第20話
放課後。俺はストリート近くの公園にいた。
不思議なもので、人でごった返すストリートから一本道を外すだけで気配は一気に薄くなる。デート中のカップルとかいてもおかしくはないんだけどな。まぁでも、ここならリオさんが普段通る道じゃないから出会う心配はない。今の俺には好都合な場所だ。
沈みゆく太陽が、空をオレンジ色に染める。暖かな色が、晴れることのない心のモヤを照らし出しているようだ。その光景を、俺は独りぼんやりと眺めていた。
いつもならライブハウスにいる時間だよなぁ……。
ふと、そんなことを考えてしまう。無意識の思考が、俺の気分をさらに底へ連れて行った。首を縦に振り、慌ててその考えを消す。一人でいるのに突然暴れだす様子は、自分で考えても挙動不審だ。こんな奇怪な行動、誰にも見られなくて助かった。
「やっぱ孝明じゃん」
「お前……」
声をかけてきたのは智だった。トレードマークともいえるスカジャンを着て、彼は俺のすぐ目の前で立っている。その風貌は、以前会ったときと何も変わっていない。
さっきの行動は見られていないのだろう。彼は特に突っ込むこともなく俺を見ていた。
「どうしたんだよ、こんなとこでボーっとして」
「あぁ、いや。ちょっとな……」
久しぶりの会話は、なんだかいつもよりもぎこちなかった。彼にどんな話を振ればいいか、わからなくなっていたからだ。創作の話をしても仕方がないだろうし。かといって、ここ最近の俺が遊びの話題を提供できるわけでもない。
「まぁ、なんでもいいわ。お前今暇なんだろ? 付き合えよ」
「いや、今日は……」
言いかけたところで言葉が詰まる。別に予定なんてないじゃないか。ライブハウスに行くわけでもない。今の俺は、こいつと変わらないただの暇人だ。
「なんだよ。また予定でもあんのか?」
「あぁ、やっぱ気のせいだった。どこ行く?」
断る理由もない俺は、彼の誘いに乗ることにした。今までずっと気を張っていたんだ。少しくらい休息があってもいいだろう。まぁ、この休息がまた永遠に続くかもしれないんだけど。
「んで、最近どうよ? 全然連絡くれなかったけど」
「あー、なんか色々と作業に追われててさぁ……去年みたいに慌ただしかったよ」
「去年って……審査会のときみたいにか?」
智の言葉に思わず心臓が跳ねる。過去のことだと理解しているが、あの屈辱の言葉たちが目の前の出来事のように脳に響く。
「構成も何もあったもんじゃない。ちゃんと講義は受けてる?」
「インプットが足りないんじゃない? これじゃ型無しの日記帳だよ」
あのときの講師陣の顔。まるでゴミでも見るかのような冷たい視線。忘れるはずがない。あの日、あの場所が俺の夢が死んだ日なのだから。
「そんなとこ」
思い出してしまった負の感情にケリをつけるよう愛想なく言葉を返す。今の俺、多分ひどい表情してるんだろうな。
「まぁ、なんだっていいや。そんなことよりさぁ!」
いかにも興味のない返事。やっぱり彼は何も変わってはいないのだろう。俺の会話を早々に断ち切ると、彼は最新ゲームの情報やら配信者の話題をペラペラと話し始めた。そこに俺が介入する余地はない。こうなったら彼の独壇場だ。
「……ってわけなんだよ」
「おぉ、すげえな」
「だろ? 今度またうち来いよ。一緒に見ようぜ」
そう言う智の笑顔はとても眩しかった。けど、その光に違和感を覚えてしまう。
なんでこいつの話はこんなにも満たされないんだろう。これまで感じたことのなかったものだ。なんでもない日常を、バカみたいに過ごす。そりゃ罪悪感はあったけど、今までなら純粋に物事は楽しめていた。
「へぇ、ここってライブハウスなんだ」
違和感に気を取られて油断していた。彼の指さした場所には、いつも行くライブハウスがあった。俺の動揺など気付いていないだろう智が、興味深そうにハコを見ている。
「あれ、知らなかったのか? ずっとあそこにあったぞ」
「いや、だって普段こんな奥まで来ないだろ」
平静を装おうと返したが、あっさりと言い切られてしまった。とにかく、今あそこに入るのはまずい。この時間ならちょうどライブが始まる時間だ。確かリオさんもステージに立つはず。
「まぁ、でも中に入るには金が要るんだろ? 俺持ってねぇぞ」
「同感。それにこんなとこでやってるやつなんて、どうせ二流のアーティスト気取りしかいないだろ」
「は?」
思わず声が出てしまう。自分で聴いても威圧感のある声。
想定していなかった返事が来たからだろうか。俺の声のすぐ後に、奴は俺に視線を向ける。
「なんだよ、マジになんなくてもいいじゃん。ガチで才能のある人間がこんな場所でやらんでしょ」
言葉の一つ一つに、悪意が透けて見える。智は俺の今を知らない。だからこそ、遠慮のない自論を述べることができるのだろう。彼に理解してもらうためにも、俺の現状を改めて伝えておくべきだ。たとえ喧嘩をしていても音楽を……このライブハウスを好きになってしまった気持ちは変えることができないのだから。
「あ、あのさ……」
「だってそうだろ? ドームとか武道館とかでライブできてこそプロじゃん。下積みだかなんだか知らないけど、ここで何年もやってる人間は何を夢見てんだろうなと思わね?」
その言葉を聞いたとき、俺の中の何かが切れた。気が付いた時には、拳を前に突き出している。指の付け根あたりが、ジンジンと鈍い痛みを感じていた。
「……テメェ、なにすんだよ」
地面から見上げるようにしている智の鋭い視線が突き刺さる。頬をおさえながらも、彼の表情には明確な怒りが見えた。
「夢もロクに見れねぇ人間が、夢を追いかける奴のことを蔑むんじゃねえよ」
「おい待てよ!」
その後も何かを叫んでいたようだったが、聞く気になれなかった。引き留めようと足首をつかまれるが乱暴に振り払う。この行動が、彼との溝を深めることになる。そうわかっていても、さっきの言動は到底許されるものではなかったんだ。
とはいっても、騒ぎが大きくなって店長たちに見つかることだけは避けたい。衝動的にやってしまったこととはいえ、こんな場面を目撃されてしまってはきっと取り返しがつかないだろう。
最後に一度だけ振り返ると、彼はすでに立ち上がっていた。奴も相当頭に血が上っているのだろう。顔を真っ赤にして俺をじっとにらみつけている。
「すまねぇな。お前とはもう付き合えない」
その言葉を聞いても、彼は動じなかった。いつ掴みかかってきてもおかしくない前のめりの姿勢。それでもやり返してこないのは、驚きからか罪悪感からか。答えは智しか知り得ないが、これ以上奴の反応を待つ気もない。
俺は前を向くと、足早にその場を後にした。
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