第6話 誰もが孤独を誤解している
この子、本当に十八歳なのだろうか?
クロブチは、彼の年齢をいぶかしむ自分に苦笑した。高校男子は、とんがって格好つけるのが普通と思うが、彼はあまりに自然体だ。
成熟した大人のような余裕がある。
何が彼をここまで成長させたのだろう。恵まれた容姿からくる自信のあらわれなのか。
眉と目との間隔が狭く、奥二重の目は妖艶でさえある。彫りが深い顔立ちだがバタ臭くない。どちらかといえば中性的、まさに現代的イケメンだ。
心をざわつかせる容姿に、クロブチは対応に苦慮しそうだと思った。
大人なら、それなりの誘惑方法があるのだが、まだ十八歳で、そこも厄介だ。相応の攻略方法が見つからず、つかみきれない。少しイラついたが、そこは百戦錬磨の女だ。
二年B組の教室までくると、ニヤリと右頬をあげた。
不遜な顔つきが自分に似合い、他人を魅了すると自覚している。そのとっておきを、こんなに早く使わせるなんてと思いはしたが。
「ちょっと、廊下で待っててね。脅かしてやりたいから」と、いたずらっぽくジニに伝え、教室の扉を開けた。
ガラッという音に気づいた生徒たちが自分の席にあわてて戻っていく。
いつもの光景だ。始業前には席につくよう申し渡したが聞き入れられたことはない。
まあ、教室の扉を開ければ、全員が慌てて席についてくれるだけでも上等だ。大学時代、教育実習で行った学校では、それさえも難しかったのだ。
扉を開けたまま教壇に立つと、学級委員の
「起立!」
一ノ瀬頼友、身長が180センチ近くあり、彼も大人びた少年だ。
祖父は地域の有力者で、曽祖父の代から受け継いだ病院を経営するかたわら、県議会議員も勤める資産家である。そして、一ノ瀬頼友はその直系の孫だ。
両親と兄、祖父も存命しており、大家族で同居する自宅は湘南の海から少し離れた「この地域でも、目立つ大豪邸よ」と同僚教師が言っていた。
頼友には三歳上の兄がいる。
私立有名校から都内の医大に通う大学三年生。
頼友は中学受験に失敗して、高校からは、この学校に進学した。
常に堂々とした態度で生徒からの人望も厚いが、心の底はどうかなと観察している。兄への劣等感が、彼を傲慢にしたと思う。周到に隠してはいるが見え見えだ。
教師として気になるのは、
ヒマリは儚げな少女だ。
ひと目を惹く美人ではないが、優しげな容貌で魅力があり、陰で男子に人気がある。
話し方もおっとりと優しい。成績も悪くない。
教師としては、もっとも安心できるグループに分けられる生徒である。
出席簿には、三十五名の生徒たちの名前とABCの評価。それから要注意人物のX印がつけてある。前任教師からの申し送りだった。
その表でいえば、
今、素直に廊下で待っているはずの
さしずめ、要注意人物として『X』評価は間違いないだろう。
「入ってきて」と、廊下に呼びかけた。
全員の視線が戸口に集中する。
数秒待ったが、ジニは入って来ない。
「チッ」と、思わず素で舌打ちして外に出ると、彼は彫刻のような完璧な横顔を見せて、廊下の窓から外を眺めていた。
「沓鷲くん、中へ入って」
ジニは呼ばれると、気負うこともなく淡々と入室してきた。そのまま黒板の前に立つ。
一瞬で教室の空気が、がらりと変化した。
「ヤバイ、ヤバイ、ヤバイ」という、囁き声が聞こえてくる。
その様子は、例えるなら、処刑台のギロチンに向かうマリー・アントワネットを見物する民衆のようだ。
あまりにもかけ離れた比較だが、その対比は案外と的を得ている気もした。
横目で軽くジニをうかがう。
普段なら相手が彼女をうかがうはずで、それに慣れたクロブチは、どうも勝手が違った。
「転校してきた
最初の驚きが過ぎると、教室内に、わっとどよめきが起こった。
「
ジョークで乗り切るつもりが、ジニに無視された。
彼は黙っていた。
もしかして、対応に困っているのだろうか。それなら、年相応で扱いやすいのだが、たぶん、違う。
禁止されているスマホの音がかすかに聞こえる。生徒たちはSNSで転校生の名前をサーチしているにちがいない。
ただ、名前をサーチしても例の事件は出てこない。
三年前の事件であり、当時は匿名のうえ、ニュースにもなっていない。事件そのものは単なる婦女暴行未遂だからだ。
「こらこら、スマホ禁止」
「え、先生。使ってませ〜ん」
「わかりやすい嘘を言わない。さ、
ジニは顔を上げた。それから、「
「中学のころ一年ほど入院していました。一歳年上の十八歳です」
その告白に、下を向いてスマホをいじっていた生徒たち全員が彼を見つめた。
「先生、座席は好きな場所でいいですか」
「え、ええ。そうね。空いてる席に」
クロブチを動揺させただけでなく、この転校生は、次にクラス全員が驚嘆する行動を取った。
窓際に向かうと、ヒマリの隣りにすわる野崎純平の顔を見た。
「な、なんだよ」
「ここ、変わってもらってもいいか」
「いや、あの」
クラス中から刺すような視線がジニに注がれ、同時に野崎に向かい、次にヒマリへと移動した。
野崎純平は一ノ瀬頼友の腰巾着である。救いを求めるように、学級委員長の顔色を伺ったが、彼は一瞥をくれただけだ。
「窓際がいいんだ」
「ああ、いいよ。後ろの席がいいんで」
あっさりと席を交換した野崎は、最後尾の空席にすわった。ジニがヒマリの隣りに腰をおろす。
「水城さん、しばらく、教科書とか面倒をみてあげてね」と、クロブチは慌てて言った。
「わ、わかりました」
ヒマリは恥ずかしそうに下を向いている。
「じゃあ、朝読書を十分間、はじめます」
朝読後に通常授業がはじまる。
生徒たちが、バラバラと本を取り出して広げた。ジニもカバンから本を出して広げている。
「何を読んでるの」
クロブチは席まで行って聞いてみた。
「モンテクリスト伯」
「アレクサンドル・デュマの復讐物語ね」
彼は返事をせず、文字に視線を落とす。
それからの日々、窓際の席で彼は本を読み、その隣りで教科書を開いて勉強するヒマリの姿が普通になった。
鉄壁の仲をほこった四人グループに、かすかなヒビが入り、そこから隙間が広がるとすれば、由々しきことだろう。
クラスの歪み、仲間のひび割れ、それを最初に気づくのは、おそらく優等生のアオイではないかと、クロブチは観察した。
(つづく)
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