次第ってわけね。ここで社長が出てきてくれるといいのだけど……まぁ、そんなにも甘くないか」

 そういえば社長はリオさんのデビューに好意的だったんだよな。店長の言う通り、何かの偶然で社長が居合わせてくれればいいのだけれど。

『もしもし、お待たせいたしました。こちら担当の田中です』

 程なくして、保留音声が切り替わる。今度は、田中という女性の声だ。

『渡井様の件ですが、こちらとしても手放しがたい逸材であったのは確かです。ご本人の意思が前向きであるのなら、再度契約に際しての面談を行いたいのですが……』

「本当ですか! それじゃ……」

『ただ、ですね』

 これまで柔和な声で話していた田中さんの雰囲気が変わる。それは社会人としての毅然とした声。

『弊社といたしましても、こうした事態は極めて異例でして……他のアーティストさんの手前、無条件で迎え入れることは避けたいと考えております』

「……というと?」

『こういう条件はどうでしょうか。先ほど小林に話しておりました新曲を使用してライブを開催。その公演でチケットを全て売り切ることができた後、デビューの方向で話を進めさせていただきます』

 チケットを全て売る。それがどれほど過酷なものか俺は知らない。ただ、この前見た信也さんのライブ。あそこのハコでさえも、かなりの人数を収容できるだろう。会場にもよるが、俺の想像するものよりも遥かに難易度の高い条件であると思う。

『確認なのですが……渡井様以外にメンバーの方は?』

「俺です。作詞担当ではありますが、彼女自身も認めています。他は臨時でのメンバーになるかと……」

 自分で言っていて頬が熱くなる。言葉にするのはまだ慣れないが、俺が認めないとここに来た意味がない。もう、否定するだけの自分ではないのだ。

『かしこまりました。では、そちらの件も同公演で精査させていただきます。会場は改めてこちらからご連絡いたします。その際、古賀様の連絡先に送信してもよろしいでしょうか?』

「すみません、確認します」

 田中さんの了承を得た後、慌てて保留音に切り替える。

「あの、詳細を店長の連絡先に送りたいそうなんですけど……」

「オッケー! 金が絡まなきゃ、全部オッケー出してくれていいから」

 無責任なように聞こえるが、こうして背中を任せることができるのは本当に頼もしい。どれだけ適当に見えても、そこは店長だということを改めて実感する。

「お待たせしました。確認取れましたので、古賀のほうへお願いいたします」

『かしこまりました。それでは、詳細決まり次第すぐに送らせていただきますので……』

 そうして挨拶を述べた後、通話は終了した。ほんの数分の出来事であったというのに、ドッと疲れが降ってくる。これがプロとの会話というものなのだろうか。

「なんとなく察したけど……どうだった?」

「条件付きですけど、まだ可能性は残せました」

「おぉ、大手柄じゃん! んで、その条件ってのは?」

「次のライブで新曲を披露すること。あとチケット完売。この二つですね。場所とかは向こうが送ってくるみたいです」

「……タカち。それ、カモられちゃったかも」

 店長の表情が一気に険しくなる。怒っているというよりかは、何かを真剣に考えているといった感じだけど。

「どれだけのキャパで指定してくるかわからない以上、向こうの言いなりになるしかないってことだよね」

「まぁ、そうですね……」

「想定してたよりもだいぶ厳しい戦いになるけど……大丈夫?」

「大丈夫です。むしろかかってこいって感じですよ」

 その返事を迷うことはなかった。こちとらチャンスがもらえるってだけで最高に好都合なんだ。ライブハウスでもドームでもなんでもかかってこい。

「よーし、その返事だけで十分だ!」

 そう言って、店長はいつも通りの晴れやかな顔になる。厳しいことを言ったのは、俺の覚悟を確かめるためってことだろうか。

「とにかく、今は俺たちでできることをしておこう」

「はい!」

 そう、今は余計なことを考えている暇なんてない。まだ首の皮一枚つながったところだ。俺たちでできること。

 まずは……。

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