第3話 サイコパスvsサイコパス
「あんたは、被害者コスプレした河野淳子だろう」
ジニの声がクロブチの妄想を断ち切った。
──ああ、この子ったら全くしぶとい。
「記憶が戻ったのね」
「なにを言っている」
「だって、わたしを襲ったのに。頭に怪我して、すっかり忘れちゃって。先生、とっても悲しかったわ。犯罪者が自分の罪を覚えてないほど、被害者にとって悲しいことはないのよ」
クロブチはサングラスを弄ぶ。
外は薄暗く、照明のついた教室の窓ガラスが鏡になる。そこに映った自分の顔に軽くウインクしてみた。
完璧な顔、この顔、この目、この唇。
──ああ、そうね、唇がちがうわね。
クロブチはバッグから真紅のグロスを取り出して、慣れた手つきで、ぷっくらとした唇に塗った。
ぬめぬめしたグロスの感触は
上下の唇を合わせ、スッパと音を立ててグロスを馴染ませる。
この同じ動作をこれまで何度繰り返しただろう。
男をたぶらかす前?
周囲を魅了したいとき?
鎧をまとうようにグロスを塗り、上下の唇を合わせて音を立てる。その度に心地よく感じたのは、自分を取り戻せたように思えるからだろうか。
「あら、意外そうな顔をしているのね」
ジニは何も言わない。本当に無口な子だ。追い詰められているのに、これは珍しい反応だ。
脳内で警鐘を鳴らす音が聞こえた。
これは、左脳と右脳と、どちらが反応しているのか。もっと詳細に考えれば、感覚を仲介して感情を管理する間脳だろうか。本能をつかさどる大脳辺縁系だろうか。
クロブチは思考するとき、どの脳の部位が活発化しているか考察するのが好きだった。
「わたしね。感情を操る扁桃体の活動が低いんですって。だから、恐れを感じないのよ。刺激がないと生きてる感覚がなくて、脳が騒ぎたてて、うるさいったら。あの子の名前はなんだっけ。ほら、屋上から落ちたって思われてる子。ほんとはね、わたしが突き落としたのよ」
坂部由香里の話をしても、彼の表情は変わらない。
この子も、ある意味、自分と同じタイプなのかと思い、クロブチはニッと唇の両角を引き上げた。
何年か前、この笑顔を作るために、表情筋の動きを練習した。口端を引き上げ、歯を少し見せて、笑う。
笑顔を作ると、無性に楽しくなった。
目の前にいる少年は、これまでの羊たちとは、いささか違うかもしれない。
──ここは、じっくり考えなきゃいけないんだけど。でも、ワクワク感が止まらない。
脳が興奮している、絶頂へと達していく。
──これよ。これよ、この感覚!
「ねぇ、質問してもいい? あなたが興奮するときって、脳のどの部分が活性化するの? ここが弱いんじゃない? 扁桃体よ。位置がわかる? ほら、コメカミの奥に小さくおさまっているところ」
理解できないかもしれないという親切心から、クロブチは自分のコメカミを押さえて、コンコンと叩いた。
「ぜ〜んぶ、わたしがしたって気がついたの? で、どうするの?」
「全部ってなんのことだよ?」
「あんたを陥れたのも、あんたのダラシない母親を縊死させたのも、それから、坂部由香里とか。他にもモブたちのことよ」
舌舐めずりしたくなる。
この獲物は極上品。ほんと可愛くて、美しくて、大人と子どもの中間の朝陽がのぼる一瞬のきらめきを生きる魔物のような子だ。
そんなことは意識していないだろうけど。
この子の目には闇が宿っている。
たぶん、スマホで録音するとか、そんな小細工をしているんだろう。あとで、スマホを没収しなきゃね。
「あんたはナンバーだったのか」
ジニの反応は、いつも彼女の予想を裏切る。
ナンバー?
何を言っているんだろうか。ナンバーって言葉は、とても不快だ。
(つづく)
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