第4話 サイコパスvsサイコパス





 下校時間が過ぎて、教室のエアコンが自動的に消えた。ジニがちらっとエアコンを見上げたのと、クロブチが窓を開けたのはほぼ同時だった。

 夏の生暖かい風が入ってくる。


「まったく、律儀にエアコンを消さないで欲しいわ。まだ、残っているのに」

「残っているのは、二人だけさ」

「それでも、誠意は見せて欲しいのよ」


 夏の遅い夕暮れが迫り、街灯がぽつぽつと点りはじめた。

 クロブチは顔をゆがめ、笑っているのか泣いているのか、よくわからない表情を浮かべている。

 ジニは動けなかった。

 この気色の悪い女に、洗いざらい告白させなければならない。質問だ。質問をするんだ。

 そう焦ったとき、なにかのスイッチがカチリと合わさった。

 記憶……。そう記憶だ。

 一ノ瀬病院で治療を受けたヒマリは記憶を失っていた。コントロールされたのだ。


「あんたはナンバーだったのか? あんたも誰かに動かされているんだな」

「なにたわごとを言ってるの」

「いや、その前にちょっと待て」


 今日もヒマリたちのサークルで時間をつぶしてから、ジニはクロブチとの約束通り、下校時間に教室に戻ってきたのだ。

 永添と考えていたよりも事態は早く進行しそうだ。

 ヒマリたちには教室に用事があるから、先に帰ってと伝えた。

 しかし、教室に行くといって戻らない自分を、あるいは迎えに来るかもしれない。それだけは避けたいと思った。


「なによ」

「メールをしたいんだ」

「こんな時に余裕なのね」

「サークルのメンバーが間違って、ここに迎えにきたら、あんたも困るだろう。いいか?」


『用ができた。みんなで先に帰ってくれ』と、文字を打ってクロブチに見せた。


「ほら、これさ。いいだろう」


 クロブチは喉を見せて笑った。


「動じない子ね。感心するわ。いいわよ、送信しなさい」


 ジニは送信してから彼女と向きあった。

 ジッサマが言っていた。サイコパスは忍耐することが苦手だと。また、自慢したくて仕方ないナルシストだとも。


「なあ、どんな理由から坂部由香里を突き落としたんだ」

「酷い言い方ね。まるでわたしが殺人鬼みたいじゃない。あの子ね、屋上にあんたを連れてこいって言ったのに失敗して、それが許せなくて近づいたら、どういうわけかすごく怯えてて、自分で屋上からダイビングしたのよ。あいにくと途中で木に引っかかって、うまく死ねなかったみたいね。まさか、まだ生きてるなんて。今は一ノ瀬病院にいるから、母がね、なんとかしてくれる」

「母親ってのは、一ノ瀬憙津子いちのせよつこのことか」

「あら、よく調べたわね。頼友の母親は、わたしのママなのよ。本当はね」

「あんたも、たいがい複雑だな。てことは、俺と血のつながりがあるって言いたいんだな」

「笑っちゃうけど、あんたは、わたしの叔父になるの」


 クロブチが真っ赤な唇をぬめぬめさせながら近づく。ジニが後ろに一歩下がると、一歩前に近づく。


「まず、聞け」

「どうして?」

「教えたいことがあるんだ。一ノ瀬の隔離病棟ってのが、なんのために存在しているかってことだ」

「関係ないわ」

「いや、関係あるんだよ。表向きには犯罪者を隔離する場所だが。患者が少なくて、ほとんどは薬で眠らされていた場所だ」

「あんたもじゃない?」

「ああ、助けてくれる看護師がいなければ、そうだったろう」

「まったく、その容姿は得ね。女たちの保護本能をくすぐるのね。患者のなかでも優遇されていたってわけ」


 さあ、ここからが最も大事な質問だ。

 今なら調子にのって答えるだろう。クロブチの顔は紅潮している。興奮に我を忘れはじめている。

 ジッサマが言っていた。

 基本、犯罪者は愚かなところがあると。


「なぜ、僕を隔離病棟に入れたんだ」

「決まっているじゃない。選挙時に隠し子が名乗りをあげたらまずいでしょ」

「俺の母を殺したんだよな」

「ええ、そうよ。あの後もうるさくてね、だから仕方なかったのよ。あんたと違って、あの女なら自殺にしても誰も疑わないわ」


 あっさりと答えるクロブチに室内の温度が増した気がした。

 ジニは立ち止まって、数歩、間合いをつめ、彼女の不意をついて腕をつかんだ。その長袖をめくった。

 くるっと手のひらを返して、腕の内側を見る。

 やはりだ、数字がイレズミされている。


『1004』


「な、なにをするのよ」


 はじめてクロブチはうろたえ、ジニの手を払いのけて長袖を下ろした。


「やはりナンバーだ」

「何を言っているの」

「あの病院に入院したから知っているんだよ。あの隔離病棟は奇妙なほど患者が少ない。その奥にさらに秘密の病棟があって、少女が入院していたんだ。彼女の右腕にはナンバーがイレズミされていた。ちょうど、あんたの左腕にあるようなものだ」


 ジニがナンバーの存在を知ったのは偶然だった。

 看護師が『今日は著名な医師が来るのよ』と、世間話でジニ相手に漏らしたからだ。

『奥の特別な隔離室にね、少女が住んでるの。非行で捕まった子とかね。孤児で臨床実験をしているって聞いたわ。その子の腕にはナンバーが刺青されていたのよ。たぶん今の子で六人目? ナンバーは施術順みたい。でも、こことは違うすごく居心地のいい場所に住んでるわ。私は行ったことがないけど。そういう噂』

『なにをしているんだ』

『なんでも催眠療法とかをしているとか』

『催眠療法?』

『非行に至った悲惨な過去を忘れさせて、記憶を上書きして改心させるとか。そんなことできるのかしら。実験的とか聞いたけど。あらあら、話しすぎちゃったわ』


 クロブチと少女が重なる。


「なあ、ちょっとは疑問に思わないのか? あんたが一ノ瀬憙津子の娘なんてありえないだろう」

「ふふ、なんも知らないのね」


 次の言葉で衝撃を与えるために、ジニは後退すると、彼女の顔をにらんだ。


「なあ、君の母だという女の年齢を知っているのか」

「それが、なによ」

「一ノ瀬憙津子は四十五歳だよ。はじめて子どもを産んだのは二十五歳で、頼友の兄だ」


 クロブチの首がカクンと揺れた。その矛盾にこれまで気がつかなかったのだろう。巧妙に洗脳されている。


「あんた、何歳だ。いや、言わなくてもいい。三十三歳だよな。つまり、母親が十二歳で産んだ子になる。そんな年齢で子どもを産むなど、ありえんだろう」

「……」

「実際のところ、一ノ瀬家とあんたは、まったく血のつながりなんてないんだ。孤児なんだよ。マインドコントロールされて、彼らのために汚れ仕事をしている。ほんとは自分でも半信半疑なんだろう?」


 カクン、カクン、カクンと、クロブチの首が揺れた。



(つづく)

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