第2話 転校生とヒマリの秘密
古典Bの授業が終わると、(どういうこと! さあ、教えてもらおうか)と目で語るアオイを先頭にミコトとナギが、どやどやと集まった。
「ヒマリ、ちょっと来て」
強引にアオイが腕を取ろうとする。
「アオイ、あの」
「こんにちは」と、ジニが挨拶した。
穏やかな態度だが、話しかけられた三人は、よほどそれが意外だったのか、その場に硬直した。最初に立ち直ったのは、やはりアオイだ。
「ちょっと、待ってくだんせ。今はヒマリと話しあう必要があって……。あの、ようこそ、辻ヶ丘高校二年B組に」
アオイは敢然と彼に向かいはしたが、言葉遣いが奇妙で、それに気づいたのか途中から声が細くなった。
「連行よ、ヒマリ」
「ヒマリ。助けが必要か」と、ジニが聞いた。
彼はヒマリ……って呼んだ。
この場の空気などまるで読まずに、苗字ではなく名前を呼んだ。全員が驚いたが、一番驚いているのはヒマリだった。
(なぜ、彼は彼女の名前を知っているのだろう。もしかしたら、彼は彼女を好きなのかもしれない)
頭のなかに小説の『地の文』のような文章が浮かんだ。
心臓の鼓動が早まり、顔が赤くなり、一方で仲間の三人は再び凍りついた。
「あ、あの、
「ジニ」
「え?」
「僕をジニと呼んでいたくらいの仲だよ」
「……ジニ」
ヒマリがジニと無意識に言葉にした段階で、凍りついた仲間たちは、ついに砕け散った。
アオイは「あ、う」と声にならないうめき声を発し、それから、目で合図した。ミコトとナギがヒマリの両脇を抱え、アオイを先頭に強引に教室から廊下に引きずり出した。
「ヒマリ、いったい、どういうこと?」
「あんな素敵な男の子を前に知っていたなら、ヤバイ。紹介すべきでしょ?」
「あの超絶イケメンと知り合いなの?」
同じことを、三人三様の聞き方してくるが、ヒマリは言葉に窮する。
ジニがお調子者の野崎から席を奪った結果、目立つことの嫌いなヒマリがスポットライトを浴び、華やかな舞台に立ってしまった。
なぜ、こんなことに……。
ヒマリは当惑した。謎めいた転校生はクラス全員の耳目を集めているが、それだけではすまなくなった。
「なに、ニヤニヤしているの。ヒマリ」
「え、わ、わたし。あの」
十分の休憩時間は短いはずなのに、永久に終わらない。時が止まったかのようだ。
早く次の授業がはじまってほしかった。
廊下で三人に囲まれるより授業のほうが楽だ。教室を見ると、学級委員長の一ノ瀬がジニに話しかけている。
嫌な予感がした。
「ご、ごめん。後で、後で話すわ」
「ヒマリ!」
ヒマリは後で話すと言い繕ったが、だからといって、説明できる答えがあるとは思えない。ともかく、慌てて教室に戻った。
なぜ、戻らなきゃいけないのか、自分でも説明できない。
一ノ瀬は幼馴染で、ときにヒマリに過保護になる。おそらく、母の次、アオイの前くらいに彼女に甘く、もしかしたら転校生を問い詰めているかもしれない。
教室では、一ノ瀬とジニが全員の注目を集めている
「なあ、君」と、一ノ瀬が言っている。
「ここは野崎の席なんだ。強引にすわったけど。それは困る」
「君は?」
ジニの声は静かだ。
一ノ瀬はクラスの中心人物で、大人物のように振る舞うことがうまく、誰もが一目おいている。そんな彼へ無頓着に「君は?」と聞いたジニに、ヒマリは心臓が破裂しそうになった。
「僕は、このクラスの学級委員長で一ノ瀬頼友という」
一ノ瀬は内心はどうあれ、落ち着いて対応している。クラス全員の耳目を集めていることを理解してのことだろう。
誰もが、“勇者”一ノ瀬の対応を見守り、典型的な腰巾着である野崎が、一応は不満気な顔つきをして、勇者に侍る従者となっている。
ジニは一歳年上である余裕からか、そんな彼らに無頓着で、そして、かっこよかった。
午前中の太陽の日差しが横顔を照らし、反対側を黒く影にしている。彫刻のような横顔には、誰もが見惚れてしまう。
いったいクラスの何人が彼に見惚れ、何人が一ノ瀬を煽っているのか。
「それで」と、ジニは聞いた。
一ノ瀬の対応によって、彼のカーストが決まる。
その容姿からすれば、上位者になるのは間違いないが、しかし、ヒマリは不安だった。
「席なんて厳密には決まってないから、いいじゃない。野崎だって、水城さんの隣りにすわったのは、一ノ瀬の意向でしょ」
三人の背後から、いきなり女の甲高い声がした。
ヒマリは両手で顔をおおった。
それでなくても混乱しているのに、坂部由香里まで参戦してきたのだ。クラスに友人のいない彼女にとって、転校生は格好の餌食なんだろう。
(家に帰りたい。なにか起こる前に、なにかを見る前に……、帰りたい)
早く授業がはじまって欲しいが、そういう時に限って時間が過ぎるのが無駄に遅い。一分が一時間に思える。
(つづく)
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