第17話

「リオさん……」

「よっ、昨日は悪かったな」

 昨日とは打って変わって、いつも通りの澄ましたような笑顔。けれど、その笑みが今は苦しい。限りなく沈み切った心じゃ、彼女の謝罪に応える言葉を返せない。

「あー、その……ホントに悪かったって。タカの友達もさ、改めて紹介してくれよ……な?」

 歯切れの悪そうな声。彼女には昨日のことを引きずっているように見えているのだろう。

「……なぁ、せめて何か言ってくれよ。アタシだってどうしたらいいか」

「あの!」

 彼女の言葉に被せて声を出す。自分が想像していたよりも大きな声で。

 目を丸くしたリオさんが一歩退く。

「ビックリさせんなよ……」

「あ、えと……すみません」

 話題を切り出したのは自分なのに、その先がつながらない。せっかく俺に配慮して隠し通そうとしてくれたのに、素直に聞いてしまってもいいのだろうか。この期に及んで尻込みしてしまう自分が情けない。こういうとき、リオさんならスパッと切り出せるんだろうな。

「とりあえず座りなよ。そこで話してると、外にも聞こえるよ?」

 見かねた店長が割って入る。俺たちは彼に促されるようにカウンターへと向かう。

 そして一息つくと、俺は勇気を出して口を開いた。

「きたんですね……デビューの話」

「お前、なんでそれを」

 俺の言葉を聞いたリオさんが即座に店長のほうへと視線を向ける。何かひと悶着が起こる前に、俺は言葉を続けていく。

「俺のことは気にしなくてもいいんですよ? リオさんが進みたい道に行くほうが、俺も嬉しいですから」

「だからこうして選んだんだよ。タカを切り捨ててデビューなんて御免だからな」

「それは俺を誘ったことに対する責任感ですか?」

 自分でも不思議なくらいに自然とこぼれた言葉。でも違う。本当はこんなことを伝えたかったんじゃない。

「いいんですよ。俺のことは気にしなくて。そりゃ未練がないといえば嘘になりますけど……リオさんの足を引っ張ることだけはしたくないですから」

 心のどこかでずっと思っていたことが、都合よくデビューの話と混ざり合う。それが八つ当たりだとわかっていても、一度溢れたものを止めることはできなかった。

「俺はあなたに釣り合うような人間じゃないんです。それはリオさんが一番わかってるんじゃないですか?」

 床とにらめっこしながら吐いた言葉は、空しくもハコの中に響く。

 けれど、どうしてだろう。自虐的な言葉を並べているだけなのに、いつもよりも口が回るのは。今まさに彼女の期待を裏切ろうとしているのに、そんなくだらないことを考えてしまう。まぁ、でも。ここでその関係も終わるなら……。

「言いたいことはそれだけか?」

「え?」

 おもむろに口を開いたリオさんの声には、明確な怒気が込められていた。昨日とはまた違う熱されたような声に、今度は俺のほうが言葉を失う。

「なぁ、タカ。アタシがなんでクソスカウトマンの話を断ったかわかるか?」

「それは……俺がいるからで」

「違う」

 凄みを帯びた声に圧倒される。続く言葉を出せなくなった俺は、彼女の言葉を待つことしかできなくなってしまった。

「アタシはなぁ。アタシが認めたヤツが侮辱されたのがどうしようもなく許せねぇんだよ! それが例え本人の言葉であってもだ!」

 いつものクールな彼女からは想像もできないような声。感情に身を任せた、なりふり構わないような叫びは、思い切り腹を殴られたような衝撃があった。けど、それでも納得はできない。

認めた? それは過大評価だ。俺の表現力ごときで、彼女の魅力を出し切れるはずがない。確かに彼女から誘ってくれたことだが、それは俺を憐れんでのことじゃないのか?

「お前は! 信頼してる人間の言葉も信じれねぇクズなのか!?」

 言葉とともに胸ぐらをつかまれる。その手に彼女の想いがこめられているようで、俺は抵抗する気になれなかった。……だからと言って、納得ができたわけじゃないが。

「……どれだけ」

「え?」

 信じる。その一言は確かに心に突き刺さった。俺自身、リオさんには全幅の信頼を置いている。それは否定しない。けど、俺は……。

「デビューすることがどれだけ辛いと思ってるんですか!」

「サボってたお前が言う言葉か!? 血反吐を吐きながら走り続けた人間の前でも、それが言えんのか!?」

「言えませんよ! そりゃ言う資格なんてないんでしょうけど……だからって、俺の何を知ってるんですか」

「タカ、てめぇ……」

 互いに語気が強まっていく。まさに売り言葉に買い言葉。こんなことを言う資格、か。そりゃないんだろうけど……小説の世界と音楽の世界は違う。同じ道を走るクラスメイトには言えないかもしれないけど、世界の違うリオさんにはぶつけてもいいはずだ。

「自分勝手にデビューの選択ができる場所じゃないんですよ……俺たちの世界は」

 そう吐き捨てた俺の視界が大きく揺れる。気が付いた時には、頬の痛みとともに床に突っ伏していた。

「……悪い」

 ハッと我に返ったリオさんが言う。視界の端で、彼女の拳が強く握りしめられているのが見えた。

「すみません。一回考えさせてください」

 ふり絞った言葉は、逃避の一言だった。

「タカ!」

 立ち上がり、ゆっくりと歩き出した俺の背にリオさんが叫ぶ。

「アタシは……その……」

 震えている? そんな気がした。けど、その顔を確認するだけの気力が残されていない。

 その一言を最後に、もう誰も止めることはなかった。まとまらない思考の中、俺はふらふらと店を出るのだった。

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