エピローグ
エピローグ
一ノ瀬家の醜聞は地上波や新聞でも大きく報道されることになった。
病院経営についての汚職は一ノ瀬克ノ介が主導しており、ジニの事件については娘の一ノ瀬憙津子とクロブチが深く繋がっていたという。潔癖な彼女は父親の浮気が許せず、また遺産相続にも絡むジニの存在は目障りだったようだ。
まだ、捜査段階であり、解明には時間を要するが神奈川県警が本腰をいれた。
こうして騒々しい夏が終わりを告げた──
季節は夏から秋に移る。
ジニは夏休みを病院で過ごし、退院したのは秋台風が通り過ぎた翌日、天は高く雲ひとつない美しい晴れの日だった。
永添が、おんぼろセダンで病院まで迎えに来た。
「ジッサマ、ひとりで帰れるよ」
「バカをいっちゃいかん、ジニ。悪くすれば脊椎損傷で歩くこともできん体になっておったわ。ムチャをしやがって。五体満足で退院できる奇跡を喜ばんかい」
あの夜、救急車で運ばれたジニは簡易的な治療を受け、横浜にある専門病院に転院した。
損傷した脊椎の一部を金属で固定するという手術ののち、リハビリを受け無事退院できるまでに二ヶ月を要した。当初は、それほど予断を許さない状況でもあった。
「退院の手続きは終えたよ」
「ありがとう、ジッサマ」
「ほお、スラスラとありがとうが言えるようになったか。出会ったころは、ブスッとして礼も言わん奴だったが」
病院を出たのは午後になってから、永添はジニの荷物をまとめてオンボロ愛車に載せる。
横浜にある病院から高速道路に入り、途中、朝比奈インターチェンジで降りる。鎌倉を抜け、茅ヶ崎方面に走る海沿いルートへと、永添はハンドルをきった。
平日の午後遅く、普段なら車の多い海沿いの国道も、今は、それほど渋滞がない。
永添があえて海沿いルートを選んで走るのは、ジニに美しいコースを見せてやりたいという親心だった。
江ノ島近辺では信号のつなぎが悪く流れが滞ったが、それ以外の道路はスイスイと進んでいく。
ジニは窓をあけて、潮騒の香りがする空気を吸った。天気がよく、美しい青空が広がり、正面にはくっきりとした富士山が見えた。
この道を静岡から逆に湘南方面へと自転車で走ったのが、遠い昔に思える。
「ジッサマ、富士だ」
「ああ、拝んどけよ。霊峰富士のご利益をもらえ」
残暑は厳しいが、日差しに秋の気配がする。
古民家を改修した民宿に到着したのは、午後三時過ぎ。
ここに住みはじめて、まだ数ヶ月なのに、すでに我が家のようなぬくもりを感じた。
「家に帰ってきた」
「ああ、そうだ、ジニ。おまえの家に帰ったんだ」
家に帰るという言葉が、どれほどジニにとって大事なものか、永添はよく理解していた。
だから、二回も「おまえの家だ」と繰り返した。
ジニが車から降りようとすると、永添が手助けするために助手席に回ってきた。
「もう、すっかり元気だ。自分で歩けるよ」
民宿の玄関は引き戸でガタガタと音がする。それさえも懐かしい。
ジニは引き戸を開いた。その瞬間、クラッカーが鳴った。
「おかえりなさい、ジニ!」
そこには懐かしい人たちが待っていた。
学校のクラスメートたち、ヒマリ、アオイ、ナギ、ミコト。永添の妻富子、祖母もいる。
多くの人に迎えられ、ジニは言葉を失った。
その日は遅くまでパーティが続いたのは当然のなりゆきで、酒の弱い永添が酔っ払い、富子に怒られる姿もいつもの光景だった。
夕食が終わり、民宿の食堂ではゲームをするもの、おしゃべりをするもの。みな思い思いの楽しみで過ごしている。
そんななか、ヒマリがそっと外へ出ていくのをジニは見逃さなかった。彼女は外へ出ると坂道を降り、海沿いの道路まで歩いていく。
一メートルほど離れて、背後からジニが同じ歩調でついて行く。
「なぜ、後ろを歩くの?」
「こうやって、後ろ姿を見て歩きたいんだ」
「変なの」
「横だったり前だったりすると、姿が見えない」
海は暗く水平線の境界があいまいで、ところどころに
横断歩道を渡り、海側のフェンスまで歩くと、波が埠頭にあたるチャプチャプという音が聞こえる。
ヒマリは海岸沿いをそのまま南に向かって歩く。国道を走る車のライトが、彼女の姿を照らしては走り去っていく。
「なんで家から出て来たんだ」
「不安になったから」
「不安って?」
「ジニは自覚がないのよね。すっごく美しい顔だってことに、さっきのパーティでもみんなの中心で。だから、わたしにはもったいなくて、不安になってしまう」
ジニはヒマリの腕を引くと、その肩を抱いた。小柄なヒマリはジニの腕にすっぽりとおさまる。
「ん?」
「だから、その、ジニ……」
「ん?」
「わたしには、もったいなくて」
「なあ、ヒマリ。僕にはずっと普通がなかったことを知っているだろう。普通の親、普通の友人、誰もが簡単に手にはいる、そういう普通とは無縁だった。だから、ヒマリ。好きな人ができるなんて思ってもいなかった……。いっしょに歩いたり、笑ったり、それから恋人になって、キスしたいとか、想像もしなかった。ときどき、すごく腹が立つことがある。君は僕をどう思っているのか、これが僕だけの気もちなのか、そう思うと腹が立つ」
波の音が聞こえる。
「あの最初の出会いから……、ずっと、わたしは……」
「なに、聞こえないぞ」
「だから」
ヒマリはジニの胸に顔を隠した。
「好き」
彼女の声は静かな波の音にのって、海をさまよう。
ジニは幸せだった。
ー了ー
Overwriting 〜僕は隔離病棟で愛を知る〜 雨 杜和(あめ とわ) @amelish
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