第2話 誰もが孤独を誤解している




 それは……、沓鵞くつわし路二じにが中学三年のときに起きた事件だった。


 横浜の繁華街、夜八時前。

 県議会選挙が大詰めを迎えた四月半ば、繁華街を候補者名を連呼する選挙カーが、けたたましく走っていた。


「今日も、お仕事お疲れ様です。一ノ瀬克ノ介いちのせかつのすけ一ノ瀬克ノ介いちのせかつのすけ。いの一番の一ノ瀬、一ノ瀬を、どうぞ、よろしくお願いいたします。ビジネスマンの皆さま、今日もお仕事お疲れさまです。ご声援、ありがとうございます。い・ち・の・せ。一ノ瀬を、どうぞ、よろしくお願いします」


 選挙カーの声が響く本道から、少し入ったビルの谷間。路地にジニは倒れていた。

 誰かに背後から後頭部を殴られ、気を失ったのだ。


 気がついたときは隣りで女がうめいていた。

 衣服は乱れ、道路に血が染み込み、あきらかに異様な状況なのに、なぜ、こんなことになったのか彼には全く記憶がなかった。


「だ、大丈夫、ですか……」


 倒れている女に声をかけると、彼女は、「ヒッ!」と怯え、次に狂ったように叫び声をあげた。


「だ、誰か、誰か!! 助けて!」

「あ、あの」

「おい、こいつを取り押さえろ! お嬢さん、もう心配ない?」

「た、大変だぁ! 警察だ。おい、誰か、警察を呼べ!」


 たまたま、その場に居合わせた男が怒鳴っている。

 続々と人が集まり、スマホで撮影する者さえいた。


 視線。

 視線。

 視線。


 ぼうっとして状況を飲み込めずにいると、警察のサイレンが近づき、「どいて、どいて」という声が聞こえた。


 ──これは、まずい状況なのか?


 路地裏は薄暗く狭い。

 その向こう側、安っぽいネオンサインが輝く本道から人だかりを掻き分け、ふたりの警官が入って来た。

 ひとりが無線で応援を要請している。


 叫びたくなったが、声がでない。


 女の破れた衣服から白い太ももが見える。引き裂かれたスカートのなか、股の間からも血が流れていた。見たこともない大人の女だ。

 ひとりの警官が傷ましそうに毛布を持ってきて彼女にかける。


 訳がわからなかった。


 そのままジニは近くの派出所に連れていかれた。

 警官たちが尋問する。

 その後、婦女暴行の現行犯として拘束されたのち、中学生ということで家庭裁判所に送致されるのに、時はかからなかった。


「なぜ、こんな事件を起こした」


 そう責められてることはあっても、「犯人なのか」とは一度も聞かれなかった。


「わからない」と、何度も抗弁したが誰も取り合わない。

「あんな時間に中学生が歩いていた理由はなんだ。さっさと吐け。顔に似合わずしぶとい奴だ」


 もともと無口な彼は十四歳という年齢もあり、なにも答えることができなかった。

 横浜の繁華街にいたのは、近くのコンビニでバイトをしていたからで。事件が起きたのは、その帰り道だ。


 当時、ジニは繁華街近くのボロアパートに母とともに住んでいた。


 ただ、母はめったに帰ってこなかった。

 ときどき帰っては、一千円、二千円と不定期に金を置いて出ていく。


 中学生のジニが、それで生活できるわけではない。給食代にも事欠くありさまだが、幸いにも勉強はできたので、教師は何も言わなかった。


 十五歳になるまで残り半年。

 労働基準法では十五歳以下のバイトを禁じている。高校生と身分を偽って、学校が終わったあと夜のコンビニで働いた。


 人手不足からか、店長はあえて何も聞かなかった。


 警官、調査員、誰もが同じ質問を何度もしてきた。


「どうして、あんな時間に中学生が。家出か、親の名前は」

「家出じゃありません。コンビニでバイトしてました」

「いいか! そのコンビニとやらの店長に問い合わせたが、中学生なぞ雇っておらんと言っていたぞ」


 繁華街の路地裏はアパートに帰る近道で、いつも使っていた。なぜ、殴られたのか。見知らぬ女は、なぜ、彼の横にいたのか。女がなぜジニに襲われたと言ったのか。

 まったく理解しがたい。


 弁明の機会もなく、話そうとも思えなくなった彼は、ただ心を閉ざすしかなかった。

 どれほど責められてもジニは無言でいるしかなかった。真実を話しても誰も聞いてくれない。


 失望、絶望、怒り、恐怖……

 彼は底なしの無力感に陥った。


 無気力で何も答えず、ただ、ぼうっとする彼に、精神科医が鑑定をおこなった。その結果、総合病院の精神科、重罪犯を収容する隔離病棟に措置入院となったのだ。


 女は性的暴行されたというが、そこに精液は残ってなかった。その事実を知ったのは、半年後、隔離病棟を出てからだった。



(つづく)

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