第40話

「よっ、悪いな。こんな時間に」

 そう話す彼女は、Tシャツ一枚の軽装で一人佇んでいた。いつものジャケットがないだけで、なんだか印象がかなり変わる。スラっとした体のラインがより際立っていて、その姿に少しだけドキッとさせられた。

「いえ……眠れなかったんでちょうどよかったです。あ、それから……」

「ほい」

「おっと」

 投げられたものを慌てて受け取る。それは少しぬるくなった缶コーヒーだった。

「夜中にコーヒーはまずかったか?」

「ぷっ、あっはは……」

「おいなんだよ。何がおかしいんだよ」

 なんだ、彼女も同じことを考えていたのか。受け取ったものを見て、思わず笑ってしまう。

「いや、そうじゃないんですよ」

 笑いをこらえながら、俺はポケットに入れたコーヒーを差し出す。理由を察したリオさんは、目を丸くしながらも俺と同じように笑い始めた。

「なんだよ。考えることは同じかよ」

「らしいですね」

 必要ないはずなのに、彼女は俺の買ってきたものを喜んで受け取ってくれた。自分用に買ったであろうコーヒーを一気に飲み干すと、リオさんはまだ冷たい缶の栓を開ける。彼女の後を追うように、俺もプルタブに手をかけ封を開けた。一口飲むと、缶コーヒー特有の鉄が少し混じった味がする。

「ほら、突っ立ってないでこっち来いよ」

「は、はい」

 彼女に促され、俺は彼女の隣に立つ。後ろにある鉄棒に身をゆだね、俺はコーヒーを再び口に含む。

「いよいよ明日だな」

「そうですね……もしかして、リオさんも眠れなかったんですか?」

「ま、そんなとこ」

 夜のしんとした空気が合わさって、とても心地よい。こうしていると、なんだか自分が少しだけ大人になったような気がした。

「いろいろあったけど、何とかなったな」

「ホントですよ……正直生きてる心地がしませんでした」

「はは、そりゃそうか。タカは学校のこともあったしな」

 少し大げさにリオさんが笑う。細まった視線は、高く遠い夜空に向けられていた。その姿は、何もしていないのにとても絵になる。

「にしても、アタシたち。ホントあのときと変わらないな」

「周りはだいぶ賑やかにはなりましたけどね」

「違いない」

 自分でそう言ったものの、変わったものはいくらでもある。自分の考え方、周りとの人間関係……。リオさんだってそうだ。あの頃はなんだか大人びた、絶対的な一つ星のように見えていた。けれど、今は違う。笑ったり怒ったり、優しく諭してくれたり……向き合うたびにいろんな表情を見せてくれる。ロックをしているだけの、ただ一人の女の子なのだ。

「……こんなことを聞くのはアタシらしくないけどさ」

 視線を落とし、リオさんが話す。さっきまでとは違い、妙にしおらしい。

「アタシについてきて、後悔してないか?」

 本当に意外だった。彼女からそんな言葉が出てくるとは。答えなんて決まりきっていたが、驚きで返事が遅れてしまう。

「してるわけないじゃないですか。俺はリオさんのおかげでまた走り出せたんですから」

「……そっか」

 ぽつりと呟いた彼女の優しい笑顔に、答えが詰まっているような気がした。彼女もずっと不安を抱えていたんだ。俺に見えないように。多分誰にも打ち明けていない思い。それを知れたような気がして、俺もなんだか頬が緩んだ。

「よっし、そろそろ帰るか」

「ですね」

 俺たちは並んでゆっくりと歩き出す。出口まで差しかかったとき、彼女は拳を俺に向かって出す。それに応じるように、拳を突き合せた。

「今日はありがとうな。お互いに頑張ろうぜ」

「はい!」

二人占めの夜が終わっていく。明日への英気を養い、俺は帰路へと就くのだった。

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