第6話 ヒマリとジニと元警察官僚と




 数日後、DNA検査の結果が、住み込みの民宿に届いた。ジニの手は封筒を開けようとして止まった。


 ──あの男が父じゃなけれないい。父にまで捨てられたくないよな。このクソみたいな人生を生きるには、せめて父親くらいには愛されたい。そう思うのは贅沢ってことなのか。


 永添が、ジニの隣りで様子を伺っている。封を切り、中を確かめると書類はホチキスで止められ、二枚重ねになっていた。

 表紙をめくる指がかすかに震える。

 結果は……、九十九パーセント、親子関係と記してある。


「やはり、あの男が君の父親であることに間違いはないようだ。腐るなよ、ジニ」

「腐っちゃいない……、残念だけど」

「ああ、そうだな。世の中ってのは、不思議なほど悪い事が当たるようだ。宝くじは当たらんのになぁ。こりゃ、宝くじが当たるレベルの結果だぞ。ジニや、買ってこい。もしかしたら十億円当選できるかもしれん、おまえなら」

「ジッサマ」

「なんだ」

「なぐさめ方が下手だ」


 ふたりは民宿の二階、個人宅である台所にいた。民宿は夏休み前で閑古鳥が鳴いている。そもそも永添ながぞえは本気で商売する気もない。


 ジニをアルバイトで雇って、時間のあるときに庭や部屋の掃除をさせているだけだ。

 古民家を改装して作った民宿は、扉の建て付けも悪く、床も音が鳴る。


 廊下のほうから、ミシミシという音が聞こえ、次にガラリと扉が開いた。


「何してるの?」


 永添の妻である富子だった。


「なに、ふたりでコソコソしているんですか」

「婆さん、あんたは知らんほうがええことだ」

「まあまあ、孫を独占しないでちょうだい、勝手な人なんだから」

「いつから、孫にした。あっちへ行かんか」

「まったく、ジニちゃん。あとで風呂掃除をしてくれる。年を取ると、そういうのが辛くてね」

「あ、すみません。すぐします」

「後でいいわよ。この人をね、時々怒らないと、とんでもない事になるから。ねえ、知っている? 彼、若い頃は将来有望な警察官僚だとか言われていたから、それでほいほいと見合い結婚したのよ。警視総監夫人を夢見て結婚したら、なんと民宿の女将になっていたわ」と、カラカラ笑う。

「お気の毒です」

「おいおい、おまえまで」


 ジニは長い手足をなめらかに動かして立ち上がると、一階にある共用風呂に向かった。かま焚きの広い浴槽の掃除をはじめる。

 ブラシでゴシゴシと床を洗っていると憂鬱ゆううつな気分が晴れる。


 父親はやはり一ノ瀬克ノ介いちのせかつのすけだった。母は生活に困った挙句に、彼を脅して金を要求したのは間違いない。

 感情的で後先考えない母ならと容易に予想できる。


 ジニの事件が起きた当時、一ノ瀬克ノ介は県議会選挙の真っ只中だった。

 スキャンダラスなジニの存在は困っただろう。いや、困る所じゃない、脅迫に震撼したにちがいない。


 風呂掃除をしていると、叫べ、破壊しろと、心が騒ぐ。


 ──俺は生まれて来てはいけなかったのか。母にも父にも疎まれた俺は何者なんだ。奴らを罰したい……。


 隔離病棟で誰とも話すことはなく、ただ正解のない問答を続けた。あの鉄格子のはまった中庭、絶望から心を失った。


 ヒマリは爆発寸前の怒りを別の意識に置き換えてくれた存在だ。


 なぜ、彼女は忘れたのだろうか……。まったく記憶にないような態度。完璧に記憶していないなど、ありえないことだ。


「ジニや」


 穏やかな声が聞こえた。


「ジッサマ」

「大丈夫か、ジニ。この結果は、あらかじめ予想はしていただろう。だから、妙な気をおこすなよ。まだ、なんもわかっちゃいない。ただ、君の父親が誰かとわかっただけだ」

「なあ、ジッサマ。県議会議員で病院まで経営している男が、プロを雇って僕を陥れたり、母を殺したりするんだろうか」


 永添ながぞえは、ニッと笑った。


「ああ、そこだ、ジニ。ワシの警官としての経験だが。ああいう世界の人間が不正を行うことは、わりと容易なことだ。綺麗な女に手を出すなんて、世の中にはザラにある話だ。ただ、一線を超えた行為となると話は違ってくる。浮気はしても殺人に至るケースは少ない。殺しはな、これは別次元のものなんだ」

「じゃあ、違うと思っている」

「それは、わからんよ。成功した人間は臆病なところがある。失うものが多い者ほど慎重になるのは事実だ。ほら、ブラシを貸してみろ。風呂を適当に掃除しているんじゃない。婆さんに怒られるぞ」

「ごめん」

「なあ、ジニ。あわてるな。これまで待っていたんだ。ゆっくり考える時間はある。お前は立派に耐えてきた。復讐するにしても時間が必要だ。簡単に結論に結びつけようとしない方がいい」


 ジニはタイルを擦る手に力を加えた。ゴシゴシという音に気持ちが和らいでいく。


「いい子だ」


 掃除を終え、ジニは一階の自室に戻った。

 民宿の一階は食事所と廊下でつながる部屋が五つある。そのうち一部屋をジニが使っていた。


 畳敷の部屋は八畳ほどで、ベッドがひとつ。

 他の部屋は布団で寝るが、ジニの部屋だけはベッドと机が設置してある。


 ジニは、その一方の壁に白板を設置した。これまで調査した関係者の名前を書き出し相関図を作った。


 一ノ瀬克ノ介いちのせかつのすけの写真の上に、実父と記した。


 父親……、か。


 夜のガーデンパーティーで車椅子に乗った男。鋭い目つきをしていた。経歴書によると、一ノ瀬家には婿養子として入っている。妻のほうが年上だ。


 彼の年齢から類推すると、五十歳過ぎで二十歳前後の母と関係を持ったことになる。


 ──どっちも碌なもんじゃないな。ジッサマが長年、不正会計と汚職事件で追っている奴だ。奴にとって、母の存在はアリみたいなもんだろう。簡単にすりつぶすつもりが、反撃された。目障りな存在だったろう。




(つづく)

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