第35話
「おはようございまーす」
扉を開けると、そこはすでにライブ会場と化していた。まぁ、観客はいないからどっちかというとスタジオみたいになってるけど。リオさんが作曲した音楽の音合わせだ。すでにかなりの回数合わせているのだろう。息の合った演奏に、思わず聞き入りそうになってしまう。最後まで聞きたい欲望を抑えて、俺はゆっくりとカウンターへ歩を進める。
「おっす! 悪いね、早くに呼び出して」
俺に気付いた信也さんが、演奏を止め駆け寄ってくる。かなりの曲数を弾いたのだろう。さわやかな表情の隙間から汗が流れていた。
「いえ……俺もちょうど見てほしかったですから」
「と、いうことは……?」
「あぁ、いえ。まだ完成はしてないんですけど……結構大詰めまで来たんで」
それを聞いた信也さんが、リオさんたちのほうへと振り返る。彼女たちは演奏を続けていたが、その視線で何かを察したのだろう。二人とも演奏を止めて俺へと集まってきた。
「ラスト以外は決まりました……」
「ありがと」
リオさんに歌詞をプリントアウトした紙を渡す。それをトレイルロードの面々は顔を引っ付けて読み始めた。
誰かに作品を見せるのなんていつ以来だろう。途中経過は店長たちの力も借りたから、まったく見せなかったというわけではない。けれど、こうして評価をもらうこと自体は去年の審査会ぶりじゃないだろうか。胸がざわつき始める。あの頃とは、自分も相手も違うということを頭では理解しているはずなのに、心が言うことを聞かない。この沈黙が、永遠のように感じられる。
「……うん、いいね」
ポツリと、呟くように声がする。最初に口を開いたのはリオさんだった。
「アタシは所々見てたから、特に重要な指摘とかはないかな。細かいところで調整する部分はあるけど」
「俺も同意見だ。フジタカ君らしい良い歌詞だと思うよ」
リオさんの反応に続くように、信也さんが話す。最後に残ったのはまつりさんだが……。
「んーと、この二番のサビ終わり。『滲む光の向こうに答えを探す』の部分。語感を考えたら変えたほうがよさそうじゃない?」
「あ、そこ俺も気になってたんです。だけど替えの言葉が思い浮かばなくて……」
初めての指摘は彼女からだった。ちょうど俺も迷っていたところだ。短い言葉を連ねたような歌詞に突如として現れる一文は、まつりさんの言う通り語感が悪い。リズム重視のような曲調だっただけに、歌うときに引っかかるだろう。修正事項の最優先ともいえる。
「それなら、削ぎ落したらどうだ? まぁ、どう伝えたいかってのも重要だとは思うけど」
「いや、ここは変えないで印象付けるところでしょ。ここから転調してCからラスサビにもってけば……」
議論は加速し始める。打ち合わせを始めて十分も経っていないだろうというのに、この集中力はすごい。音楽だけでこの人たちの実力を見てきたが、こういう切り替えの早さも彼らの積み上げてきた実力というものなのだろう。
「で、タカはどう?」
「え、あぁ……すみません。ついていけませんでした……」
「結局言葉を削るかどうかって話。このまま持ってくならCメロ以降に一ひねり必要だし、削ったり変更するならストレートな流れでも大丈夫だろうし」
「そうですね……変更はしたいですけど、音合わせとかはスケジュール的に大丈夫ですか?」
「それは心配ないよ。ライブまではこっちに集中できるよう調整してる」
「私もー」
となると、変更する方向で動いてもらったほうがいいだろう。予防線は貼っておくべきかもしれないが。
「すみません……水曜までには提出するんで」
「いいよ、そんな焦らなくって。音自体はできてるんだしさ」
「そうそう。集客もバッチシ、音合わせも俺らなら余裕って感じだし」
二人が優しい声でそう言った。信也さんたちが言うことは全て本当なのだろう。だからこそ、俺もそこへ追いつけるようにもっと磨かなきゃいけない。
彼らの言葉にうなづくと、今日の打ち合わせはお開きとなる。その後、彼らは音合わせとなるのだが。
「フジタカ君さ、帰る前にちょっと聴いてってくれよ」
「え、いいんですか?」
思わぬ提案に声が裏返る。音源としてもらったデータは聞きこんでいたけど、生で観るのはこれが初めてだ。
「いいんですか? じゃないでしょ。作詞担当が曲を聴いちゃいけないなんてルールないんだし」
「それはそうですけど……」
「それにさ、直接聴いたほうがアイデアも沸くんじゃない?」
まつりさんが言うことは一理ある。データで聴くのと、生で聴くのは歴然の差があるし。耳以外でも感じることができる分、受ける恩恵というものも大きいだろう。
「んじゃ、ちょっと待ってな。すぐに聴かせてあげるからさ」
そう言ってリオさんがギターを抱える。三人が視線を交わしあってうなづくと、スティックを三度叩き演奏が始まった。
「すげえ……」
始まってほんの数秒。そのわずかな時間で世界が塗り替わる感覚。
リオさんの演奏はこれまでにも何度も聴いてきたはずだ。けど、そのどれよりも美しい。稲妻のように駆け巡る音の波は、荒々しくもまっすぐに俺の鼓膜を、心を突き抜ける。
それに競り合うような信也さんのベースも見事というほかなかった。リオさんの演奏を支えるだけには留まらない。抜けるよう低音が主張を繰り返してくる。調和を取りながらも、自身を魅せつけることを欠かさない。この技巧を身に着けるためにどれだけの練習を積み重ねてきたのだろう。俺には到底想像もできない。その音色は、ジリジリと照り付ける太陽のようだった。お得意の動き回るパフォーマンスも健在である。
まつりさんの演奏は、吹きすさぶ嵐のように豪快だ。だが、それが乱雑なものというわけではない。嵐を起こしているスティックは、穏やかな川の流れのように滑らかな挙動を繰り返している。その中心にいる彼女は、汗をダラダラと流しながらも笑っていた。
とても一人で奏でているとは思えない音の情報量に圧倒されてしまう。それはドラムという楽器が複数の音を鳴らすものだから……なんてことじゃない。一つ一つの音が、至近距離で聞いているかのように身体全体に伝わってくるからだ。
個としての主張が激しいリオさん達の演奏に、全く引けを取っていない。むしろ、これが本来の力だと言わんばかりの親和性。三つの轟音が合わさることで、一つの生き物のような音楽が聴く人を魅了していく。トレイルロードというバンドがどれだけ練り上げられたものであったのか。それを見せつけられているようだった。
「ふぅ……どうだった?」
「最っっっ高でした……」
「あはは、それならよかった!」
今日挙げられた修正事項も考慮すると、残りは三割。とは言え、ラスサビは一番のサビを重ねる構成にしたいから、本当の作業はこの二番のサビとCメロだけだ。
だけど、こんなすごいものを見せられてしまってはこっちも負けていられない。
「すみません、今日は俺帰ります」
「うん、頑張れー」
店長の気の抜けた声援に見送られ、俺はライブハウスを後にするのだった。
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