第5話 サイコパスvsサイコパス





「ごちゃごちゃうるさいわね。さあ、戦いましょ。あんたをどんな形で殺したらいいの?」

「なあ、俺の言葉をわからないのか? ナンバー1004」


 クロブチはスカートをめくると太ももに挟んだ大型の両刃ナイフを引き抜いた。日本では違法になるナイフで殺傷能力も高い。

 パチンと音をさせ、ナイフを茶色のカバーから抜き出す。

 これ見よがしに、くるくると器用にナイフを回転させた。

 笑顔を浮かべ、間合いを取る姿は、まさに戦士そのものだ。

 ジニは自分を励ますように、叫んだ。


「行くぞぉ!」

「さあ、来な、ぼうや!」


 クロブチの声に彼はぱっと背後に飛ぶと、そのまま踵を返し廊下を全速力で逃げた。

 スマホのスピーカーをオンにする。


「ジッサマ! 聞いたか。これで行けるだろうか」

「ジニ、逃げろ。ワシが行く。それまで生き延びろ!」

「なに、その声は」


 背後からクロブチが叫んだ。


「音声通話にしておいたんだよ。あんたの言葉はジッサマが録音している。手はず通りに」

「殺してやる!」


 クロブチはハイヒールを脱ぎ捨てると素足になった。

 速い。


「ジッサマ!」

「階下に逃げろ。逃げるときは上に行くな、ジニ。相手はプロだ」

「ああ、わかってる」


 階段を飛び越えるようにして駆け降りた。クロブチが笑っている。楽しそうに、泣いてるように、興奮して追ってくる。

 一階に駆け降り、廊下を全速力で走っていくと、暗い先に人影が見えた。


「ジニ!」


 ヒマリの声だ。

 血が逆流する。なぜ、ヒマリがいる。

 自分はバカだと思った。無意識に『アニメ漫画サークル』の部室まで逃げていた。もう帰ったはずだと思っていた四人が、まだいたのだ。


「な、何をしているの……」と、アオイが顔を出した。


 何をしているって、こっちが聞きたい。なぜ、帰っていない。ジニは走り込むと、ありったけの力でヒマリとアオイを部室に押し込んだ。

 ドアを閉じて背中で押さえる。すぐにドンドンと叩く大きな音がした。


「こら、君たち、何をしているの! 下校時間はとっくに過ぎたわよ。ドアを開けてとっとと帰りなさい!」


 クロブチが、まだ教師のふりをする。


「ジ、ジニ。どういうこと。先生が怒っているわよ」

「アオイ、あれは作られた殺人鬼だ。先生じゃない」


 ジニは背中でドアを閉じたたまま、必死にもち堪える。

 逃げる場所は?

 狭い部室は三面が壁で、外に通じる窓は棚で塞がれていた。隠れる場所も逃げる場所もない。


「棚をどかして、窓から逃げろ!」

「ど、どうやって」

「急げ!」


 ドンドンという音が、ガツガツという音に変化した。

 木製のドアを削る音だ。

 クロブチが持っていた両刃ナイフは、片刃ナイフより切れ味に劣るが、木を削るなどの作業に適している。


「早く! 急げ!」


 ジニの真剣な顔を見て、ヒマリがとっさに動いた。窓を塞ぐ棚の資料を床にバラバラと落とす。アオイもナギもミコトも事態が異様だと気づいたのだろう。

 必死で手伝いはじめた。

 ガツガツという音に合わせてジニの体が揺れている。


「ウッ」と、思わず漏らしてしまった声にヒマリが振り返った。

「ジニ、血が、血が、流れている」


 ジニの背中にナイフの先端があたった。同じところを突き刺しているのだろう。制服の布を破り、皮膚を剥がされると、鋭い痛みを感じる。

 激痛に身悶えしたが、そのまま背中で押さえた。


「きゃー!」


 事態に気づいたのか、ナギが悲鳴をあげ、その場にうずくまった。


「ミコト、ナギ! 窓から逃げるわよ」


 アオイが冷静に叫んでいる。


 ──そうだ、その調子だ。


 ヒマリがバタンと音をさせて棚を引き倒すと、アオイが窓の鍵を開ける。


「に、逃げろ……」


 ジニの声にミコトが窓から這い出し、次にナギ、アオイと続いた。

 背中にナイフの切先があたりにガツガツと突き刺ってくる。


「ヒマリ! 行け!」

「ジニ、ジニ、無理よ、置いてけない」

「行くんだ、僕は大丈夫だ。もうすぐ警察が来る。それまで、ここで持ち堪える……、ウッ」


 悲鳴を押し殺し、背中を刺される痛みに耐えた。こんなことは、これまでのことを考えればなんということはない。


「逃げろ、ヒマリ」

「ジニ……」


 ドアの隙間が広がり、ナイフが肌を突き破り背骨にあたる。


「ヒマリ、僕を信じてくれ」


 彼は大きく息を吸うと、痛みを無視して、つとめて冷静な声でヒマリに語りかけた。


「こんなことは、何でもないんだ。大切なのは、君が無事でいることだ。ほら、聞こえないか、警察のサイレン音がする」

「聞こえないわ、聞こえないわ、ジニ」

「行くんだ、ヒマリ。僕は君が安全に逃げたあとに、行くよ……」


 ヒマリの瞳孔が深い痛みを帯びて閉じ、彼を見つめる。

 おそらく、大丈夫じゃないと理解したはずだ。それでも、彼女はうなずいた。


「ジニ、待っているから」

「ああ、すぐ行くよ。待っててくれ」


 震えながらヒマリは手を伸ばすと、ジニの頬に触れた。


「逃げろ!」


 ヒマリは背後を向くと、振り返りもせずに窓にダッシュした。どさっという音がして、「逃げるよ、ヒマリ!」というアオイの声が聞こえる。


 ガツ、ガツッと背骨に当たるナイフの音。

 警察のサイレン音はまだ聞こえない。意識が遠のいていく……。目の前にある窓が歪んだ。


 ガツ、ガツ、ガツ。

 音が徐々に小さくなっていく。目がかすむ。

 ふいに音が消えた。


 静かだ。

 なんて、ここは静かなんだろうか。


 もう音が聞こえない。目も見えない……。




 眠りたいなぁ。これまで必死にがんばってきたんだ。もう休んでもいいだろう。そうじゃないか? 無慈悲な神さま。


 もう、僕は休んでもいいだろう?


 意識が遠のいた。

 ヒマリ、逃げたな……。




「ジニ、ジニ! しっかりしろ、ねるな!」

「ジッサマ、俺、……」

「ああ、ジニ、話すな。もう話すな。救急隊、急げ! この子を助けてくれ!」


 ──ジッサマ。


「……ありがと…」

「ジニ! 礼は今じゃない。今じゃないぞ!」





************************




 その後、緊急逮捕された佐々木優子の証言により、一ノ瀬病院に神奈川県警捜査二課のメスが入った。

 大掛かりな捜査により隔離病棟の闇が暴かれ、一ノ瀬病院の不正や汚職が次々と表沙汰になったのは、その後の緻密な捜査によってだ。

 それは、また別の話になる……。



 こうして、ジニの復讐の夏は終わった。



(つづく)

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