第11話
「ほれ、着いたぞ」
「ここって……」
彼女に案内されて着いたのは、壁にスブレー缶で化粧が施された店だった。普段通らない路地なんかを歩いてきたため、現在地の把握ができてない。周囲の雰囲気も、ストリートよりも少しアンダーグラウンドな感じがする。
察するに、ここはバーなのだろうか。だとするなら、こんな時間から営業しているとは思えないが……。外からでは、中の様子がうかがえないようになっている。
「ライブハウスだよ。来んのは初めてか?」
ライブハウス。テレビやネットなんかで見たことはあるが、実物は初めてだ。言われてみれば、そう見えなくはないが……。
「ほら、置いてくぞー」
「あ、待ってくださいよ」
躊躇なく入っていくリオさんを追いかける。正直まだ心の準備ができてないが……置いて行かれたらそれこそ一人で入る勇気などない。
恐る恐る中へ入ると、想像よりも静かな空間が広がっていた。お客さんが入っている様子もない。やっぱりまだ営業時間ではないのだろうか。
「なんだ、思ったより普通だねぇ」
「おわっ!?」
背後からぬるっと声が聞こえる。予想外の出来事に、俺は思わず叫び声をあげてしまった。
「あぁ、ごめんごめん。驚かせるつもりはなかったんだよ」
よく見ると、人のよさそうな男が立っていた。眼鏡をかけたその青年は、ツンツンに立たせた黒髪を軽く撫でながら俺をマジマジと見ている。
「あの、あなたは……」
「ここの店長だよ」
リオさんが間髪入れずに答える。彼女に紹介された男が、続けて口を開いた。
「彼女の言う通り、僕はこの城の主、
「あ、藤原……孝明です」
「リオから話は聞いてるよー。最高にイカしたやつがいるって。まぁ、イメージとは馬鹿みたいにかけ離れてたけど」
さっきの一言の謎は解けた……が、それにしてもどういう距離感をしてるんだ。明らかにバグってるだろ。さっきまでの不審者ムーブが嘘のような態度である。
「ってか、俺ってどういう紹介されてたんですか」
「あ、それ聞いちゃう?」
店長がニヤニヤと笑みを浮かべ言う。視線の先には、どこかバツの悪そうな顔をしたリオさんがいた。
「おいタカ、ヤツの話はまともに聞くなよ。嘘しか言わん」
「えぇ……連れてきたのはリオさんじゃないですか」
「それは……そうだけどさ」
あれ、なんかふてくされてない? 急に子供みたいな表情を見せるリオさんに少しだけテンションが上がる。いつもはカッコいいリオさんの新しい一面ってやつが知れた気がする。それだけでも、ここに来た意味はあったのかもしれない。
「それはともかく。なんでここに連れてきたんですか?」
「あぁ、言ってなかったもんな。見てほしいステージがあるんだよ」
あのリオさんが薦めるバンド。たしかに気になる。もしかすると、歌詞作りの参考になるからと気遣ってくれているのかもしれない。
「にしても、まだお店やってないんじゃないですか? そんな時間から来なくても……」
時刻は午後四時半。ライブハウスの営業時間なんて知らないが、時間外に来てもよかったのだろうか。
「いいんだよ。ここ、アタシの家みたいなもんだし。それに……」
話しながら、リオさんはギターケースを開く。彼女に合わせるように、店長もいそいそと動き出す。
「この時間だからできるステージなんだよ……な?」
「そういうこと」
笑いながら店長がステージに上がる。立てかけてあったベースを手にすると、彼はチューニングを始めた。
「……んじゃ、いっちょやるか」
「おうとも」
店長がチューニングを始めてから五分後。リオさんもチューニングを終える。どうやらステージの開始らしい。
雷鳴のように、けたたましい音が空間を支配する。始まったのは、これまで何度も通い詰めたリオさんのライブ。そのどれでも披露されてない曲だった。
「……すごい」
無意識にそんな言葉がこぼれ出た。ストリートでのライブももちろん素晴らしかった。あの演奏を見て彼女についていくと決めたのだから、それに嘘偽りはない。けど、今目の前で行われている演奏はそれをゆうに超えるものだ。だが、驚いたのはそれだけではない。リオさんの圧倒的なまでの演奏についていく店長もすさまじい気迫を見せていた。彼女の一音一音がハッキリと伝わる弦の音。それを下から支えるかのような演奏は、決して目立つわけではない。それでも、縁の下からギターの魅力を何倍にも膨らませ、自身の存在も時折見せつける。今までベースに意識が向くことなんてなかったけど、店長の演奏で常識を変えられたかもしれない。
この演奏に惹かれる理由を必死に考えようとするが、それをさせまいと音楽は次々に俺の全神経に流れ込んでくる。音を全身で楽しむという意味を、今初めて身体で実感しているような気がした。
「……ふぅ」
そして演奏が終わる。汗を流しながらも、リオさんたちの表情はイキイキとしていた。
「どうだった?」
「すごかったです……今はもう、その言葉しか出てこなくて」
「おいおい、仮にも小説家志望なんだろ? もっとないのかよ」
そう言ったリオさんは笑っていた。出会ってから一番の笑顔だ。
「まぁ、いいや。そんなことより改めて紹介するよ」
リオさんが店長を一瞥する。
「ここの店長兼ウチのベース担当……古賀(こが)玲吏(れいり)だ」
「イエーイ、よろしくぅ!」
店長が意気揚々とベースをかき鳴らす。その姿は、まさにロックスターという言葉がふさわしいだろう。
「タカには初披露だったよな。ま、ご褒美兼曲の紹介って意味で」
「あの、初披露ってことは……」
「あぁ、心配すんなって。ここでやるときだけの限定バンドだ」
ということは、以前からこの体制は存在していたのだろう。ストリートでの姿しか知らない俺にとっては、かなり新鮮な光景だった。
「ま、しばらくはこっちでやることのほうが多くなるだろうしな。どのみち言おうとは思ってたんだよ。きっかけがなかっただけで」
「というと?」
「タカの新曲を知ってもらうためには、まずアタシたちのことを知ってもらわないとだろ? つーわけで、アタシ。しばらくここのライブに出るから」
「リオさん……」
「あぁ、あとこれ」
リオさんが差し出してきたのは、一つのUSBメモリだった。
「今の音源、データでも渡しておこうと思って。帰ったら改めて聴いてみてよ」
「ありがとうございます!」
メモリを受け取り、カバンの中へとしまう。
期待されている。言葉にはせずとも、その意思がハッキリと伝わってくる。その事実が、俺のやる気に火をつけた。
「すみません! 俺、今日は帰ります!」
「おう、頑張れよ」
リオさんの言葉に背中を押され、俺はライブハウスを後にする。
最低で最高な一日は、瞬きをする間に過ぎていくのだった。
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