第2話 15歳の哀しみと孤独




 婦女暴行のレッテルがはられた子ども、無力で、非力で、ジニは早く大人になりたいという気持ちは切実だった。

 精神病院の隔離病棟への送致は、十四歳の少年には珍しいケースだと、後に知った。


(だからどうなんだ。今さら、どうしようもない)


 精神科医だという老人を思い出す。シワが深く頑迷そうな顔つきの医師は諭すようにジニに語った。


「脳はね。不思議な働きをすることがあってね。一時的に記憶喪失を起こすことがある。ちょうど今の君だ。君は一ノ瀬病院に措置入院して、著名な医師に診察してもらえるようにしたよ。そこで更生することを願っているよ」


 調査官や医師の言葉に無力感しか覚えなかった。彼は心を閉じた。すべての感情も、感覚も失った。


 提供された食事を機械的に口に入れて飲み込む。

 味がしない。

 何を食べても砂のような味がする。


 この時は地獄だと思ったが、その先に更なる地獄があるなどと思いもよらなかった。


 外部を高い鉄格子で囲まれた隔離病棟は、凶悪犯罪者であるソシオパス(社会病質者)たちが隔離されていた。


 普通の隔離病棟とも様子が違う。

 収容される人数も少なく、発作を起こし凶暴になったときは手に負えないが、普段はもの静かな者が多い。

 共通しているのは、生きることを諦めた者たちばかりということだ。


 個室は自らを傷つけないために、柔かい壁に覆われた白い牢獄だった。


「出してくれ! だ、出してくれ! なぜ、監禁するんだ! 何もしてない。何もしてないんだ」

「そんなに暴れていると、ナンバーを入れるぞ」

「なんだ、それは」

「いや、忘れてくれ。静かにしていれば、問題はないんだ」


 時に、感情が昂り叫んだ。

 どれだけ叫んでも誰も取り合わない。

 挙句の果てに薬を投入されて、頭がぼうっとして何も考えられない状態で、ただ眠らされた。


 とことん絶望し、自分の力で何もできないと悟ったとき、人はさらに感情を失い乾いていく。


 家庭裁判所で調査官に相対したとき、世界は最低でこれ以上のどん底はないと思ったが、この隔離病棟はさらに酷い。どん底の先にあった、さらなるどん底だった。

 

 反抗することをやめ、すべてを受け入れる代わりに心を失った。


 穏やかになった彼に対応が緩和され、午後に一定の時間だけ病室から出ることを許可された。


 なにも望まない。

 なにも見ない。

 なにも聞かない。


 息をすることさえも機械的になる。


 そうして、隔離病棟の庭で天使に出会った。

 天使は泣いていた。静かに声もなく心で泣いているような、寂しい表情を浮かべ永遠に泣いているようだった。


 この世の不条理を自分の代わりに泣いてくれているような錯覚を感じる。


 無垢という言葉がこれほど似合う少女を見たことがなかった。

 痛々しいと思った。心がむき出しのまま生きるほど世界は優しくはない。


 おそらく自分が泣いていることに自覚がない。そんな少女の啜り泣きを木陰で聴いていると、子守唄のようだ。

 心が落ち着く。

 どうして声をかけたのか理由はわからない。

 おそらく、自分と同じ無力な動物を労ってやりたいと思ったのかもしれない。


 近づくと、「きゃっ」と、小さな悲鳴をあげた。


「話しかけてもいいかい」

「ええ」と、ガタガタと震える声で返事が戻ってきた。


 全身を震わせながら、今にも叫びだしそうな様子。おそらく、あらん限りの勇気をふり絞っているのだろう。


「君に危害を加えない」


 そう言った自分に、彼自身が驚いた。すぐに、少女は驚いて逃げ去ってしまった。小鳥が逃げていくように森のなかを駆けていく。


 そんなに急ぐと怪我をすると心配した。

 鉄格子がなければ……。


 自由を奪われ、この場にいるしかない理不尽な状況に少年は激しい怒りを覚えた。もう二度と会えないだろう。


 しかし、少女は翌日もやってきた。


 恐ろしそうに彼を眺めながら、少しづつ近づいてきた。

 鉄格子を挟んで、互いのことを話すようになった。もっぱら、少女が話をしたのだが。


 その短い時間が渇いた彼の心を溶かしていく。

 不思議なほど繊細な心もつ少女はあまりに危うい。細い体は、触れれば折れそうなほど可憐で傷つきやすい。こんな心と体で生きていくのは辛いだろうに、それが彼を癒した。


「名前を……、教えて」と、少女は震えながら聞いた。

「ジニ」

「わたしは、ヒマリ」


 ヒマリ、ヒマリ……。

 この冷たく暗い地獄に、太陽のぬくもりが射してくるような名前。けっして忘れることはない、ヒマリは彼の『希望』になった。




(つづく)

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