第23話

「はい一名様ごあんなーい!」

 陽気な声に押され、俺はライブハウスの中へと入る。普段通っているハコとは違う場所。同じライブハウスだというのに、なんだか全く違う世界へと足を踏み入れたような気がした。

「んじゃ、俺は準備あるから!」

「え、ちょ……俺こっからどうすれば」

「あれ、もしかして現地は初めてだった?」

「えぇ、まぁ……」

 正確には営業時間に来るのが初めてなのだが、言っても事態をややこしくするだけだろう。

 俺の言葉を聞くと、信也さんは顎に手を当てる。典型的な考えるポーズ……なのだが、それがわざとらしくてあまり深く考えていそうにない。

「よし、それじゃパパっとレクチャーしてあげよう」

 そう言って彼は俺の手を引く。すでに他のアーティストがライブを盛り上げているのだろう。中から漏れる演奏と歓声を背に、俺は目の前のカウンターへと足を運ぶ。

「さっき入口でドリンクコインもらったでしょ?」

「あぁ、これのことですか?」

 そういえば、とポケットにしまっていたコインを取り出す。入場するときにいくらか支払ってもらったものだ。用途がわからなかったからしまってたけど、ドリンクコインっていうのか。

「これをカウンターに渡して、ドリンクをもらう。あとは、そのまま会場に入ってくれればいいから」

「はぁ、わかりました」

「よし、それじゃ今度こそ俺は行くから! 楽しんでねー」

 軽い口調で話すと、そのまま駆け足で信也さんは消えてしまった。とはいえ、これ以上のトラブルなんて滅多にないだろう。パパっととは言っていたけど、案外丁寧に教えてくれたのだなと感心する。

 にしても初めてのライブに来るのがこんな形とは……。完全に予想外だ。心の準備をする暇さえくれなかったなぁあの人。

「あ、あの……」

「え? あぁ、はい」

 いかにもやる気のなさそうな店員さんが俺を一瞥する。いやなんなんだこの人は。あまりにも怖くないか? ちょっと委縮してしまう。

「ど、ドリンクをもらいたいんですけど」

「あぁ、どうぞ」

 どうぞ、と言われてもどう選んだらいいのかわからないんだが?

 クソ、こんなことなら無理にでも信也さんを引き留めておくべきだった。

「えっと、メニューってどれですかね?」

「あぁ、お客さん初めて?」

「はい、そうです」

「ん」

 乱雑にメニューらしきものを渡される。もうこの時点でビビりまくっていた。店長たちの人がいいから油断していたが、ライブハウスってのは全てが全てそうじゃないよな。むしろこういう対応の場所が多いんじゃないだろうか。

 とりあえずここで待っていても、店員さんの機嫌を損ねてしまうだけだろう。適当なものでいいから、早くこの場を立ち去らねば。

「えっと、コーラで」

「……はい」

 手際よく入れられたコーラを受け取る。愛想が少し悪いだけで、動作はかなり手馴れているように見えた。

「あ、ありがとうございます!」

 ドリンクをもらい、そそくさとカウンターを後にする。後ろで店員さんが何か言いかけていた気もしたが、関係なかった。あまりにも怖すぎる。

 で、肝心の座席だが……一階スタンディングってなんだ? とりあえず向かってはいるものの、着いてからの行動が一切わからない。ここら辺はスタッフの人に聞かなきゃいけないんだろうけど、これも含めて教えてほしかった。数分前の感心を返してほしい。

 さまよいながらも、なんとか入場口までたどり着く。扉の前で立つスタッフにチケットを見せながら俺は抱えていた疑問をぶつける。

「あの、スタンディングってどういうことですか?」

「……あぁ、初めての方ですかね。指定席がないのでお好きな場所でご覧いただけるものになってます」

「ありがとうございます」

 怪訝な顔をされてしまった。やっぱり、ライブハウスに来る人にとっては常識みたいなものなのだろう。初めて来る人だって、慣れた友達と一緒に来る、なんてケースがほとんどだろうし。こんな質問も、もしかしたら初めてされたのかもしれない。

 そうして、ようやく入ったライブ会場はまさに灼熱の舞台だった。会場全体が一つの生き物のようにうねる熱気に包まれている。今まさに歓声をあげる観客たちが作り上げたものなのだろう。そして、その熱を一つにまとめているのは舞台上の奏者たち。こんな風に理解しようとしているが、彼らとの境界線がわからなくなるくらいの一体感がここにはあった。

「うわ……」

 思わず声が漏れる。だが、狂乱の舞台でそんな一言はかき消されてしまう。いろいろな感情が渦巻いてくるが、ただ一つだけハッキリしているのは「圧倒的」。その一言に尽きた。映像で見ていただけじゃ。ストリートで演奏を聴いているだけじゃ。開演前の、俺だけのステージを見ているだけじゃ一生味わうことができなかったものだろう。

「ありがとうございましたー!」

 どうやらちょうど演奏が終わったらしい。どうにかステージが見える位置に移動したときには、すでにそのバンドの姿はなかった。

 そして会場が暗転する。うっすらと人の影が見えて、彼らはチューニングを始めた。跳ねるような弦楽器の音が消えると、会場は束の間の静寂に包まれた。

「アンカーいっくぞぉー!」

 そして。アーティストの叫び声とともに、会場を大きな熱気が支配する。さっきのバンドもすごかったが、今この瞬間の爆発力はそれ以上だった。会場が震えている。それは決して錯覚なんかじゃない。手に持ったコーラも、嵐の海みたく荒立っていたからだ。

 リオさんがあの舞台に立っていたら、どっちが勝つのだろうか。不意にでた思考にハッとさせられる。ダメだ。今は目の前の演奏に集中しないと。アーティストに失礼というものである。

 改めて演奏と向き合う。俺は別に音楽の知識があるわけじゃないから、そこまで深いことなど理解できない。だけど、この演奏がプロレベルだということはいやでもわかる。なんていうか……音が駆け回っているんだ。それは自由でありながら、無法なわけじゃない。正確に耳へ、心へと突き抜けていく。まるで自由な踊り子のような演奏。

 だけど、すごいのは演奏だけじゃない。演奏中だというのに、あちらこちらとステージ上を駆け回る人間が一人。彼のパフォーマンスがあるからこそ、会場の盛り上がりは最高潮にまで達しているのだろう。演奏するだけでも相当な技術を要しそうな曲なのに、それを涼しい顔で行いながら跳ね回っている。天才といえる人がいるのだとしたら、まさに彼のような人間のことを指すのだろう。そして、そんな前代未聞のパフォーマンスをしている人物こそがさっきまで俺の隣に立っていた青年。

「アストロルーティンでーす! 今日は楽しみましょう!」


田口信也だった。

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