第35話 ツェーザル商会での駆け引き(後編)
シルヴィア・フォン・シュバルツシルト。その名を聞いたツェーザルは額に汗をかきながらも、さりとて不敵に笑ってみせ、そうして言葉を紡ぎ始める。
「なんと、片やオリヴァと名乗り、そちらの方はかのシルヴィア様と申されますか」
「……左様でございます。必要とあらば、シルバレーベ王国より勇者作戦に際して賜わりし証明もございます」
「なるほど! しかし……シルヴィア様本人となりますと、気になる事がございますなぁ」
「気になる事、とはなんだろうか、ツェーザル殿」
ツェーザルが不意に浮かべる嫌らしい表情にオリヴァは怪訝な顔つきで話を促す。
「末端の門兵などは知り得ぬ事ですが……社交界の一部では、噂になっているのですよ。“シュバルツシルトのご令嬢が失踪し、銀髪の乙女をかの国が探している”と」
「……!……それは、お父様が……」
「商いである以上、契約者の情報は保護いたしますが……なにせ扱うものが“奴隷”でございます。彼ら保護する観点上、その雇い主の情報は開け広げにこそしないものの、訊ねられた時に隠す訳にはいかないもので」
これは暗に、“シルヴィアと名乗るならシルバレーベにその情報を売るぞ”と示している。オリヴァも含め、何故失踪した筈のシルヴィアがここに居るのか、ツェーザルにはそれはわからぬが、そこに“商機”があると踏んだのだ。
「この……いえ、その程度の事でしたら恐れる事はございません。主様、ここは」
「いや……やはり、シルヴィアはシルバレーベとは関係ない。その名を以て身請けをするのは難しいだろう」
シルヴィアの名をここで広める事がどの様に波及するのかがわからない。そう判断したオリヴァは口惜しそうな彼女の申し出を断ると同時に、一つ察したのだ。
オリヴァやシルヴィアが本物である事はとうにツェーザルも察している筈。であるというのに、ヘレナを身請けさせる為に交渉を仕掛けるのは、ただ高く売りつけたいというだけであれば割に合わない。
勇者とその旅路に連れ立った者という功名は伊達ではない。欲をかいて彼らを敵に回してまで、目先の金を得ようとするほどツェーザルは愚かには思えなかった。
故にオリヴァはシルヴィアを制した後、ツェーザルに圧を込めて視線を送った。
「さて……どうしてもこの額面で彼女を身請けさせたいのか。困ったな」
「は、はは……何やら訳ありのご様子で。しかし、如何でしょう。貴方がオリヴァその人であるという事が証明できたのであれば、問題はないかと存じ上げます」
「その筈だが、名も魔剣をも以てしても、貴殿は納得しなかっただろう」
「なに、簡単な事でございます。かの英雄オリヴァ殿は……並ならぬ“武勇”を誇ると」
そうしてツェーザルは笑みを一層深めて、オリヴァへと視線を送る。その頬を伝い落ちた汗は彼が何かを企んでいる事をこの上なく示していた。
——奴隷商であり、商会の長であるツェーザルは、当然オリヴァやシルヴィアがかの邪竜討伐に臨んだ英雄である事を理解している上、彼らが求めるという事はあの女性奴隷が聖女ヘレナであるという事には気付いていた。
その上で、この場に多大な金を産む気配を感じ取っていたのだ。
聖女らしき女性奴隷を見つけたと部下より聞かされた時は、これが厄介な話であると同時に、金のなる木になり得ると男のもつ商人の直感が働いた。
療養していると伝え聞かされた聖女と思しき女性が、何故道端に倒れていたのかはわからない。聖女が大聖堂から離れたなどという発表はなされてはおらず、仮に脱走してきたなどという事であれば、マーテル教にとってはこの上ない瑕疵になるだろう。
聖女が逃げ出す程の何かがマーテル教にはあるのか。特に邪竜を斥けるほどの聖女が離れたいと考える程の何かが。そう人々に視線を向けられる事は、かの宗教には堪え難い事に違いない。
その為、今この女性をマーテル教に届け出る事は危険を孕むとツェーザルは判断していた。
届けたなら、幾許かの報奨金と何かの栄誉が与えられるかもしれない。しかし、この事実を嫌うであろうマーテル教が身代金目的で誘拐したのではないかなどと難癖をつけ揉み消そうとする可能性がまるでないわけではない。
その
大聖堂からの発表がない現状であれば、“まさか聖女が奴隷になるなど考えられない”という言い訳も立つ上、本人の言質もある。
幸い、その空色の髪の乙女の器量は、ツェーザルが扱った事がないほどに優れている。性的行為の強要は奴隷保護の観点上禁じられているが、
部下が連れ帰ってきた奴隷達を確認した後、そう案じていたツェーザルの下に現れたのが、かの英雄オリヴァである。
黒髪黒目に無数の傷跡。そこいらの冒険者や騎士が霞む程に鍛え上げられた肉体からは、護衛を兼ねて控えさせていた部下が怯える程の圧を放っている。一目見た瞬間に、巷を騒がす様な偽物ではなく、本物だと気付いた。
彼が聖女と思しきかの乙女を求めるなら、渡してしまえば面倒な事を考えずに済むが、それでは金にならない。
