第6章

第29話

 三日後。

 俺は待ち合わせ場所として指定された焼肉屋の前にいた。なぜ焼肉なのか。それはわからないが、何気にリオさんとの食事は初めてである。緊張したせいで、集合時間よりも早く着いてしまった。何か暇つぶしでもできないかとスマホをいじっていると、聞き慣れた声が俺を呼ぶ。

「おーい、タカ!」

 いつものジャケット姿に安心感を覚える。にしても……。

「早くないですか? まだ時間まで結構ありますけど」

 別に俺が言えたことじゃないけど、彼女まで早く来るとは思わなかった。キッチリしている人だし時間にルーズってわけでもないけど、こんなにも早い時間に来ることはない。

「いいだろ別に……」

 その言葉にはいつもみたいな覇気がない。よっぽど緊張してるのだろうか。落ち着かない様子で俺の隣に立つ。

 実際あの後も、リオさんはかなり時間をかけていた。少なく見積もっても、五分以上はかかっていただろう。そちらもすぐに返事が来たみたいだが、何度かやり取りを繰り返していたようだ。結局集中できるようになったのは三十分後とかだし。

「で、結局もう一人の人って来るんです?」

 あの日聞こうとしたが、かつてないほどに疲れ切った彼女の姿を見てしまっては聞くに聞けなかった。日時も場所も、昨日連絡があったし。

「来るよ。来てほしくはなかったけど」

 苦虫を噛み潰したような表情で話す。喧嘩別れしたとはいえ、そんなにも嫌うことがあるだろうか。

 二人で待つこと十分。こちらに向かってくる人影が二つ。時間的にも、あの二人がそうなのだろう。いよいよご対面だ。そう思っていた。

「あれ、君は……」

「えっ、信也さん?」

 見間違えるはずがない。黒の革ジャンに身を包んだ好青年。どこからどう見ても信也さんだ。彼は俺を見るなり笑顔で駆け寄ってきた。

「何々、君の話してた憧れの人ってリオだったの!?」

「ちょ、ちょっと……本人を前にして言わないでくださいよ」

「いいじゃん! 減るもんじゃないでしょ!」

「そうですけど……」

「何、二人とも知り合いなの?」

 信也さんにじゃれつかれていると、リオさんが口を出す。なんだか少し不機嫌なのは、彼らが来たからだと信じたい。

「そ、この前偶然会ったんだよ。な?」

「え、えぇ。そうなんです」

「ふーん、まぁいいけど」

 ダメだ。やっぱり明らかに怒ってる。とっとと店の中に入ってしまいたい。

「先輩! ずっと会いたかったんですよ!?」

「おわっ、ちょっとやめなって」

 修羅場みたいな空気に割って入ったのは、茶髪の女性だった。背丈は百六十あるくらいか? 頭の上でくくっているはずのポニーテールなのに、髪は腰のあたりにまで到達している。それが身長をわからなくしていた。

 彼女は、リオさんの腰に手を巻き付けて泣いていた。なんだかこっちの方が修羅場感が出ている。別れ話を切り出されて必死にすがりつく彼女……みたいな。とはいえ、これ以上放置していたら本格的に収拾がつかなくなりそうだ。

「とりあえずお店に入りません?」

「だね。ほら、離れなっての……」

 無理矢理ポニーテールの女の子を引きはがすと、リオさんは店の扉を開ける。彼女に続くように、俺たちも店内へと入っていった。

「よーし、今日は食うぞ!」

「おー!」

 席に着くなりテンションが高すぎる。本当にリオさんと一緒に活動していたのだろうか疑問になるレベルだ。信也さんがいるおかげで実力は間違いないのだろうという安心はあるけど。

「んじゃ、改めて自己紹介とかしとく? フジタカ君もいるし」

「あ、助かります」

「それじゃ、俺から。元トレイルロードのベース担当、田口信也でっす! 今はアストロルーティンの……って、これは関係ないか」

 力なく笑いながら信也さんは言う。そこで話を打ち切ると、彼は次の人へバトンを渡すように手を前へ差し出した。

「はーい! トレイルロードのドラム担当、来栖くるすまつりでーっす! 一応音楽活動もしてるけど……お金がなさすぎるんでフーデリの配達員もやってます。よろしく!」

「フーデリって儲かんの?」

「いいや、全っ然です!」

「駄目じゃんか……」

 他愛ない会話をしながら届いた肉を次々と焼いていく。直観的というか、本能に忠実というか。電話ごしに抱いたイメージと相違ない。どっかの馬鹿に似ているような気もしてしまう。それこそ、この前派手に殴り飛ばしちまったあいつ……ん?

