第4話 15歳の哀しみと孤独




 沓鵞くつわし路二じにが、あえて編入が難しいとされる県立辻ヶ丘高校を選んだのは計画があったからだ。


 そこに、水城陽毬みずきひまりがいたからではない。逆に、彼女がいたことに驚いたほどで──


 神さまってのは、時に面白いイタズラをすると、彼は思った。面白くもあり、意地が悪くもあった。

 この高校へ編入した理由は真相解明に近づくことだった。

 近づいて何がしたいのか……。

 少なくとも理不尽な過去に決着をつけたいと思った。


 時に感情が理性をふさぎ、まともな思考を抑えてしまうことがある。感情など捨ててもいい。

 自分が力もなく哀れな存在であることに、悲しいとか辛いとか思う段階は終わった。


 母を自殺(?)にしたのも、母を病死にしたのも、まちがいなく誰かの事情だ。

 措置入院が終わり、静岡の祖母のもとへ身を寄せて、母の死が『心不全で病死』という、いっそ笑える結論を知った。

 そうだ。

 誰もが結論をつける。


「あの子は不憫な子だよ。幼いころから、申し訳ないことをしたよ」


 祖母は悲しみにくれたが、それでも母を『病死』にした。田舎の村で、自殺は外聞が悪い。あることないこと噂されることに怯えるのだ。


「僕の父親は誰か知っているだろう。バアちゃん」

「いや、あのな」

「母のことはわかっている。黙っておれる性格じゃない。きっとバアちゃんには漏らしたはずだ」

「なあ、ジニやぁ。おまえにとっては父親かもしれんが、向こう様はなんも知らんのだ。黙っときや。それがええ」

「教えてくれ」


 祖母はシワに隠れた細い目をパチパチと何度も瞬いた。


「教えてくれ」

「そんなことを知ってもな。辛いだけや」


 祖母を仏壇に手を合わせると、シワだらけの手でおりんを鳴らした。


「あんたも手を合わせよ」

「意味がないよ」

「バチ当たりなことを言っちゃいかんよ。困った子や……。そやな、知ったほうがええか。そうかなあ。知らん方がええと思うが、……あのな、あん人だ。あんたの父親は一ノ瀬さんだよ。一ノ瀬病院の元院長の、ほら、ポスターを見たことがあろう。あの県議会議員さんだ」


 一ノ瀬克ノ介いちのせかつのすけは県議会議員を勤める重鎮である。病院は息子の一ノ瀬克頼いちのせ かつよりが継いでいる。

 編入した辻ヶ丘高校で同級生となった頼友の父だ。


 祖母によれば、母が高校を中退した頃に心が荒れて、喧嘩で怪我をして一ノ瀬病院に入院したという。

 当時、まだ院長であった男が担当医だった。


「名前は?」

一ノ瀬克ノ介いちのせかつのすけちゅうが。向こう様は知らんことだから」


 母は美しかった。愚かで子どもぽい性格だったが美しかった。

 祖母は、その経緯をよく知らない。

 ただ、妊娠して戻ってきたとき、母は泣きわめいていたという。

 母の栄子と、どういう経緯からつきあったのか知らないと祖母はいう。


「栄ちゃんは遊ばれたんじゃ。それもわからんで、愚かな子だよ。妻のいる男が色目を使う娘に出来心を起こしたんじゃ。可哀想な子だ、ほんに可哀想な子や。そういう分別もつかんで、あんたを産んだ」


 心の奥底で種火がつき、急速に大火事になって、彼の顔を歪ませた。が、すぐに平静な表情になった。

 病院での日々に学んだのだ。

 空虚なからっぽの心。怒りや悲哀という感情に、脳は養分を与え続けるが、それを表面に出さない。


 それから、彼は憑かれたように一ノ瀬克ノ介いちのせかつのすけのことを調べた。ネットで得られる情報は多いようで、それは表向きのものばかりにすぎない。有名人ではあるので、家族関係などを知り得ることができた。


 一ノ瀬には、ふたりの孫がいた。ジニより二歳年上の立場上はおいと一歳年下の頼友だ。


 一ノ瀬頼友いちのせよりともは何不自由なく育ったが、おそらく兄に劣等感を抱いているだろう。それは経歴から簡単に想像できる。

 長男は私立の超難関中高一貫校を卒業後、国立大学の医学部に進学している優秀な男。

 次男の頼友は中学受験に失敗して、県立高校に通っている。兄の進学した私立高校からすれば、かなりレベルが落ちる。


 ジニは退院後、地元の誰でも入学できる高校に一年遅れで入学した。

 以来一年。遅れを取り戻すために猛勉強して、難関進学校である県立辻ヶ丘高校に転入したのだ。


 そこに、水城陽毬みずきひまりがいた。


 これは必然なのだろうか。それとも、偶然なのだろうか。これを必然と考えるような純真な心はすでに失っていた。






 転校初日。

 クロブチというあだ名の教師に連れられて教室に向かった。前担任が事故で入院して、クロブチはまだ担任になったばかりだと聞いた。


 二年B組。一学年に四クラスしかないので、一ノ瀬と同じクラスになる確率はあると思った。


「起立!」という、キビキビした声が聞こえた。


 廊下から背が高く伸び伸び育った体躯の、すでに青年といった姿。あれは間違いなく一ノ瀬頼友で、写真で見るより大柄だ。


「入ってきて」と、教師が呼んでいる。


 戸口の前でちょっと躊躇ちゅうちょした。

 その理由はわかっている。引き返すなら、今だからだ。


 母の顔が浮かんだ。

 どうしようもなく、愚かで、哀れな母。けっして満たされることがなく、嘘ばかり言っていた。


 もう少しでアイドルになれたとか。

 女優にスカウトされたが断ったとか。

 アラブの王侯にプロポーズされたとか。


 しかし、たった一度の恋については何も語らなかった。


 ──男なんて、みんな同じ。ひとりだけは違ったけど……。


 そう言って母は泣いた。


 ──あんたは、顔はわたしに似て綺麗で、そして、頭は父親似。いいとこ取りしたよ。

 

 自堕落で夢ばかりみて、少女から成長できなかった母。


 この教室をくぐり抜ければ、その先に何があるのか。

 彼はまっすぐヒマリに向かって歩いた。



(つづく)

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