第3話 転校生とヒマリの秘密
坂部由香里が嫌われる理由は、その自覚が彼女にないことだった。
自慢しいの上から目線を、誰もが苛立たしく感じてしまう。その苛立ちを本人が全く認めていない。
あろうことか、そんな由香里がジニに味方することに決めた。
一ノ瀬頼友プラス坂部由香里となれば、問題は複雑になるにちがいない。
静かだった教室に台風が接近し、瞬間最大風速が吹きはじめようとしている。その中心にジニがいると思うと、ヒマリは落ち着かなくなる。
ジニが視線をあげ、一ノ瀬の背後にいるヒマリと視線を合わせた。あるかないかの視線の変化で、彼が何か問い詰めているような気がする。
──なに?
──僕を忘れたんだね。
切なそうな目が語る言葉に、ヒマリの胸が高鳴る。
授業開始のベルが鳴った。
「授業がはじまる。この問題はホームルームの議題にしよう」
決然と一ノ瀬が宣言したので、そこで問題は先送りになった。一ノ瀬にしても、由香里と張り合うなどいう矮小な世事にかかずらう気はなかったようだ。
ひとり由香里だけが鼻を鳴らしている。
ヒマリは摩擦を避けるために、由香里が離れてから、自分の席にむかった。一ノ瀬に「関わらないで」と言いたかったが、たぶん、結果をさらに悪くするだけだろう。
昔から彼はヒマリの保護者のような態度をする。彼女をいじめる同級生がいないのも一ノ瀬の存在が大きいからだ。
一ノ瀬の実家は総合病院を経営し、祖父は県会議員をする傍ら院長も兼ねているが、病院の仕事は
病院の専門は、『精神科』『神経内科』『脳神経外科』で、そこに『内科』『呼吸器科』『循環器科』などが入っている。認知症やアルツハイマー病の治療では評判は良い。
東京都内にある西端大学医学部とは、産学連携して脳科学の研究を共有していた。
その関係から、中学の頃、不眠症に悩んだヒマリは一ノ瀬総合病院に入院し、西端大学附属病院の著名な教授、天羽の診察を受けた。
ヒマリにとって、一ノ瀬の存在は微妙だ。体も大きく男らしい彼は、それだけで彼女を威圧する。
幼いころは特に苦手だった。
幼稚園から小学校低学年の頃は、やたらとヒマリにイタズラしてきた。臆病なヒマリにとって、それはストレス以外の何ものでもない。
高校に入り、彼の態度は変化した。
つねに見守り干渉してくる。まるで、ヒマリの彼氏のようで、つき合っていると噂になるほどだ。そういうこと全てが煩わしい。
午後の授業がはじまる。
「大丈夫かい」と、彼がささやいた。
大丈夫な訳がない。でも、この声、なんて優しさに満ちているんだろう。胸の鼓動が異様に高くなり、彼に聞こえるんじゃないかと心配した。
「ええ」と、小さく早急に答えた。
視線を感じた。
感受性の強いヒマリは、人の心を読むのが得意で、相手を不快にさせない。それが、陰で男子に人気の理由でもある。
横を見るとジニの目とあった。はっとしてヒマリはうつむき唇をかむ。
「相変わらず泣き虫だね」
「泣いてないけど」
「見ていたよ。自己紹介したときに、ひとり泣いていただろう」
ヒマリは『相変わらず』という言葉を聞き逃した。
クラス全員がジニに注目するなか、誰も自分など見ていないと思ったが、本人が彼女を見ていたのだ。恥ずかしくて、この場から逃げたい。
「スマホを貸してくれ」
「え?」
「聞きたいことがあるんだ。連絡先が知りたい」
「なぜ、わたしの連絡先を知りたいの」
「忘れたのかい? そんなに僕は変わっただろうか」
「会ったことがあるの」
「本当に覚えてないんだ。少し傷つく」
ヒマリは迷った。その迷いを見透かすように、「ほら、スマホ」と彼が強制した。スマホを渡すと、ジニはそこに連絡先を入れた。
「あとでメールをしてくれ」
ドキドキが止まらず、返事をできないでいるうちに、英語教師が入ってきた。
二時限目は『英語構文』だ。教師はいつも数分だけ授業に遅刻する。その理由はわからないが。生徒たちは歓迎している。
英語構文の授業が終わって、ナギに背中を押されたが、「宿題が残ってて」と逃げ、休憩時間をすべて予習するふりをした。
次の授業も教科書を広げジニに見せてはいたが、教師の声が耳に入らなかった。彼が隣りにいると気が散る。
チラリと横を見るたびに、目があった。
なぜ……。
午前中の授業がすべて終わり昼休みになると同時に、再びアオイたちが拉致しに来た。
いつもはアオイの机で食事をするのに、今日に限って、ヒマリの席にみなが集まった。ジニは席から立ち上がると出ていく。
「さあ、どういうことよ、知り合いなの?」
「わからない」
はっとして気づいた。もしかしたら、お弁当がないのだろうか。
購買へ行けばパンが買える。
そう考える先に足が動いていた。ヒマリは廊下に出ると、ジニに声をかけた。
「ちょっと待って」
彼が振り返る。少し長髪の黒い髪が揺れて目にかかり、それを耳にかける仕草が心のなにかを呼び起こす。
「なんだい」
「お弁当はないの」
「ああ」
「購買で買える、でも、争奪戦になるけど」
「そうか」
「ヒマリ」と、背後から声がした。
振り返るとアオイが手招きしている。
「来て。あの、
日頃のヒマリなら、ぜったいしないことをした。アオイの言葉に、彼の白いワイシャツの袖をつまんだのだ。
「いっしょに食べよう。お弁当を分けるから」
「いいよ」
ジニを連れて戻ると、三人は席を作った。
ミコトはよだれを垂さんばかりに彼を見つめ、ナギは少しだけ距離をとった。ただ、普段なら一メートルも男に近づかない彼女にしては距離が近い。
ジニの中性的な容姿は、ナギにも許容範囲なんだろう。
イケメンは全方位的に許されるようだ。
全員が簡単に自己紹介すると、それぞれのおかずを彼に渡す。
「それで」と、ミコトが言った。
「ふたりはどういう知り合いなの?」
ジニは片頬を左手にあずけ、静かにほほ笑んだ。
そのとびきり魅力的な笑顔が、全員の胸に決定的な致命傷を与えたことだけは確かだった。
(つづく)
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