「今、来栖って言いました?」

「うん、それがどしたんすか?」

 この軽さ。バンドマン特有のそれかと思い込んでいたが、智のノリにも似ているような気がする。苗字も同じだし。

「つかぬ事を聞くんですけど……今専門学校に通ってる弟とかいません? いっつもスカジャン着てるようなやつ」

「え、こわ。何で知ってるの。もしかして私のストーカーだったりする?」

「やっぱり……」

 思わず頭を抱えてしまった。いや、こんな偶然本来なら盛り上がるような話題なのだろうけど、昨日の今日だ。何か話を聞いてるんじゃないかとヒヤヒヤしてしまう。

「あー、その弟。俺の同級生です、多分。智ですよね?」

 とりあえずあらぬ疑いを晴らすために、言葉を続ける。まつりさんは、俺のことをジロジロと見回すと、急に晴れやかな笑顔を見せた。

「もしかして……君が孝明君? いやぁ、この前は弟をぶん殴ってくれてありがとっ!」

「「「え」」」

 三人の声が見事に重なる。まぁ、俺だけは違う意味で言ったのだけど。てか、それにしてはやけに明るくないか? 感謝までしてるし。逆に怖いんだけど。この人、怒ると笑顔になったりするタイプなのか。この感謝もお礼参り的な意味だったりする? とりあえず一刻も早い謝罪が必要だ……絶対に。

「それはマジですみませんでした!!」

「いやー、全然怒ってないよ。あいつデリカシーの欠片もないから。どうせ君を怒らせるようなことを言ったんでしょ? むしろこっちの方がゴメンだよ」

 思わぬ反応だった。アイツのお姉さんだし、本能的なところとか似ている部分もあったから、てっきりブチ切れられると思ってたのに。こういうのはよくないんだけど、なんだか拍子抜けである。

「だとしたら、お前そっくりだな……そいつ」

「な!? 私はまだ理性的ですよ」

「理性あるなら道の真ん中で抱き着かないっての」

「う……それを言われますと」

 ここに来てようやくリオさんが会話に入ってきたような気がする。表情は相変わらず硬いままだけど。

「それじゃ次は……」

 信也さんがリオさんへ視線を向ける。彼女も自分に向けられていることを気付いているが、応じようとする素振りを見せない。

「アタシが今更やる意味、ないでしょ」

「まぁまぁ、そう言わずにさ……」

「そうっすよ、先輩が中心みたいなもんなんですから」

 そう言いながら、まつりさんは綺麗に焼きあがった肉をリオさんの皿へよそう。もしかしてだけど、賄賂のつもりなのだろうか。それを見た信也さんが、続くように野菜を入れだす。その光景だけを見ていると、なんだか小さな子供を世話する親みたいだ。

 そうしたちょっかいに耐えかねたのだろう。深いため息をつくと、リオさんはようやく口を開いた。

「渡井リオ。元トレイルロードのギターで現……あ」

「どうしたんですか?」

「いや、バンド名。決めてなかったなって」

「あぁ、そういえば……」

 確かに決めていない。というか、なんで今まで話題にさえ上がらなかったんだ。俺はともかく、リオさんなら気付いてもよさそうだったのに。

「何、決めてなかった感じ?」

「えぇ、まぁ……」

 そう返すと、信也さんは声を出して笑った。まぁ、そりゃそうか。これじゃ活動以前の問題なわけだし。

「まぁ、先輩そういうところは人任せでしたもんね」

「あの頃は音楽しか見えてなかったから……今回は本当に忘れてただけ」

 そう言いながら、リオさんは肉をほおばる。ここに来てから動じていなかったが、お腹は空いていたのだろう。一度動き出した箸が止まっていない。

「で、どうすんの?」

「いや、まぁそれも決めなきゃいけないんだけどさ……」

 リオさんが目配せをする。本題に入れというサインだろう。

「えっと、今日お二人を集めたのは他のお願いなんです」

「お願い?」

 相変わらずビールを手に、信也さんが繰り返す。その横でまつりさんも、肉の世話をしながらこちらを見ていた。

「その……次の俺たちのライブに出てくれませんか?」

「え、マジっすか!? 先輩、いいの?」

 複雑な表情でリオさんに問いかける。解散理由を聞いていただけに、まつりさんがこうなるのも想定内だった。

「いい……というか、頼む」

「……せめて理由を聞かせてくれないか」

 少し間を置き、今度は信也さんが問いを投げる。

「そりゃ、俺としては協力したい。けどさ、俺たちはもう事務所所属の人間なんだ」

 真剣なまなざしで信也さんが話す。端正な顔立ちをしているだけに、深刻な表情に威圧感がある。

 当然の言葉だった。信也さんたちの事情は分からないが、どこかに所属するということはそれなりに自由度が減る。特にリオさんが拒んだ場所だ。説得できる材料でもなければ、昔馴染みといえど難しい話なのだろう。

