第2話 サイコパスvsサイコパス
「先生」
ジニの声で再び現実に引き戻されたクロブチは、ここが辻ヶ丘高校の教室であることを思い出すのに、少し時間を要した。
──思い出にふけっていたのに、無粋な子ね。
視線が合う。
あの少年は成長して、さらに美しくなった。顔を驚きで歪めている。なんというわかりやすい子なんだろう。
みな、この子の美しい顔に誤魔化され、この純粋な単純さを見逃す。
──そうよ、かわいいジニ。最初に出会った日を思いだしなさい。やっとこの高みにまで到達したのね。待ちくたびれて退屈しそうよ。
「あ、あんた」
「こらこら、先生にあんた呼ばわりは、だめよ」
「おまえは!」
「もっと失礼じゃない」
スリットの入ったスカート部分から、太ももが出そうなほど右足を前方にあげ、キックボクシングの要領で蹴りを入れる。ヒールの先を右目の直前で寸止めした。
ジニの瞳孔が狭まる。
かかと部分で目を突きさしそうな位置で止めたのは、まだ痛みは早いと思ったからだ。存分に痛ぶる快感は後に残すのが彼女のスタイルだ。
ジニは微動だにしない。
随分と度胸がある。いっそ突き刺してやればよかったか。
「なぜ、メールをくれたの?」
「あんた、あの女だってわかったからだ。この足を覚えている」
「でしょ。綺麗な足は自慢よ。覚えてくれたなんて、二人の間に何か特別なことがあったみたいで、ぞくぞくするほど嬉しいわ」
ジニの顔が歪んでいる。
やはり、十八歳の少年なのだ。若い。だから、退屈するかも。クロブチは退屈が一番に恐ろしい。
刺激がないと生きてる価値を感じない。
脳が妄想で震える。
この少年が喘ぐ姿、恐怖におののく姿、それらの妄想にどっぷりと浸かりたい。今日が、この子の命日になるのが、少し残念だけど。いずれにしろ、母にとって、この子は障害でしかない。これまで生かしたのは、この美しさを愛でたいと思ったからだ。
「まさかって、そんな顔をしてるわね。いい、言葉の用法を間違えないように使って欲しいのだけど。担任だから教えておくわ。まさかって言葉は予想していなかったことが起きたときに使う、かぐわかしき言葉なのよ」
「あの女、赤いワンピースの女だな」
「まさかって言いたいでしょ?」
「わかっていた」
「ああ、もう、さっきから会話が成立していないって気づいてないの? 語録が貧しいわね。学年順位ではどの位置よ。一ノ瀬頼友に勝てるの? そっか、負けていたわね。それで、あのときの事を言っているの。それとも、別のとき?」
あの時とは坂部由香里の事で、別の時とは横浜繁華街での婦女暴行事件のことを言ったつもりだった。
譲歩した親切な質問を、ジニは無視している。もしかしたら、傲慢な性格なんだろうか?
三年前のあの日、クロブチは赤いワンピースという服が目立つ格好でコンビニに入った。
バイトが終わったジニが私服で出てきた。
かわいい子だ。大人になれば、さぞかしイケメンになることだろう。
そんな子の未来を摘む、これこそが快感、退屈しない。
『レジはまだ?』
夜の店員が無愛想におつりを渡してから、ジニの後を追った。
目当ての少年は背中を丸めて繁華街を歩いていく。さりげない様子で後を追う。少年のいつもの行動だから、どこへ向かうかはわかっている。
前から歩いてきた女の子たちが、通りすがりに声をひそめ振り返ってジニの噂をした。
『きゃ、見た、あの子。かわいい!』
『推しより尊いかも』
そんな女の子たちにも、まったく無頓着な様子だ。
遠くから選挙カーの声も聞こえた。
『一ノ瀬克ノ介、一ノ瀬克ノ介。いの一番の一ノ瀬、一ノ瀬を、どうぞ、よろしくお願いいたします』
あの日は一ノ瀬の選挙カーがうるさかった。罠に陥れるには、うまい伏線だと思う。
何事にも、やはりストーリーは必要だ。
ジニがいつも帰り道にしている狭い路地に入っていく。
そこはビルの狭間の裏通り。人通りはなく、街灯もなく、監視ビデオもない。
クロブチは歩きながら、周到にまわりを観察した。監視ビデオの位置は確認してある。そこに鮮明に映る必要があった。
ニヤリと口もとがゆるんだのは、ご愛嬌だ。
ビルの壁際を歩き、路地の入り口で彼女は体をビクッとさせた。左腕を路地に向かってあげる。
体のコントロールは完璧だ。
パントマイムの人間が、誰かに引かれて動くように、その腕を中心に引きずられて路地に入る。
完璧だった。
ジニは前方を歩いている。
バッグからスパナを取り出しながら、全速力で走った。
彼が異常に気が付く寸前に、すばやく零コンマ一秒の速さで後頭部を殴りつけた。
ジニは自分に起きたことに驚き、体が硬直させた。その一瞬を狙い、彼の後頭部を壁に打ち付ける。
ヘナヘナをその場に倒れてしまった。
『たわいがないの』
頭皮は体の部位でもっとも血管が多い。
たいした怪我でなくとも出血量は多い。大量に流れた血は、壁にこびりつき流れていく。
ワンピースの裾を破り、胸元を裂き、血を股に塗る。
快感だった。
『キャ〜』と言ってみた。『う〜ん、違う。もっと差し迫った声よ。あ〜あ〜……きゃー!!』
大声で叫んだが、誰も来ない。地面を這う姿で叫んでみた。
『だ、誰か、誰か!! 助けて!』
誰も気づかないのだろうか。はあ、ため息しかない。まったく都会ってのはせちがらい。自分で警察に連絡しようとスマホを取り出したとき、路地の向こう側から人声がした。スマホのライトがこちらを照らした。
『た、大変だぁ? 警察だ。おい警察を呼べ!』
やっと気づいたの。遅いわよ。
(つづく)
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