第4話 迷走する殺人事件



 その日、夜から朝にかけて学校には多くの警察車両が集まり、騒然とした雰囲気になった。

 ジニは所轄の警察署に呼ばれた。

 担任のクロブチや校長、教頭は学校応接室での警察からの聴取で終わったが、ジニは最後に会った生徒だったからと言われた。


 自殺か、事故か、事件か。

 由香里が屋上から飛び降りる直前、ジニが袖を引かれて廊下を走り、三階から屋上へ向かう階段を登ったのは、何人もの目撃者がいる。


 取調室のような狭い個室に通されると、ふたりの警官が前にすわった。


「捜査一課の矢部です」


 中年の目つきの鋭い男が名乗った。もうひとりノートパソコンを開いた若い男がいたが、何も言わなかった。

 こういう目つきも職業病なのだろうかと、ジニは漠然と考えていた。彼は、もう中学生でもなく、そして、こうした任意だが取り調べに近い警察の対応もはじめてではない。

 慣れることがいいとは言えない。

 大概の人は生涯に一度もこういう面倒に合わないだろう。彼らは警察にとってその他大勢であることの運の良さを知らない。

 ため息が漏れた。

 こんな態度はよくないだろうとは思うが、ため息しかでない。


「ずいぶんと落ち着いているね。君は過去に婦女暴行罪で家庭裁判所送りになっているんだね」

「そうです」


 ジニは挑むような目つきで警官の顔を見た。坂部由香里の投身は、自殺、事故、さらに可能性としての殺人事件を視野に入れているのかもしれない。

 ジニは刑法に詳しい。

 後ろ盾のない彼は、知ると知らないでは雲泥の差があると、骨の髄から知っている。


「さて、君が、なぜ階段で話していたのか教えてもらおうか」

「それは坂部さんに呼ばれたからです。彼女が好きな一ノ瀬頼友に、どうやったら好かれるかと聞かれました。というより、僕が一ノ瀬を好きなのかと問い詰められました」


 取り調べの警官は驚いて目を丸くした。その顔から想像するに、ジニが男性を好きなのかと思ったようだ。

 苦笑するしかない。これまでも、中性的な容姿で得になることなどほとんどなかった。


「坂部さんにも言いましたが、僕は好きな女性がいます」

「そ、そうか」

「警察では、坂部さんが殺されたと思っているんですか?」


 そう言ったとき、取り調べ室の扉がドンドンと性急にノックされた。

 返事をする前に扉が開いた。

 永添十紀夫ながぞえときおだった。彼はニコニコしながら入ってくると、馴れ馴れしく矢部の肩を叩いた。


「おいおい、矢部ちゃん。なに高校生相手にやっているんだ。これ任意だよね」

「ジッサマ」というジニの声と、矢部と呼ばれた警官が、「永添さん」と呼ぶ声はほぼ同時だった。


 ジニはあらためて、今では心強い味方がいることを痛感した。

 ジニの表情に全く変化はなかったが、実際は心の奥が熱くなり、なんだか泣きそうになった。目の端が少しうるみ、彼は唇を強く引き締めた。


「お久しぶりです。永添さん」

「ああ、元気だったかい。矢部ちゃん」

「今日は、あの」


 永添は、よれよれのグレーのズボンに白シャツという普段の格好のまま、飄々とした態度で、「立ちな」と言って、調書を記入していた警官から椅子をうばった。


「あのな、ワシの教え子が捕まったって聞いたんで飛んできたんだよ。これ、任意の取り調べかい?」

「永添さん、困ります。学校の生徒が不審な飛び降りをしましてね。あらましを聴取しているところなんで」

「おいおい、この子だけ警察に呼ぶって、そのいい訳にしては安直なことを言ってるじゃねえか」


 矢部は困ったなという表情を浮かべている。


「あの〜。調書を作っている途中で。沓鷲くんとは、どんなご関係で」

「あるも、あるも、大ありよ。うちで預かっとる」

「はあ、そこは先ほど住所で確認したばかりで。しかし、こんなふうに乱入されても困ります」

「いいか。こいつの過去を読んで色メガネで見とるだろう。そこには書かれてない事実を知っとるか?」

「いえ」

「冤罪だよ。この子は婦女暴行など起こしちゃおらんよ」


 やれやれというように、矢部は頭をかき困ったような表情を浮かべた。


「なぁ、矢部よ。話していて思わんか。この顔だから、どうしても色メガネでみたくなるだろうが。どっちかいやあ、女から暴行を受けても逆に不思議じゃないわな」

「ジッサマ」

「いいか、ジニ。はっきりせんと、おまえはその容姿で勘違いされやすい。苦労してきたんだよ。矢部ちゃん、こいつは婦女暴行を起こすようなタマじゃない。逆に向こうから寄ってきても不思議じゃないだろう。でな、婦女暴行の十五歳の少年が、その結果はありえんこったと思わんか。一ノ瀬の隔離病棟に入ったんだぞ」

「まあ、確かに」


 矢部は苦笑した。

 永添は机に置いてあったICレコーダーのスイッチをオフにした。


「こっからはオフレコだ。一ノ瀬の隔離病棟ってのは、なにかと色付きだ。しかし、さすがに未成年の入るとこじゃない。あいつらは何を隠したかったと思う?」

「なんですか?」

「あの何かと胡散臭い病棟に半年いたのは、この子が一ノ瀬の隠し子だからだ。DNA鑑定書を見せてやってもいい。押し込められたときは、まだ中学生でな。県議会選挙の年だった」


 狭い取り調べ室のドアが開き、さらに別の男が入ってきた。


「永添さん。困るんだよ」

「立山まで、おまえ、なんでいる」

「ご想像通りですよ」

「ジニ、帰るぞ」

「え? いいんですか?」


 永添は立ち上がると、狭い部屋からジニを救出した。


「矢部ちゃん、それに立山。狙いはわかっとる。あとでワシから説明する。こいつは今回の飛び降りには無関係だと保証する。連れて帰るよ。すまないね」

「永添さんに言われちゃ……、引き下がるしかないですが。まだ例の件、立件をあきらめちゃないんですね」

「ワシの執念深さを知っとるじゃろう」

「でしたら、今後は気をつけてください。永添捜査官」


 永添は肩をすくめると、人のよさそうな顔をして、くしゃくしゃに笑った。


「じゃ、またな」


 背中を丸め、ジニを連れて去っていく永添の後ろ姿に、ふたりの警官は背筋をビシッと伸ばし敬礼した。


 永添ながぞえは、現場の警官たちに敬愛されてきた。もともと本庁で採用された警察官僚にもかかわらず、現場警官に慕われたのは、官僚としての出世より現場主義を貫いたからだ。

 官僚として、それが正解かと言われれば、永添は違うと言うだろう。


「技術屋が技術から離れられないように、ワシは現場が好きなんだよ。なら、警官に応募しろと思うだろ。しかし、それじゃあ出世が遅すぎてな。だから近道したんだ」というのが彼の言葉だった。


 退職後は安い民宿を経営し、非行少年の更生に寄与する。筋の通った芯のある生き方には誰もが一目置くしかない。


 五年前、退職したときには多くの現場警官が別れを惜しんで集まった。今も『伝説のキャリア警官』として記憶する者も多い。


 だからこそ、矢部と立山は黙認した。

 警察署を出ると、ジニを車に乗せて永添は民宿に戻った。


「ジッサマ、どういうことですか?」

「ワシが偉い奴だったということだ。それで、これはどういうことじゃ。しっかり説明してくれ」




(つづく)

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