「……今度さ、アタシもデビューできるかもしれないんだよ」

 その言葉に、信也さんの眉がピクリと反応を示す。場の空気が瞬時に変わったような、そんな気がした。

「タカと一緒に活動できるならって持ちかけたんだけどさ……あっさり断られて。でも、次のライブ次第じゃタカも一緒にデビューできるかもしれないんだ」

「それで、俺たちの力を借りたいと?」

「そう……自分勝手なのはわかってる! けど、ようやく掴めそうなチャンスなんだ!」

 言葉を言い切る前に、リオさんは深く頭を下げた。場の全員が押し黙ってしまう。ほんの数秒の出来事が永遠にも思えてしまうような。そんな重苦しさがあった。

「それがどれだけ都合のいい言葉か……理解してるんだよな?」

「わかってる」

「どれだけ周りに迷惑をかけるのかも?」

「もちろん」

 間髪入れずにリオさんは答える。その間も、彼女の表情は見えない。

「ちょ、先輩。もういいんじゃないっすか?」

「ダメだ」

 見ているだけでは我慢できなかったのだろう。まつりさんが口を出す。しかし、返ってきたのは無情なまでの否定だった。

「力を借りるのは今回限り。貸し借りなんてことも双方から言及しない……守れるか?」

「あぁ……」

 その言葉を投げかけた信也さんの声色が少し柔らかくなった気がする。いつもの雰囲気に戻ったというか。以前、場の空気はどんよりとしているけど。

「はぁ……わかった」

 どれほど間が空いただろうか。重い沈黙をこじ開けたのは信也さんだった。先ほどまでとは打って変わって、その表情はとても柔らかな笑顔に満ちている。やっぱり気のせいではなかったらしい。

「ホントはさ、俺も謝りたかったんだよ」

「え?」

「お前一人を置いてデビューして。この関係を壊してでも叶えたかった夢なのかって。ずっと疑問だった」

 当時を懐かしむように、彼は目を細める。いつの間にか、酒の手も止まっていた。

「こう言っちゃ結果論になるんだけどさ……今のお前が頑張ってる姿を見て安心したよ」

「シン……」

 リオさんの言葉を受け止め、信也さんが手を差し出す。空となった網の上で、二人は固い握手を交わした。

「んじゃ、一時的とはいえトレイルロード復活だ。あぁ、いや……フジタカ君もいるからやっぱ名前を変えるべきか……」

「先輩……せっかくの決め台詞だったのに締まらないっすよ」

「えぇ……完璧だっただろ!?」

 これがかつての日常だったのだろう。氷のような場を溶かす笑顔が溢れる空間。その空間に自分もいることが不思議な感覚だった。

「すみません、ラストオーダーの時間になりますが……」

「え……あ」

 店員に声をかけられ、スマホを確認する。入店してからすでに一時間半も経っていた。

「先輩、なんか適当にジャンジャン頼んどきましょう」

「ええっと、じゃあ……ホルモン、ハラミ、カルビが四人前と……」

 向かいに座る二人が慌てて注文する。適当にとは言ったが、頼みすぎじゃないか? 出る時間だって決められているはずなのに、食べきれるとは思えないんだけど……。

「以上で!」

 注文を取り終えた店員さんが席を離れる。その後、なぜか腕を回す二人組がいた。

「せっかく来たんだ……少しでも元を取らねえと……」

「そうっすよね。次いつ来れるか分かったものじゃないんで……」

「……苦労してたんですね、リオさん」

「だろ? だから迷ってたんだよ……」

 リオさんと揃って力のない声が漏れる。気まずいんじゃなくてこうなることが分かっていたからだったのか。今なら納得してしまう自分がいる。

 その後、運ばれてきた肉に信也さんたちは意気揚々と立ち向かっていった。



「ふー、食った食った」

「いやぁ……時間ギリギリでしたね」

 その後、テーブルいっぱいに並べられた肉たちはほとんどを信也さんとまつりさんが平らげた。二人だけで三人前ずつは食べたんじゃなかろうか。

 リオさんは小食だったみたいで、よそわれたものを少しだけ食べるとほとんどをこちらに流してきた。俺としては時間的にもちょうどいい量だったけど、あれで満足できたのだろうか。ちょっと心配になる。

「リオさん、ホントにお腹膨れました?」

「あぁ、もちろん。何ならいつもより食べたほうだから」

 栄養はちゃんと取れてるんだろうか。その言葉で余計に心配になってくる。今度イカちゃんに頼んで料理を作ってもらおうかな……。

「んじゃ、バンド名は一旦保留ということで……二人で事務所に掛け合ってみるから少しだけ待っててくれ」

「ぜーったいに首を縦に振らせますんで!」

 少し歩いた後、二人はそう言って別れていった。その背中がとても頼もしく見える。

「んじゃ、アタシたちも帰ろっか」

「ですね」

 バンド名の決定。新しい課題もできたが、俺がやることは変わらない。

決意を新たに、俺たちは帰路へ就くのだった。

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