ツェーザルという男はどこまでも金を基準にして物事を考える人間であり、それ故にウィーゼアルム有数と言える程に商会を発展させられたのだ。
そして、青年や途中現れた銀髪のメイドから放たれる、この世のものとは思えぬ圧に商人の矜持で以て辛うじて耐え、自身と商会に利があるよう働きかける機会をひたすらに窺っていた。
——今こそ好機、そう信じたツェーザルは、手元のヒビの入った器を傾けて、それから話を切り出した。
「実は私……“剣闘興行”にも出資をしておりまして、そこで行われる内容について一部の裁量を有しておるのですよ」
「剣闘……?」
「ええ! 貴方がオリヴァであると証明したいのであれば、そこで特別試合を組ませていただきたい!」
「その試合に勝てば、彼女を身請けさせてくれると?」
「左様でございます! しかし……英雄とあらば、ただの試合ではその証明たり得ないでしょう。そうですなぁ……五十……いや、百人連続で闘士どもを打ち倒せたのならば、誰もが貴方を疑う事などできますまい!」
これこそがツェーザルの考えた計画。
一体百という内容は前代未聞であり、それだけでも人々の目を惹くことは間違いないだろう。
さらに巷を賑わす英雄オリヴァが剣闘の舞台に上がったのであれば、その真偽が観客にはわからずとも多数の動員を見込める。
仮に偽物であったとしても、偽物を名乗る男の公開処刑じみた見世物は、好事家の好むところであろう。
この策を以てすれば、己は何の危険を冒すことなく、ともすれば器量の良い小娘を売り捌く以上の金を生み出す事ができる。
ツェーザルは冷や汗を流しながらも、内心でしたり顔を浮かべてこの案を提示した。
その話にまず反応したのは、オリヴァの後ろに立つ銀髪のメイドだった。
「主様一人で、百人を相手になど……そんな」
「ああ。いかにも無茶苦茶なんじゃないか、ツェーザル殿」
「おや、かの不滅殿が尻込みされるのですかな? ならこの話は……と言いたいところですが、ここまで盛り上がったのだ、色をつけさせていただきますよ」
流石にここで話を切り上げるなどと言えば、いつメイドから鈍く光る刃が飛んでくるかわからない。
先程既に一度死んだ身であるツェーザルは、譲歩を見せる事もまた交渉には肝要なのだと、商人としての経験と本能的な恐怖から言葉を続ける。
「百人斬りを果たされたのなら、求める奴隷の身請けの代金を含め、かかる費用は全てこちらで受け持ちましょう。本物の不滅殿と縁を結べるのであれば、安いものです」
いくらかの英雄といえども、連続百人というのは常識的に不可能だ。加えて、百人目には手持ちの中で最も優れた闘士を差し向ければ、達成とは成らず、己は興行で金を得られ、その後奴隷を売り捌いたならば更なる金を手にする事ができる。
理論的には最大限、金を生み出す方法を、ツェーザルは頭の内に描いていた。
「……三つ、約束してくれないか」
「ほお、約束ですか?」
「俺が例え戦いの中で死んだとしても、あの女性はここにいる彼女に身請けさせるように手配してほしい」
“死んだとしても”という、やや弱気に感じられる言葉に、ツェーザルは目を細めながらも頷き、シルヴィアは何をいうのかと青年に視線を向ける。
「主様、それでは……」
「いや! そこまでの覚悟を示されたのなら、末期の願いとして聞かずにはいられませんな。して、もう一つのお願いとは?」
「痛み入る。それから、俺の事はどうしようもないかもしれないが、このシルヴィアについての話は聞かなかった事にしてくれ」
「構いませんよ。それで話が円滑に進むというのであれば、その程度は些事といえるでしょう」
「……それから、やはり彼女に会わせてほしい。最後になるかもしれないんだ」
どこまでも自分が傷つく事よりも、側にいる人間を慈しむ人なのだと、シルヴィアは喜びながらも、目を伏せた。覚悟を決めた青年とそれを見送る麗しい従者。二人が醸し出す空気は、悲壮そのものだった。
それを眺めたツェーザルは深く頷くと、部下を呼びつけ用意を進める。
「では、契約は成立という事で。なに、試合には刃を潰した剣を用いる。死ぬかもしれませんが、魔物や魔獣と戦うよりは余程気が楽というものでしょう」
「そう、だな。……二言はない、契約書を用意してくれ」
「主様、本当に……」
「俺に何かあったら、彼女とツィツィ達の事を頼む。シルヴィアにしか任せられない事なんだ」
「……畏まりました」
そうして部下を急かすツェーザルを前に、オリヴァは身体を背後に立つシルヴィアの方に僅かに向けて……そうして彼女以外に見せないように、口角を少しだけ持ち上げた。
そう、“不滅”は怯まない。
死を覚悟するなど彼にとっては日常茶飯事で……恐らく、これから行われる事など、その覚悟すら必要のない事なのだから。
……それは傍目には、勇ましい青年と美しい乙女の言葉を交わさない、別れのやりとりに見えた。
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