第4章

第1話 15歳の哀しみと孤独



 三年前──


 沓鵞くつわし路二じにが、暴行事件の被疑者として警察から家庭裁判所へ送致されたのは、あと数ヶ月で十五歳になる年だった。


 彼が大人びたのは、人生が楽なものではなかったからだ。

 

 守られ甘えられる家族がいて、普通に学校へ通う。そんな普通が、ジニには決して手に入らない贅沢だ……。

 彼は、ひとりで生きてきた。

 ひとりで生きるしか術がなかった。


「ジニや、無理やり大人なるしかなかったなんてな。ばあちゃんが守ってやれなくて、ごめんな。ジニや、ごめんな」と、隔離病棟から引き取ってくれた祖母は泣いた。


 祖母が事件を知ったのは、ジニが家庭裁判所から隔離病棟に送られた半年後。

 あまりに遅かった。

 たとえ、早くに知ったにしても、畑で働くことしか知らず、田舎から一度も出たこともない八十一歳の彼女にできることは何もなかっただろうが。

 田舎の狭い世間に生きる伯父伯母たちは、堕ちた妹と父のない子を厄介者としか思っていない。


 ジニが頼らなかったのは、その状況を知っているからだ。彼は孤独で、自分が孤独であることさえ知らなかった。

 黙って耐えるほか、少年には術がなかったからだ。


 ジニの母、沓鷲栄子くつわしえいこは祖母が遅くに産んだ末娘だ。多くの子を育てながら農家を営む祖母にとって、末娘まで世話をするヒマがなかった。

 ただ、末娘は他の兄弟姉妹とちがい、ずば抜けて美しい子に生まれた。

 美しい顔は必要以上に注目を浴びる反面、その御し方も知らずに育つと不幸でもある。

 

 顔を武器に栄子は男たちを渡り歩き、当然のように騙された。男運が悪いと愚痴を言うが、そういう悪い男ばかりに惚れる彼女にも問題があった。


 そんな彼女の場当たり的な生き方が、結果としてジニを傷つけることになった。


 婦女暴行で警察に捕まり、「僕は、やっていない」と、どれだけ訴えても、誰も聞いてくれない。


「おまえ以外の誰がいた。誰もいなかっただろう。ほら、コンビニから歩いている姿が防犯ビデオに写っている。この前後に、路地に入った者はいないんだ。おまえさんだけだ」


 たしかに、防犯ビデオに彼の姿が写っていた。

 コンビニから出た彼の背後から赤いワンピースの女が出てくる。そのまま、ふたりは近い距離で歩く姿が、別の防犯ビデオにもあった。


 勤務時間が終わって私服に着替えているとき、その女がコンビニに入って来たようだが、全く覚えていない。


 あの夜は、いつもの道を歩いて帰っただけだ。

 防犯ビデオはジニが事件現場となった路地に入るところを撮影している。その直後、不思議なことに、歩いて通り過ぎようとした女が路地に引き込まれた。そこも防犯ビデオで撮影されている。


 あの夜は頭がぼんやりしていた。

 疲れたのかなと思った。


 路地に入って頭を殴られ気を失った。その次の記憶は、周囲に多くの人が集まり、そのまま警察署に連れていかれたということだ。


 ジニを問いただす警官は威圧的だった。


「さあ、もう一度、最初からだ。コンビニのバイトを出てからどうした。なぜ、あの人気のない路地を通った」

「だから、あの道は家に帰る近道だからです」

「そうだろう。人気のない、よく知った道に被害者を連れ込んだんだな」

「ち、ちがう! 本当にちがいます」


 何度も何度も同じ会話が繰り返され、ジニは混乱した。その後、警察から家庭裁判所に送られると、精神鑑定が必要だという結論になったのだ。


 家庭裁判所の調査官は最初から有罪ありきでの証言を強要した。有罪以外の言動を認めなかった。捜査もおざなりであり、焦点は精神的に問題があるかどうかに絞られたが、中学生のジニに理解できるわけがなかった。


 時が過ぎるにつれ、記憶は不確かになっていく。もしかしたら、自分がやったかもしれないと思うこともあった。


「被害者の女性は君に襲われたと証言しているんだ」

「やってない。何度も言ってる。頭を殴られて目が覚めたらそうなっていた。僕の後頭部に殴られた痕があるはずだ」

「いいかね。被害者は君に襲われ、防衛するために突き飛ばした。弾みで路地の壁に君の後頭部がぶつかり、結果として気を失ったという証言をしている。君がどれだけ否定しても、そこは証拠として残っている。この写真を見たまえ」


 調査官が提示した写真には、あの路地裏の壁が撮影されており、壁には血の痕が殘っていた。


「ほら、ここだ。ここにぶつけて気を失った。記憶がないなどと、いつまでも嘘をついていると心象が悪くなるぞ」


 そんなやり取りが何度も続き、精神鑑定が行われた。


「脳の専門家によるとな。強い衝撃によって記憶がとぶことがあるそうだ。一時的記憶喪失ということで間違いない。なんでも、利己的に脳が記憶を改竄かいざんすることがあるというんだ。君の年齢からいっても、ありうるケースだそうだ。君が思い込んでいる記憶は不確かなものだ。事実は、あの時間あの路地に入ったのは、君と被害者しかいない。監視ビデオは嘘をつかない」


 一度だけ面会にきた母は、「ごめん、ジニ、わたしのせいよ。母さんが悪いんよ。早く謝って許してもらいな」と、酒臭い声で泣き崩れた。


 十代の頃、田舎ではミスコン女王として、美貌をうたわれた母だったが、四十歳近い今では、不摂生がたたり十歳以上老けて見える。


 ただ泣き喚くだけの母に、調査官ももて余していた。そんな母が恥ずかしいという思いはジニにはない。すでに、小学生の頃から気持ちの上で母を捨てていた。




(つづく)

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