第4話

午前一時。誰もいなくなった公園のベンチで、俺は一人地面とにらめっこをしていた。

 今日はやけに寝つきが悪い。心当たりは……なんとなくだがある。

「出席率……ね」

 もはや恒例ともなってきたリオさんとのやり取り。それが今日に限っていやに心へと刺さる。そりゃ、今まで全く気にしてこなかったわけじゃない。留年のことだって、智と話しているときにも何回だって話題になった。けど、それから目を逸らし続けていたのは自分だ。

 でもなんで今更そんなことが? 自分の気持ちだっていうのに理解ができない。

「あー……クソ」

 沸騰しそうな頭を意味もなくかきむしる。これまで何も考えてこなかったツケというものだろう。このままじゃ親にだって示しがつかない。

「ひゃっ!?」

首筋に走る冷たい感覚。慌てて振り返ると、缶コーヒーを手に持ったリオさんがいた。

「よっ、何してんの」

「いや、その……えーと」

「あなたに言われたことが気になって眠れなかった」なんて口が裂けても言えない。サボっていたのは事実だし、彼女に悪気があったわけでもない。これは自分自身で解決しなければいけない問題だ。

「散歩ですよ! 散歩。ちょっと眠れなくて……」

「ふーん」

 かなり苦し紛れではあった。だけど事実……ではある。一部だけど。

「奇遇だな、アタシも寝つけなくてさぁ。ほら」

「おっとと」

 手にした缶コーヒーをこちらに投げてくる。慌てて受け取ると、彼女は懐にしまっていたもう一缶の同じコーヒーの栓を開けた。

「飲めよ、アタシのおごりだ」

「はぁ、どうも……」

 演奏をしているときとは真逆の、優しげな表情で彼女は笑う。その笑顔は純粋で、だけど少し切なそうで……。多分慈愛って言葉が似合うんだと思う。いつの間にか断るという選択肢は自然と脳内から消えていた。

 まだ冷たい缶コーヒーの栓を開ける。カコッと情けない音を鳴らして開いたその先には、ほんのりと大人の匂いがした。

 コーヒーの香りが広がるとともに、俺たちは夜の静寂に包まれる。黒い液体を口に含むたびに、夏の面影はどこか遠い景色へと変わっていく。悩みなんて忘れて、この空間がずっと続けばいい。不思議とそんなことを思わせた。

「アタシが頑なにメンバーを作らない理由、知りたいか?」

「え?」

 そんな静寂を断ち切ったのは、リオさんの一言だった。

「まだ言ってなかったけどさ。ホントはストリート生活なんてとっくに抜け出せたんだよ」

「……というと?」

「スカウトだよ。よくあるだろ? ライブを観に来てて、その後直接……なんて話」

 初めて知るリオさんの過去。けれど驚きよりも先に納得している自分がいた。確かに彼女ほどの実力があるならスカウトが来ていたっておかしくはない。だが、それとメンバーの話にどう関係があるのだろうか。

「アタシはさ、正直乗り気じゃなかったんだよ。そのスカウト、妙にアタシたちを縛り付けようとしてきたから。なんか、それが性に合わなくってさ……」

 そう語るリオさんは、どこか寂しそうな表情をしていた。これ以上、自分が彼女に踏み入っていいのか。ここで話をさえぎってしまったほうがいいのではないか。そんなことを考えてみるものの、口から出すための言葉が見つからない。

「それで……どうなったんですか?」

 制止の代わりにこぼれ出たのは、そんな一言だった。

「簡単な話だよ。それでも他のヤツらはデビューしたがった。んで真っ向から対立したよ。そりゃそうだよな。目の前にチャンスが転がり込んできて自分から退くなんて真似、普通ならしねえよ」

 そりゃそうだ。俺だって、今作家としてデビューができるなら喜んで首を縦に振る。それをわざわざ断る理由なんてない。こればっかりは、リオさんの元メンバーに同意だ。

「じゃあ、リオさんはどうして音楽をやってるんですか?」

「そりゃ決まってる」

 手に持った缶コーヒーを一気に飲み干し、リオさんは立ち上がる。

「アタシがそうしたいと思ったからだ」

「それが報われない道だとしても……ですか?」

「当たり前だろ。報われるかどうかじゃねえ。自分が後悔しないかどうか。それがアタシの正解なんだ」

 そう言いながら、彼女はギラついた笑顔を見せた。

 あぁ、この人には敵わない。ふとそう思ってしまった。俺がなりたいもの。その理想形は、きっと彼女なのだろう。

「リオさんはすごいですね……俺にはとても真似できそうにないですよ」

「真似する必要なんかねえだろ。タカがやりたいようにすりゃ、それでいいんだ」

 彼女は心からそう言っているのだろう。気を遣うことのない言葉なだけに、嫌な気持ちにはならない。この嫌悪感は、一歩先に踏み出すことを躊躇う自分に対してのものだ。

「俺、わからくなったんです……。なんか、こう。夢に靄がかかったような感覚で」

「タカ……」

「自分がどうしたかったのか。なんでここにいるのか。漠然と作家になりたいなんて思ってたけど、どういうものが書きたいのか。そういう細かいことが、全部……いつの間にか見えなくなってたんです」

 心の奥で蓋をされていた思いが溢れてくる。うねるような本音が、夜の空に消えていく。

「えーと、なんだ。タカがどう悩んでるのかは大体わかった。けどな。それだけ悩めるなら、まだアンタの道は閉ざされちゃいない」

 心にかかっていたモヤが、スーッと晴れていくような感覚。夜に輝く月のような彼女の言葉は、何の混じりけもなくストレートに俺の中に入ってくる。

「んで、もしそんな道が今見えないってんなら……」

 この次に出る言葉が、自分の人生を変える。そんな確信が、なぜか俺にはあった。

 そして、大きく息を吸いこみ彼女は口を開く。

「タカさ、アタシの曲を作ってみないか?」

「は、はい!」




 一人の人生がパズルのピースだとするならば、俺のピースは、きっと誰よりも歪んでいるのだと思う。

 でも、もしだ。もし同じように歪んでいて、俺に居場所をくれるような人間がいたとするのなら。



──これは、そんなピースの人間が交差する物語だ。

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