第15話 壊れてしまった銀色

 かつての旅路にて、煌めく銀髪の女騎士シルヴィアは、黒髪の戦士オリヴァの事を憎からず想い、共に過ごす時間をその涼しげな表情の向こうで楽しんでいた。


 そのきっかけとなったのは……オリヴァに救われた、とある日の戦場だった。




 ——邪竜討伐に際して、人類の脅威となったのは邪竜そのものだけではなく、かの存在の下へ集う魔物についても等しい脅威として扱われる。


 その数は言うまでもなく、圧倒的な“個の力”を有する強大な怪物が潜んでいたのだ。


 その怪物の一体、人間の上半身に牛の頭と下腿を持ち、斧を振るえば一度に十を超える人命を無造作に散らす魔物、“ミノタウロス”との戦いで、シルヴィアにとっての悲劇と奇跡は起きる。


 ……魔物により陥落したある城塞都市にて、跋扈するそれらと廃墟に君臨するミノタウロスへ相対する事となった人類は、決死の作戦に出る事になった。


 作戦内容としては一見単純。ミノタウロスへの道をシルヴィアを含む騎士団によって切り開き、主要戦力である勇者により、かの半人半牛の怪物を打倒するというもの。


 そうせざるを得ない理由があっての作戦であったが、騎士達にとっては正しく“死地に臨む戦い”に相違ない。


 最終的に作戦は功を成し、ミノタウロスの討伐を成し得たが……騎士達とシルヴィアは、勇者がミノタウロスと戦う最中、無数と思える魔物を前に取り囲まれてしまった。


 人間に似た身体に醜い犬の顔と毛深さを備えたような外貌の“コボルド”という魔物の群れを前に、一人、また一人と倒れていく。


 シルヴィアは勇者の仲間であり騎士達を率いる者として、倒れゆく彼らを庇いながら戦うものの……その場に立つ人類は彼女一人になった。


 その内、コボルドが用いた麻痺毒に因ってか、シルヴィアは手にする剣で身体を支える事もままならず、地面へとくずおれる。


 魔物どもが下卑たさまでその汚れた手を伸ばし、彼女の脳内を絶望が満たす中、走馬灯の様に思い出されるのは仲間達との使命感に満ち、しかし愉快であった旅路。


 金髪の勇者、赤髪の魔法使い、青髪の聖女。そして。


 ……その瞬間、“轟音と衝撃”を伴って、シルヴィアの目の前にいたコボルドを踏み潰し、魔剣ヴォルクスガングを手にする黒髪の青年が現れた。


 オリヴァはアルマ達と共にミノタウロスを討伐したその直後、リタの魔法を用いて、シルヴィアの下へと身を呈した跳躍を以て遠方から駆け付けたのだ。


 オリヴァはシルヴィアの姿を見て、すぐさま魔物どもを睨みつけると、低く地の果てから響く様な雄叫びをあげ、その場に暴力の嵐を巻き起こした。


 どちらが“怪物”かわかりかねる程の形相と咆哮でコボルド共を圧し、剣の一振りで魔物を葬り去っていく黒髪の青年。


 コボルドどもも突如として現れた男を前に、手にした得物で斬りかかれば、オリヴァの身体からは赤く滴るものが流れ落ちる。


 しかし“不滅”は怯まない。


 特に、愛すべき同胞を傷つけられ、その怒りに身を震わせていたのであれば。


 ……勇者達もその場に駆けつけ、嵐が過ぎ去った後には、もはや誰のものかわからぬ程の血に染まったオリヴァと、身体に力の入らぬままにそれを眺めていたシルヴィア、そして辛うじて生き残った騎士達が残された。


 ミノタウロスは討伐され、コボルド含む魔物の一団も首魁を失った事で潰走。


 人類側は騎士団に死傷者を出しながらも、その戦いを制することができたのだ。


 そしてその喜びと同じ程に、シルヴィアの胸を強く震わせたのは、自らを守り、しかし“血に塗れていては脅かすばかりだ”と、自身の介抱を優しき聖女に任せて、その場を離れる青年の姿だった。

  



