第22話

夕方のライブハウス。

営業時間外の室内は店長が忙しなく動いていること以外はゆったりとした時間が流れていた。

 自分の最も落ち着く場所で、アタシの心は虚無に支配されていた。

「はぁ……」

 殴った手がまだ落ち着かない。とっさのことだったとはいえ、この手でタカを傷つけてしまったのは事実だ。後ろ髪を引かれるような気持ちが拭えない。

 ギターを触っていても、そのことばかりを考えてしまう。

「そんな落ち込んでもさぁ……タカちに隠そうとしたことは正解だったと思うよ?」

 作業を終えたのだろう。一息ついた店長がこっちにやってくる。

「バラした本人がよく言う」

「う……それを言われちゃ返す言葉が」

 珍しく本気で落ち込んでいる店長を横目に見ながら、アタシは持ち帰っていた契約書を今一度見る。正直破り捨てようかとも考えていたが、実行していなくてよかったのかもしれない。

「なぁ、店長」

「ん?」

「アタシってさ……タカの言う通り、デビューしたほうが幸せなのかな」

 すぐに返事は来ない。彼なりの配慮なのか、本当に言葉を見つけていないだけなのか。アタシが知るわけもないけど、こういうときはスパッと言ってくれたほうが助かるんだけどな。

「それはさ、リオが一番よくわかってるんじゃないの?」

「そうだけどさ……」

 まぁ、そりゃそうか。よくわかってて、自分がそうだと信じたからタカを選んだ。その結果がこれなんだ。アタシが納得してやらないと、タカが余計な責任を感じてしまう。

「なんかリオも変わったよねぇ」

「え、そう?」

「うん、だってさ。まつりちゃんとシンにはそんなこと、微塵も思わなかったんでしょ?」

「……昔の人間の話はないでしょ」

「あはは……でも、ホントでしょ?」

「それは……まぁ」

 まつりとシン。元いたバンドのメンバー。解散したのは……ちょうど去年の今頃だっけか。懐かしい響きだ。

 デビューの話を受けたっきり連絡の一つも取ってない。興味もなかったから調べたこともなかったけど今どうしてるんだろう。

「タカちのこと、諦める気はないんでしょ?」

「それはもちろん。まぁ、時間はかかると思うけどね」

 そう呟いたときだった。営業開始前のライブハウスに客人が訪れる。

 とっさに振り返ったが、そこにいたのはタカじゃなかった。

「君は……」

「こ、こんにちは」

 けれどその姿には見覚えがあった。

「確か、タカの……」

「タカ? あぁ、孝明君か。そうです! 彼の友人です」

「茉奈ちゃんだったよね? ほら、座ってよ!」

 店長がアタシの隣の席へと案内する。女のアタシから見ても可愛らしい顔立ちをしてる。小動物……みたいな? よく知らないけど、学校じゃ友達多そうな印象だ。

「この前はごめんね。ちょっとゴタついててさ」

「いえ……」

 含みのある言い方。おそらくタカから状況は聞いてるんだろう。じゃなきゃ実質的なファーストコンタクトに一人で来ようとも思わないし。

「で、今日はどうしたの? タカ関連の何かでしょ?」

「え……なんでわかるんですか?」

「この子、観察力だけは人一倍だからねぇ……」

 うるさい茶々が入るが、説明する手間が省けたと思えばいい。

「えっと、茉奈ちゃん……だっけ?」

「あ、茉奈でいいです!」

「んじゃお言葉に甘えて。マナはさ、タカのことどう思ってんの?」

「ふぇ? 孝明君のこと……ですか?」

「そ、ここまで一人で来るくらいだし。何か思うところはあったんでしょ?」

 「ふぇ」なんて言う人間初めて見た。こんなシチュじゃなきゃ突っ込むとこなんだろうけど。

「私の数少ない友達なんです。だから、その……困ってたら放っておけなくて」

 しばらく考えていたようだけど、強く噛みしめるようにマナは言った。

「へぇ、意外。てっきり友達多いんだろうなって思ってた」

「それ、孝明君にも言われたんですけど……私ってそう見えます?」

「見えるよ。可愛いし」

 そう言うと、マナの顔が真っ赤に染め上がった。言葉という言葉も出ぬまま、ただ口をパクパクとさせている。

 にしても孝明君にも言われた……か。違う場所、違う場面のはずなのに同じ言葉が出てくるっていうのは、やっぱ価値観とかモノの見方が似ているってことなんだ。それなら、なおのこと彼を手放すわけにはいかない。意見を合わせることができる奴は多くても、考えが似通った人間なんて簡単に見つかるわけじゃないから。

「でも、いいね。そうやって仲間思いなとこ。気に入ったよ」

「え、あ、はい。ありがとうございます!」

 ようやく意識が戻ってきた彼女に手を差し出す。柔らかな手を握ると、彼女は満面の笑みを浮かべた。

「んじゃ、もっと聞かせてよ。タカのこととか、マナ自身のこと」

夕方、人気のないライブハウスに訪れた新たな常連。そんな彼女と先週果たせなかった出会いは、こうして始まるのだった。

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