第7話 迷走する殺人事件 




 休校は一日だけで、学校はすぐに再開した。


 坂部由香里については、「事故で入院中」とだけ発表があり、親への説明など学校側も苦慮したようだ。生徒たちには何も知らされず、適当な噂が飛びかったのは、こうした場合にありがちな状況だ。


 SNSでも騒ぎになったが、実際のところは何もわからない。

 生徒たちも愚かではない。噂をネットに乗せて学校に知られ、内申に反映されては困るという、生徒なりの大人の事情があった。


「屋上から落ちたって、デマかもよ」

「そうなんか?」


 実際に由香里が落ちたところを見た者はいない。

 校舎裏に人が落ちたような大きな音を聞いた者がいただけだ。

 救急車がきたという事実は確かで、徐々に実際に何がおきたのか有耶無耶うやむやになった。


 だから、生徒たちの切実な願いは、もっと休校になって欲しかったというものだった。


 二年B組では、坂部由香里の席が空席で公には「病欠」。ジニも登校しないので、みな半信半疑で何があったか想像した。


「一ノ瀬よぅ。あの、あの子、おまえんとこの病院に入院してるって、ほんとか?」


 野崎の声は大きい。

 朝のSHR(ショートホームルーム)前で、登校した全員が一ノ瀬と野崎に注目した。


「沓鷲と階段を登っていったらしいけどな。どうなっているんだ」

「知らないさ。病院の入院患者をいちいち把握している訳ないだろう」


 実際、一ノ瀬頼友は何も知らなかった。父親にそれとなく聞いてみたが、はぐらかされただけだった。


「沓鷲のことは?」


 ジニの名前が出るたびに、ヒマリはビクっとした。ヒマリの席に集まっていた仲間は、その様子を見て心配した。


「沓鷲くん。警察に連れてかれたと聞いたわよ」と、アオイが教えてくれる。

「警察に?」

「一部の人が言ってるけど。ほんとかどうか、噂レベルだけど。彼、坂部と一緒に階段を登っていたそうで、最後に彼女と話したのが、彼ってわけで。それで」

「まさか、そんな」


 ガラリと音が響いて教室のドアが開くと、頭からぬっと人があらわれた。

 ジニがカバンを肩に乗せ教室に入ってきたのだ。

 急に会話が途絶える。

 全員が彼に注目した。

 ヒマリの仲間はジニの席を開けるために、それぞれの席に戻った。

 ジニは慣れているのか、まったく無頓着な様子で、まっすぐヒマリの隣席にくる。と、どかっと椅子に腰を下ろした。少し疲れているようだが、「おはよう」と挨拶をすると、ニコッとほほ笑んだ。

 その様子はいつも通りで、拍子抜けするくらい普通だった。

 クラスのざわめきが戻ってくる。


「お、おはよう、ジ、ジニくん」

「最初の授業はなんだった?」

「あ、暑いね。朝から、あの蒸す日で」


 ジニは机に肘をついて、片手に頬を乗せヒマリを見て、ヒマリのトンチンカンな返答に、軽く右眉をあげた。


 ヒマリは別のことを話したかった。

 たとえば──

 坂部由香里と何があったのかとか。隔離病棟のことを少し思い出したとか。


「いつの日にも増して、動揺してるな。何があった」

「なにがって、坂部さんが」


 名前を出してから、はっとして口ごもった。また、周囲がシンとして、尖った静けさが戻る。誰もが次の言葉を待って、何気にヒマリたちを注目していたようだ。


 ──ああ、困った。どうしよう。また注目されている。


 そう思うと、体が勝手に動き立ちあがっていた。ガタンと椅子が鳴った音に、ヒマリはびくっとする。


「ヒマリ」と、彼が呼んだ。


 ジニが下の名前で呼び捨てする声を全員が聞いた。と、別の方角からも呼び捨てする声がした。


「ヒマリ!」


 一ノ瀬が彼女を名前で呼び、クラス全員が驚いて、ふたりを見比べた。

 ヒマリに彼が甘いのは、誰もが周知のことだが、こんなふうに独占欲を丸出しにしたことはない。

 ヒマリはアオイに救いをもとめた。


「あ、あの、アオイ。トイレにつきあって」

「ああ、そうね、ヒマリ。この場合、それが最善の選択肢かも」

「ねぇ、わたしも一緒に行きたくなったわ」

「ナギ……」

「やだ。わたしだけ仲間はずれにしないでよ」


 ミコトまで立ち上がる。

 ヒマリを中心に四人が教室を出ていった。


「ねぇ。何事よ? アオイ」

「ナギよ。ヒマリの状況を、わたしに聞かれてもわからないわよ。ともかく、クラスの二代派閥が戦う準備をはじめたわね」

「いやだ、なに、それ、ヒマリを中心にってこと。わたしじゃなくて」

「ミコト、どんなにあんたが胸が大きくても。男たちには、なにか譲れないものをヒマリが持っているのよ」

「ヒマリ、白状しなさい。何が起きてるの」

「わ、わからない。ほんと、わからない」

「あのイケメン転校生、まちがいなく、あんたがターゲットよ」

「まさか……」

「だよね。わたしに譲りなさい」

「ミコト、だから巨乳だけじゃ勝負ができないこともあるって」

「ナギ、ミコト、黙りなさい! ヒマリが困ってるから。ますます混沌としてしまう。ともかくさ、今は静観して成り行きを見守ろう」

 

 四人は始業ベルが鳴ってから教室に戻った。クロブチが教室のドアを開くタイミングで後部ドアから戻った。


「これは、これは、珍しく静かね」と、クロブチが黒板の前に立つと言った。

「起立!」


 一ノ瀬が号令をかける。


「礼!」


 クロブチが全員を見渡してから、ノートを開いた。


「出席を取るわよ。休んでいる子、返事を!」

「先生、休んでる人が返事なんてできないですよ」

「野崎。予想通りの良いツッコミね。誰も笑わないわよ」


 クラスの緊張が解け、ヒマリはほっとした。

 それから、いつもの時間が過ぎていった。口火を切るのが怖いこともあって誰も坂部由香里について話さない。


 ジニが警察に連れて行かれたのは、SNS投稿が禁じられていたにもかかわらず、裏アカサイトで拡散していた。

 驚いたことは、その裏アカでさえも、いつの間にか消されたことだ。


 その事実が、逆に生徒たちの口をつぐませ、噂は静かに地下へもぐった。



(つづく)

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