第3話 迷走する殺人事件
「ヤバイ! ヤバイ、ヤバイ!」
放課後、クラブ活動がはじまる前の午後三時過ぎ。「ヤバイ」を連発しながら、野崎が教室に飛び込んできた。
制服のズボンからシャツが半分飛び出すだらしない姿で、相当に慌てたようだ。
教室に残っている生徒は少ない上、野崎の大騒ぎはいつものことで誰もがまたかとスルーした。
「一ノ瀬! なあ、一ノ瀬!」
一ノ瀬がカバンに教科書を詰めながら、面倒臭そうに相手する。
「どうした」
「い、いち、一ノ瀬。ヤバイ、これはヤバイぞ」
「他に言う言葉がないのか、野崎」
「それな」と、隣りにいた子がせせら笑った。
「だ、だってよぉお。あんな、俺が廊下を走ってたん。それで、ヤバイって」
興奮しすぎた野崎は、まともな会話ができない。
「なんだ、はっきりしろ」と一ノ瀬が肩を叩いたとき、校内放送がはじまり野崎の声が遮ぎられた。
『全校生徒の皆さん。今日の課外活動は中止になりました。すみやかに帰宅してください。繰り返します。クラブ活動など、すべて中止です。先生の指示に従って、すぐ帰宅してください』
「どういうことだ、野崎。なにか知ってるのか」
「だから、ヤバイって」
「チッ。早く要点を言え」
クラスに残っていた生徒が野崎の周囲に集まった。ヒマリもアオイの背後で彼の言葉を待った。
「あのな、坂部由香里が屋上から校舎裏に飛び降りたってよ」
「翼でも生えたんか」
すっとんきょうな一ノ瀬の返答は、あまりに的外れで誰もが一瞬だけ由香里の背中に羽根が生えたのかと想像した。
「一ノ瀬ってば」
「野崎。それ、まさか自殺ってことなの?」
冷静なアオイが、皆の聞きたいことを代弁した。
「屋上から落ちてくるドサッて音を聞いたらしい。なんかすごい音だったとよ」
「ドサッて音?」と、ヒマリはつぶやいた。
屋上から飛び降り。
ヒマリの脳に奇妙な映像が浮かんだ。
……鉄格子の向こう側、……有刺鉄線の先、屋上……
ドサッ!
ドサッ!
ドサッ!
その音が生々しい。
……ジニが、ジニ?
頭が痛い。キーンと耳鳴りがすると、脳の深い箇所から失われた映像が甦ってくる。
「どうしたの、ヒマリ。顔が真っ青だよ」
「アオイ、アオイ……。わたし、中学の頃、変だった?」
「あんたはいつも変よ」
「なんか、忘れてしまったことがある。忘れちゃいけないことだった気がする」
「もしかして、あれのこと? ほら、メールしてきた少年のこと。退院したあとで聞いたら、ぜんぜん覚えてなかったじゃない」
一ノ瀬病院を退院して、最初にアオイに聞かれたことが、それだった。
『すっごいイケメン少年発見、まるで天使』とメールに書いたのを見せられても、書いた覚えがない。
ヒマリのスマホからは、その内容が消えていた。
母親がチェックするので、ラインやメールは既読になると、すぐ消す習慣だった。データは残っていないし、なにより高校になって機種も変えた。
「イケメン少年って」
「ヒマリ、なんで覚えていないんだろうか。間違いなく、あんたは電話でもメールでもワクワクしながら書いてきたんだよ。わたしね、そのイケメンって沓鵞路二のことじゃないかと思っているんだ。彼の行動を観察していると、あんたが前に言っていた天使じゃないかって」
「わからない、本当にわからない。あの頃のことって、すべてが霧のなかにあって。アオイ、頭が痛い」
「ともかく、すわって。落ち着いてよ」
ざわめく教室で、残っていた生徒がノロノロ帰り支度をしているところに、クロブチが教室に入ってきた。
「こらこらこら。君たち校内放送が聞こえなかったの?」
「先生、何があったんですか」
「先生も、まだ、よくわからないわよ。ともかく、今日は帰って自宅待機してね」
「明日はどうするんですか?」
「一斉メールを送るから。それまで自宅待機」
自宅待機に歓声をあげたい気持ちは誰もがあったが、しかし、野崎の報告で、みな慎重になっている。
「さあ、下校しなさい。ごちゃごちゃ言ってない」
野崎がすくっと立ち上がって聞いた。
「先生! 沓鵞路二が、坂部と一緒だったと聞いたけど。本当ですか?」
「野崎くん、それどこの情報?」
「階段で沓鵞が坂部と屋上に向かったところを、見てる奴がいて」
その場にいた全員が固まった。
「いいかしら、野崎くん。今回はちょっと軽率じゃないかな。憶測で何も言ってはいけないのよ。ともかく、みな帰りなさい」
ヒマリの脳内で、いろんな映像が氾濫していた。
ジニ。美しい少年。
……隔離病棟。
彼は、彼は……。
「ヒマリ、ほんと変だよ。ともかく家に帰ろう」と、ミコトが言った。
「うん、なんか倒れそうな顔をしてるよ」
ナギが、ヒマリの顔を覗き込んだ。
アオイがバッグを持つと、ヒマリの肘をつかんで教室から出た。
「歩きながら話そうよ。気になることがあるんだ。もしかして、記憶が戻った? ヒマリ」
「どういう意味」
「中学の頃、一ノ瀬んとこに入院してたでしょ」
「うん」
「時々、見舞いに行ったけど。ある時から、急に楽しそうになった。それで、こっそり言ったよね。好きな人がいるって」
「わたしが?」
「そう、わたしがさ」
記憶にない。記憶にはないが、喉に魚の骨が引っかかったような歯痒さを感じる。
「そんなこと覚えてないけど」
「そこだよ、奇妙に感じたんだ。いったい、あの病院で何があったの」
飛び降り自殺……。
灰色の蔦の絡まる建物の屋上、有刺鉄線。
佇む少年。
フラッシュバッグするように、画面が次々と現れた。
酷い頭痛がして、ヒマリは思わずその場にしゃがんでいた。
「ジニ……、ジニはどこにいるの?」
(つづく)
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