第31話
昼休み。朝の講義には間に合ったものの、やっぱりいつもより集中できなかった。改めてご飯の重要性を知る。ガッツリしたものでも食べて、やる気を取り戻そう。そう思って近くの定食屋へと足を運んだ……が。
「財布忘れた……」
「何やってんのさ、もう……」
昼を共にしていたイカちゃんに呆れられてしまう。こんなことならスマホの電子決済にいくらかチャージしておくんだった。現金派として過ごしてきた自分の敗北を認めざるを得ない。今から走って取りに帰れば間に合わないこともないが、それじゃイカちゃんにも迷惑をかけてしまうだろう。
「ごめん、今日は別々で食べるってことで……」
「いいよ別に。後で返してくれればいいから」
「いやでもさ……やっぱ悪いって」
「わかった。これからはちゃんと出る前に確認しないとダメだよー」
軽いお叱りを置き土産に、イカちゃんは店内へと入っていった。本当は俺もありつけたはずのご飯。自分のミスで機会を失ってるんだから世話がない。
とにかく早く戻らないと。食べる時間を考えたら、あんまり悠長にしている場合じゃない。小走りで家への道を進み始めたときだった。
「おわっと……いってぇ」
一瞬の間を置いて、俺は電柱へとぶつかってしまう。別に何かを避けたとかじゃない。その瞬間だけ、急に意識が抜け落ちたんだ。体のエネルギーが足りないときに無理はよくない……か。とはいえ、このまま昼ご飯まで抜く気はない。少しでも歩を進めておかなければ。競歩のようなまっすぐの姿勢で歩く。これなら大丈夫だろう。そう考えていた。
またしてもふらついてしまう。今度は五メートルほど進んだところ。これじゃロクに移動もできやしない。イカちゃんの誘いを断った手前気は進まないが、誰かに買ってきてもらうのが一番だろう。
とは言っても、歩道の真ん中に突っ立っているわけにもいかない。揺れる視界の中、慎重に歩を進める。幸いにも、すぐ近くには公園がある。そこまで移動するだけでいい。
公園には親子連れが何人かいた。それでもベンチはいくつか空いている。すぐ近くのベンチに腰かけると、俺は連絡先から電話をかけた。
『もしもしー、どうしたのこんな時間に』
「……あ、もしもし」
わずかワンダイヤル。店長の声が聞こえてくる。店の準備とかもあるし、彼ならすぐに出てくれると思っていたが想像以上の早さだ。
「ちょっと体調悪くて……今近くの公園にいるんですけど、昼ご飯買ってきてくれません?」
『オッケー、てか大丈夫? 声かなりしんどそうだけど』
「はい、とりあえず椅子に座ってるので……位置情報送っときます」
『それならまだ安心か……わかった。十分くらいかかると思うから、辛いだろうけどちょっち待ってて』
会話を端的に済ませて通話は切れる。いつもよりも少し真面目な口調の店長が頼もしい。彼に電話をかけて正解だった。
「ふぅ……」
大きく息を吐く。体調が悪いことを自覚したら、なんだか頭も痛くなってきた。にしてもこんな大事な時期に体調を崩すとは。無理はしてたかもしれないけど、体調にも気を遣っていたつもりだったんだけどな。
「お、お待たせ……!」
十分後。汗をだらだらと流した店長がやってきた。手には一人で持つには少し大きいレジ袋を提げている。
「とりあえず水分取って。んであとこれはご飯と……」
彼は俺の隣に腰かけると、間髪入れずに袋の中身を取り出す。差し出された経口補水液を飲みながら、俺はそれらをボーっと眺めていた。
「で、以上。ひとまずぶっ倒れてなくてよかった……」
「ホントすみません。忙しいのに心配かけちゃって……」
「いいのいいの。ちょうど休憩中だったし。それにこういうのは慣れてるからさぁ……俺に頼って正解だったよ」
自分用に買ってきたと思われる水を飲みながら、彼は笑顔でそう話す。
「にしても顔色悪いねー。朝から?」
「いや、ホントついさっきです。急にグラッときて、電柱にぶつかって」
「他は?」
「頭が痛いくらいですかね……それ以外は、特に」
「あー……じゃあ多分熱中症かなぁ。初期症状っぽいし」
言われてみれば、確かに当てはまる。この暑さでロクに栄養を取っていなかったんだ。そりゃそうなってもおかしくないか。
「飲まないなら脇に挟んどきな。応急処置としては最適だから」
あれやこれやと指示をしてくれる。慣れているというのはどうやら本当らしい。
彼は買ってきたものの中から冷えピタを一枚取り出すと、それを頭に貼りつけてくれた。
「この後学校は?」
「ありますけど……これじゃ無理そうですかね」
「うん、ダメだね。こういう時に無理の追い打ちをする人間が一番愚かなのだよ」
言葉こそふざけているが、そう話す店長の表情はいたって真面目だった。
「荷物とかは……よかった。持ってきてそうだね」
「えぇ……」
「なら、誰かに欠席メールとか送っときな。それだけで信用度は変わるからさ」
「わかりました」
アドバイスがあまりにも的確すぎる。なんというか……すごく大人だ。年だけ食った俺とはまるで違う。会社への電凸の件といい、彼の頼もしさを思い知らされることがここ数日で増えてきた気がする。いつもはめちゃくちゃ適当だけど。
「どったの? ジーっと見て」
「いや、なんかギャップで風邪引きそうです」
「いやどういうこと!?」
彼のツッコミに答えようとしたとき、またしても大きなめまいが俺を襲う。その場で倒れそうになったのか、店長が慌てて俺の体を支えてくれた。
「ほら、変なこと言ってるから……とにかく少し落ち着いたら今日は家に帰ろう」
「はい……」
そうして買ってきてくれたご飯なんかを食べながら、俺は休息をとるのだった。
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