第9話 迷走する殺人事件



 女だな……。それもとびきり賢い。

 男であれ、女であれ、そもそも犯罪者は愚かな人間が多いというのが永添の持論だ。

 賢いつもりの大バカもの達だ。

 犯罪が割にあわないことなど、考えれば容易に想像できる。

 しかし、稀に、この愚かさの範疇に入らない者がいる。

 いっさいの罪の意識もない、そんな薄気味悪い奴らだ。本来なら、その才能を世のために役立てれば良いものを、彼らは自らの性癖に支配されてしまう。

 ジニがこちらを見ている。

 はじめて会ったときの、生きることに窒息したような視線は少なくともなくなった。それが自分の功績ならば喜ばしいことだと思うが、たぶん違うだろう。

 永添は、いかなる種類の虚栄とも無縁の人間だ。


「僕を陥れた女だけど。『河野淳子』がニセモノだったことを、なぜ警察は調査しなかったんだろうか?」

「未成年の事件は家庭裁判所にいく。大人の事件でも、痴漢の冤罪はたまに起きる。被害者に怪しいところがなければ深く追求することはない。名前と住所、それから身元証明書がしっかりしていたのだから、被害者の書類に不審な点はなかった。その上にな、女が路地に引き込まれる防犯ビデオの映像、壁に残った血の跡、目撃者の証言。すべておまえを犯罪者にするために周到に用意されていた。常識的に考えれば、十四歳の少年を陥れるために、そんな無益なことをするなど考えにくい」

「……悔しい」


 ジニの顔がピクピクと痙攣した。

 この子はときどき、こんな顔をすると永添は思った。それがいいことなのか、悪いことなのか、長い人生を生きてきたはずなのに、いまだに、こういうケースで結論を出せない。


 ──ヤワじゃないな。


 彼は頭をかいた。


「上告するという方法もあったじゃろうが、おまえの周囲に、それがわかる人物はいなかった。後ろ盾もなく知識もない十四歳の少年に戦う術などなかったじゃろう」

「……」

「過ぎたことは過ぎたことだ。で、消えた『河野淳子』は防犯ビデオに顔がはっきりと写っていない。前髪が長いおかっぱ頭で、顔を隠していた。カツラかもしれんな。これはビデオに顔が映るのを巧妙に避けた結果だろう。だが、おまえは顔を見たんじゃろう」

「あの時は興奮して、自分の状況がわからなかった。僕は頭を殴られた被害者だと思っていたんです。まさか、自分が暴行したなんて思ってもいなかった」

「担当警官に聞いたがな、被害者は非常に怯えていたそうだ。ガタガタ震えて、まさに被害者そのものだったらしい。入院した病院は一ノ瀬の横浜分院で、その姿が演技だとすれば、まさに女優だな。警察の取り調べに対しても、半狂乱でなかなかできなかった。そして、母親という女性が来て、すぐに連れ帰った。まあ、無理もないと警官たちも思ったようだ。被害者が消えた今、彼女が誰だったのかを調べるのは容易ではない。同性同名の女性が、その住所にいたことは間違いない」


 ジニは白板を眺め、佐々木優子(クロブチ)を指さした。ニヤリと永添が同意する。


「彼女、僕の転入前に赴任してきました。それも不自然なことに、前任者が入院したことによってです。それに……」

「どうした」

「間違っているかもしれませんが。似ているんです。体つきとかが、あの被害者に」

「河野淳子にか」

「はい、彼女の年齢は二十九歳という届出でしたよね。クロブチ先生は三十歳をすぎてますが、でも」

「ああ、そんくらいの違いは誤差範囲の年齢じゃ」

「いつも顔の半分もあるサングラスで顔の輪郭を隠しているんですが」

「顔を見ればわかるか」

「あの場所は暗かったので、確信は持てない」

「ジニや。想像通りなら、クロブチは危険な女かもしれん。昔話だがな、捜査二課で一ノ瀬病院を捜査していた一人に藤代拓也という子がいたんだ。藤代は女にのぼせた挙句に証拠品を盗んで警察を辞めた。その後、行方知れずでな。居所がわかれば、女の似顔絵が描けるのだが」


 この民宿は古民家を改築したもので、照明も昔ながらの白熱灯が多い。


『そのうち、換えの電球が売られなくなるわよ』と、妻の富子が心配している。

 永添がそのままにしているのは、LED電灯より温かみのある光が好ましいからだ。

 その電灯がカタカタと小さく揺れた。


「なあ、ジニや。警官を長くやっているとな。時に心底こわい奴に出くわす。普通の犯罪者のようなトボけた奴らのことじゃない。背筋が凍るようなというかな。困ったことに、そういう奴らは常に自信に溢れ魅力的な人物であることが多い。社会に一定数いる。成功者たちにさえもだ。平然と嘘をつき、他人を傷つけても悪びれることがない」

「僕の生物学的な父親について言っているんですか?」

「まあ、あの男もそうかもしれんな。しかし、もっと怖い奴だ。人の気持ちを読むことにゃあ長けているが、共感することはない。人のために泣かない奴だ」

「サイコパス」

「ああ、そうだ。男のほうが多いが、たまに女にもいる」

「僕の生物学的な父は関係ないと」

「どうだろうか。見て見ぬふりをしているのかもしれん。利用できるうちはな」


 ジニは顔を伏せた。天井から吊り下げた電灯が小さくまだ揺れている。軽い地震だろうか? 震度にすれば一もない程度だが、古い民家は揺れやすい。


「僕が自分がそうじゃないかと疑っています」

「ジニ、疑うからこそ、おまえはサイコパスじゃないんだよ。奴らは反省などしない。人の性質にはな、誰にでも少なからずサイコパス的な要素はある。話が逸れたな。ワシが言っているのは真正のサイコパスのことだ。君を陥れた奴は、おそらく、本物のサイコパスにちがいない」


 永添はひと呼吸おくと、ジニの両肩を叩いた。


「いいか、ジニ、用心しろ。奴は自信過剰で、自分が負けるなどと思っておらん。だからこそ危険だ。自分の計画通りに事が進んで退屈しているはずだ。そろそろ忍耐が尽きる頃あいだろう」

「わかっています。そこを確かめるために、もっとも怪しいクロブチにメールを送ってみます。その結果、彼女がどういう反応をするかで、結論がでるでしょう。もし、彼女がサイコパスなら、きっと乗ってくるはずです。心理学の本によれば、そういうタイプはナルシストが多いそうですから」

「ああ、そうだ。もう釣るしか方法はないな。危険ではあるが、やつ価値はあるだろう」


 ジニはスマホを開くと、学校担任であるクロブチにメールを送信した。


『全部、知っている。明日の放課後、下校時間後に教室で話がしたい、沓鷲』



(つづく)

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