第14話 月下にてふれるもの
木々の合間から差し込む月明かりを頼りにオリヴァは、何故か間を空けて後を着いてくるシルヴィアを伴い、森の中を歩く。
あの小さくて飾り気もない小屋は、呪いの害意に晒され拠り所を失ったオリヴァにとっては、最後に辿り着いた安住の地だった。そこには細やかなものであれど、彼なりの思い出がある。
故にあの場所を血で汚したくはない、己を殺めるならせめて森の中でとシルヴィアを連れ出したのだ。当然、身を守る物は何も提げてはいない。
少し投げやりな気持ちを胸の内で否定せぬまま、短い黒髪を青年は揺らし、やや後ろを歩く乙女に“さっきは何か、言いかけていたような”と、そう問いかける。
この問いも彼にとっては何気ない物ではあったのだが、それ聞いたシルヴィアの方は、やはりどこか躊躇う様な仕草で、オリヴァから視線を逸らしてしまう。
その仕草は、冷涼な表情と端的な振る舞いを常とするシルヴィアにしては珍しいものだった。
「その……いえ、先程お話しされていた、“大切な人”とは、どなたなのでしょうか」
そうして切り出されたのは、オリヴァの恩人である老婆についての事。
オリヴァは、その事がそんなに気になったのかと思うものの、尊敬を捧げる恩人について訊ねられたとあったなら、是が非でも聞いてもらいたいと口を開く。
「ああ、この村に住んでいた人でな。行き場を……まぁ、どこに行こうかと流れていたら、拾われて面倒を見てくれたんだ」
“行き場を失った”と言葉にするのは、呪いの影響とはいえ、自身に刃を向けた相手に対しては憚られる。そういう気遣いと共に口にした言葉に対し、シルヴィアは少し不愉快さを含んだ声色で次の言葉を促そうとする。
「そのお相手は男性ですよね。まさか、女性ではないでしょう」
「まさかってなんだ、女の人だよ。南方の、ほら、噂の“黄金の国”出身だったそうだ」
「どの様な方なのですか」
「どの様な……そうだな、優しくて、面倒見が良くて、茶目っ気もあって……はははっ、そうそう、料理が美味いんだ」
「そんな……さぞや、素敵な方なんでしょう」
「素敵か……ああいう人と家庭を築く事ができた旦那さんは、幸せ者なんだろうなとは思うよ」
「まさかの人妻ですか……信じられない」
側から見たならばチグハグな会話を二人は繰り広げ、その内にオリヴァはシルヴィアが“怒気”を発している事に気づく。
彼が歩んできた戦場ではよく見られた、堪え難い何かを孕む気配だ。それに気付いた彼は、何かはわからないが、彼女の腹は決まったようだと、そう受け止めてシルヴィアに向き直った。
場所は程よく月明かりの差し込む、少しだけ開けた空間だ。“目的”が決まっているのであれば、いつまでも与太話な興じているというのも違うだろう。そのつもりで、オリヴァは銀髪の乙女へと最後のつもりで口を開く。
「……この辺で、いいか」
その言葉を受けたシルヴィアは、やはり彼女にしては大袈裟に目を丸くして驚いて見せる。
“不思議な振る舞いだが、最後に珍しいものが見れたな”、そんな事をオリヴァが思っていると、シルヴィアは躊躇いながらも口を開いた。
「いいかとは……ここで、するのですか」
「ああ……あの小屋をあまり、汚したくないからな」
「汚すとは……そんな、激しく」
「激しく? まぁ、色々と飛び散るだろうから」
「飛び散る。……ああ、なんてこと。森の中とは言え、誰かに見つかったりしたらどうされるのですか」
「誰かに……そうだな、ここで見つかった方がいいのかもしれない」
「むしろ見られたいと」
何故かふるふると小さく震えるシルヴィアを見て、オリヴァはやはり小首を傾げて不思議そうに眺める。
シルヴィアが何を用いて己を殺めるつもりかはわからないが、騎士である彼女であれば扱うのは剣の類に違いない。ともすれば“血”が飛び散る事もあるだろう。
そして殺められた自身の死体は、小屋に放置されてはもしかすると、青年が顔を見せなくなった事を不思議に思う村人が小屋を訪れてくれた際、心に傷を負わせてしまうかもしれない。それならばいっそ森の中であれば、獣に“見つかって”食物連鎖の一環として取り込まれるだろう。
不器用な彼なりの、最期の気遣いのつもりでいた当人であったのだが……それを聞かされたシルヴィアはオリヴァを睨みつけて、なにやら“初めてがこんな森の中だなんて”だの、“やはりケダモノでしたか”だのと、風に揺れる木の葉の音に掻き消えそうな声で呟きながら、オリヴァの側へと歩みを寄せる。
オリヴァは自身に向かいくる乙女を見て、この日幾度となく感じた違和感を抱きつつも、やはり“同じ事だ”と割り切って瞼を閉じた。
あとはこの胸か、この首に彼女が振り翳す刃を受け入れて、それで終わりだ。すっかり潔さが身についていたオリヴァが、自身のすぐそばにシルヴィアの気配を感じ取る。
そして、少しだけ、躊躇う様な逡巡の時間があって。
……オリヴァの手が、少し冷えた細い何かに掬い上げられると、柔らかくもハリがあるものに触れた。
己が最後に感じるものは、冷たく固い刃のそれである筈だと、驚いたオリヴァが目を見開いた。そしてその視線の先では——
「如何ですか、私の“これ”は。男性は大きい方が好まれるのでしょう」
——シルヴィアが、オリヴァの手を取り、そして服越しに自身の豊かな胸に押し当てていた。その感触を確かめて欲しいと、そう言葉にしながら。
これにはオリヴァも堪らず驚いて、大仰に体をのけぞらせながら手を避ける。
「な、何をしてるんだ?!」
そう言葉にする事も抑えきれず、目の前の月の光に銀髪を照らし出す、優美な魅力を持つ乙女に問いかける。
しかしその本人は、おかしな事を言うものだとでも言わんばかりに首を小さく傾いで、仰け反って離れたオリヴァの目を見つめて。
「なに、とは。ここで“情を通じる”……いいえ、この様な場所ですから“交尾”と言った方が、それらしいかもしれませんね」
そうするのが当たり前だろうと、あっけらかんと言い放った。
「なっ、こう……なにを馬鹿な! 一体何のつもりで来たんだよ、シルヴィアは!」
「つもり……決まっています。この身体を、いいえ、全てを貴方様に捧げるつもりに他なりません」
その紫の瞳には偽りの色はなく、ひたすらにそれだけが目的であると語りかけてくる様。その視線を真っ直ぐに向けられたオリヴァはいよいよ困惑と動揺に脳を揺さぶられる事になる。
さらに畳み掛ける様に、シルヴィアは言葉を紡ぐ。
「その為に私は来たのです。オリヴァ様……いいえ、主様」
そこでようやく、オリヴァは己がどうしようもない勘違いをしていた事に気付く。ただでさえおかしな話だとわかってはいるが、しかしメイド服を身に纏う彼女は誰かに仕えるのだと語る。
その誰かは、よっぽど高貴で人類にとって稀有な立場の者であるのだろう。……そんな風に勘違いをしていたのだ。
しかし彼女が見せたこの瞬間の立ち振る舞いで理解する。その対象が、何故か自分に向いているのだと、気付いたのだ。
——銀髪紫眼の麗しき女騎士シルヴィア。
“愛憎反転”の影響から解き放たれた彼女は今、静かに……気を狂れさせていた。
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