 ——シルヴィアは、瑞兆とされる銀髪を有する自身の血統を次代へ残す事に関して、両親から重圧に等しい期待を寄せられていた。


 騎士である事を誇りとしていたシルヴィアが、その事を苦々しく思っていたところに、オリヴァはなんとも相手に相応しい。


 “あの戦い”の様に武勇にも優れ、加えて顔も精悍であり、かと思えば同胞に対しては優しく、しょうがないなと軽口を叩きながらも、幼馴染や我儘な魔法使いの面倒をよく見ていた。


 こんな男性であるなら、きっと生まれる子どもも幸せに育ってくれるに違いない。


 そう、当人としてはあくまで冷静に分析しているつもりでありながらも、涼やかな紫の瞳でオリヴァの背中を追う彼女の視線は、彼女とオリヴァを除く三人の乙女達からは“理想の男性への求愛”の眼差しだと気付かれていた。


 ……しかし彼女もまた、邪竜の呪いを前にして、その影響に思考を汚されてしまった。




 ——勇者の仲間達が邪竜の討伐を果たした後、オリヴァを除く四人も散り散りとなった。


 アルマは天命を果たした為、とりあえずといった形で人類諸国連合軍へ籍を置くことに。


 リタは魔法使いとしての己を高めるべく魔法都市にて研究に明け暮れ。


 ヘレナは聖女として、これから迎えるであろう未来へ教徒を導こうと大聖堂に。


 そしてシルヴィアは……母国に帰った彼女には、王族に直接仕える近衛騎士団の副団長として召し上げる声がかかった。将来の団長候補を約束する、輝かしい未来への道筋が示されたのだ。


 巨悪の討伐が果たされた今、未だ残る魔物との戦いも連合軍が大きく優勢を示してはいる。余人では考えられぬ経験を積んだ今、早々に第一線を退いて後進の育成に努めるのも悪くない。……そう、当て所なく考え日々を過ごしていたシルヴィアは、“あの日”から一週間を経て、思い出してしまったのだ。


 “自身が本当に望んでいた筈の未来”が何かという事を。


 そして彼女は、彼女らしくやはり静かに、しかし魂の奥底から壊れた。まるで最初からそうであったかの様に、壊れてしまったのだ。


 人類を、共に戦った騎士達を、そして自身をも、血を流しながら守ってみせた英雄に対し、その死を望む言葉と、家宝の細剣を突き刺したのだ。


 それも幾度も幾度も、やめてくれと懇願する青年に対し執拗に。


 その自分が、心穏やかに生きるなど赦される事ではない。


 何が騎士達を導いた戦乙女か。


 何が輝かしい未来を示す瑞兆の銀髪か。


 何が……あの優しくも頼もしい青年に、相応しいものか。


 ……そこで、ほんの僅か冷静な思考を残していた彼女は、あの“不滅”のオリヴァであるなら、まだ生きているのではないか。そう、リタとはまた別種の現実逃避の末、“とあるもの”を思い出したのだ。


 それは、オリヴァが後生大事に身につける“あの腕輪”だ。


 一見そうとはわからぬほどに素朴な外観をしているそれは、四人の乙女達が恋慕の感情を向ける青年を想って作られた世界に五つしかない品だった。


 勇者としてアルマがツテを辿り、貴族の財力でシルヴィアが素材を購入。それをリタが加工し、ヘレナが光魔法の効果を込めた逸品。


 贈られた本人はその真価を知らされていないが、本来なら価値をつけられない程に貴重なそれが、オリヴァの左腕に光る腕輪の正体だったのだ。


 腕輪に込められた魔法は幾つかあるがその最たるものが“恋心を胸に秘めた乙女が彼の事を想う時、彼の所在を明らかにする”というもの。


 呪いの影響に汚染されていた際には用いようとシルヴィアも思えなかったが……有体に言えば、という、浮気防止の機能だった。


 結果として、これがシルヴィアにオリヴァの生存とその現在地の方角を明らかにさせた。


 その事実が判明した時の彼女は、再び青年に会える事への喜びと、じみた贖罪意識の高まりを感じた。


 これからの人生は、ただ彼への贖罪の為に生きるべきだ。


 そう、壊れ切った彼女の内世界はその形に再構成されてしまったのだ。


 そうして壊れたシルヴィアは、全てを捨ててオリヴァの下へ向かう事を決め、誰に託けるでもなく母国を後にした。


 その身に、黒と白のお仕着せを纏って。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る