第4話 転校生とヒマリの秘密




「それでは、教えてもらおうか」と、アオイは果敢な態度でジニに聞いた。

「ヒマリとは、どういう間柄なの」

「三年ほど前に病院で会った」

「あの病院でしょ? やっぱり、そうだと思った。ねぇ、ヒマリ。覚えてるでしょ?」


 ヒマリは混乱して首を振るしかなかった。


「ほら、メールで送ってきた隔離病棟の君でしょ」と、アオイが言った。

「僕のことを知っているのか」と、ジニがいい、「なに、アオイ。隔離病棟の君って」と、ナギが聞いた。


「ヒマリが中学のとき入院した病院、ほら、一ノ瀬んとこで、その時、わたしにメールしてきたじゃない。天使のような少年を見た、ヤバイって。彼だとしたら納得よ」

「お……、覚えてない」

「え?」と、ミコトが加わった。「天使って、沓鷲くんだよね、なんか納得する」


 話題が適当にいったりきたり渋滞するのは普段通りで。違うのは、そこにジニが混じっていること。質問に軽く返答しながら、ふとした時に見せるせつなげな視線を、アオイたちは気づかなかった。

 ヒマリだけが気づき、気のせいだと打ち消した。


「そうだ、食べなきゃ。これこれ、この卵焼きを沓鷲くんに差し上げよう。ヒマリは卵焼きだけはうまく焼いてくるんよ。専業完璧主婦の母親より、これだけは上手いの」


 アオイがヒマリの弁当箱から、遠慮なく卵焼きを取り出すと、ジニの前においた皿代わりのフタにおいた。

 ミコトはオニギリを彼に与え、ナギは逆に自分のおかずを、仲間たちに配った。


「ヒマリはね、中学生の頃に一ノ瀬病院に入院していたのよ」

「病気だったの、ヒマリって」


 ナギが無邪気に驚いている。

 ミコトは彼女の口を塞ぐと、胸を前に突き出した。白い制服の下ではちきれそうなほど胸が膨らんだのは、ジニを意識しているからだ。


「今、そこじゃないよ、ナギ。沓鵞くんは、どういう関係でヒマリに出会ったの? 入院してたとか」


 マシンガンのように繰り出される会話に、彼は穏やかに対応する。このおちついた態度がなぜか懐かしい。


「中学のころだよ」


 ヒマリは申し訳なさそうに首をふった。


「ごめんなさい。記憶にないの」

「本当に覚えてないんだな」


 ジニは落胆したような表情を浮かべると、「お弁当をありがとう」と言って立ち上がった。


「え? もういいの?」

「知りたいことは知り得たから」


 そのまま背を向けると教室から出ていく。


「追いかけなよ、ヒマリ。なんか落胆していたよ、まちがいない」と、アオイが言った。

「うん、そうだよ。彼、失望したような顔をしていた。きっと、あんたたち会っている」


 ミコトも賛成する。


「そ、そうかな」

「うん、聞いといでよ。わたしたちがいては話しづらいでしょ」


 数秒迷ったのち、ヒマリは椅子をひっくり返すように立ち上がった。彼の後を追いかける。

 廊下でキョロキョロしていると、坂部由香里が教室から出てきた。


「ねぇ、水城さん! 水城さんってさぁ。沓鷲くんとどういう関係なのよ。もしかして、親戚?」


 坂部由香里が面長の顔を歪め、イヤミっぽく話しかけてくる。ヒマリはぞくっとして背筋に震えが走った。悪意がこもっている上に、声の調子も嫌味このうえない。

 時に不思議に思うことがある。

 こういう態度をするのは、他人を不快にさせている自覚がないからだろうか。あるいは、わかっているけど止められないのか。さらに悪いのは、あえてやっているという場合だ。


 由香里は常にスポットライトを浴びるクラスの中心にいたがる。逆にヒマリは、そんな存在になりたくなかった。

 どれだけこっそりと他人から目立たずにいられるか。

 それがヒマリの命題だ。

 中学生の頃に比べれば良くなったが、こういう剥き出しの悪意は、やはりキツイ。

 自分の心臓が血を流したまま皮膚を破り、無防備に表面に出ているのではないかと思う。


「どういう関係でもないわ」

「そうよね。あんたみたいな地味タイプが、彼に関心を持たれるわけないものね。だから、彼に近づかないでくれる」


 バカにされたとわかったが反論できない。由香里は相手が弱いと、さらにかさにかかってくる。


「あ、あの……」

「だからさ、さっきから言ってるでしょ。どうなのよ」


 黙っている自分が嫌いになる……。

 それでも同じレベルで言い返せば、自らを恥じて、もやもやが残る。

 最悪だった──

 言い返せずに、こんなふうに俯くことも。

 言い返して、あとで自分を恥じることも。


「ほんと、イジイジしてるのね。それで男子の同情をひこうなんて、あざといわよ。あんたのいつも一緒にいる子たちだって、内心はどう思っているんだか」


 一、二、三……。

 落ち着くために頭のなかで数字を数えた。


「ジニくんだって嫌いでしょうよ」

「誰が嫌いだって?」


 低い声がした。

 振り返ると、ジニが怖い顔をして立っている。


「あっ、あの、ジニ……くん」

「誰が嫌いだって?」

「あ、あの、いえ、水城さんとその、あなたの事を話していたの」と、由香里はここぞとばかりに、わかりやすく甘い声をだした。


 獲物を前にして舌なめずりする猛獣のように、由香里はごくりと喉を鳴らすと、あからさまに態度を変えてきた。

 自分のものにするという決意に満ちた表情だ。

 満面に笑みを浮かべ、女王のように手を伸ばす。

 その手の先にジニがいる。


「そうなのか? ヒマリ」

「そうでしょ、ね、水城さん」


 ジニを知っているような気がする。よく知っているような……。

 ヒマリのなかで何かがカチリと音を立てた。

 だから、「ジニ」と親しげに呼んでしまった。

 ジニは優しげにほほ笑みを浮かべる。愛情にあふれた表情はあからさまであり、由香里が鼻白はなじろんだほどだ。すぐヒマリは後悔した。


「僕を忘れているのかい?」


 ジニは頭ひとつ分だけヒマリより背が高い。ヒマリの頭に手を置くと、背を丸め真正面から顔を覗き込んでくる。


 そして、「そうなのか」と再び聞いた。


 数センチしか離れていないジニの顔。その目を見つめていると、彼以外のすべてが見えなくなった。


「ヒッ」といいう声が由香里の唇から漏れた。「あのさ! ジニくん」

「僕を下の名前で呼ばないで欲しいんだが。君の名前さえも知らないのに」と、顔も見ずに冷たい声でジニは言い放った。


 由香里の顔がみるみる赤くなっていく。


「あんたたち、いったい何なの。できてるの?」

「来いよ、ヒマリ」


 ジニは強引にヒマリの手を取り、廊下の先へと引っ張る。この後のことなんて考えない。考えても仕方ないと思うほど、ヒマリは混乱した。




(つづく)

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