第13話 メイド姿の公爵令嬢
己の命をいよいよ刈り取ろうと、かつての仲間が懐に刃を携えて遥々やってきた。そう確信したオリヴァは、諦観ゆえに焦る事なく椅子に腰掛け、そして木製の杯を傾ける。
「生きてたよ。助けられたんだ、大切な人に。……シルヴィアも一杯どうだ?」
抵抗する気はない、だからせめて、最後の晩酌くらいは。そのつもりで、オリヴァは語りかける。
彼と同じ20歳であるシルヴィアとは、勇者の一向として旅路を共にしていた折、夜の深い時間まで酒を酌み交わすことがあった。最年少のリタは酒が苦手で、アルマやヘレナは酔いが回ると寝たり絡んだりと酒癖に難がある。
その点、シルヴィアは涼しい顔のまま、大柄なオリヴァと変わらぬ量の酒を呷り、仲間や家族、人々を守る為にはと語り合っていた。その思い出を、懐かしくも大切なものとしてオリヴァは留めていた。
しかし彼はすぐに、“椅子が一脚しかないな”と気付く。そうしてオリヴァがどうしようかと迷っている内に、シルヴィアは躊躇うことなく彼が普段使う寝台の側に歩みを寄せ、
それから何か、その寝台の具合を確かめるかの様に手のひらで撫でる。オリヴァはその様子を不思議がりながらも、新たに用意した杯に果実酒を注いで、何故かメイド服を纏う銀髪の女騎士にそれを手渡した。
「貴族が飲む様な物とはまた違うだろうが……この辺りじゃ好まれてるんだ。結構、美味いんだよ」
「オリヴァ様も、こちらを愛飲されるのですか?」
「ああ。すぐそこの村の、気のいいじいさんに貰ってな」
「そうですか」
“ありがとうございます”、などと言葉にしながら杯を傾けるその乙女の姿は、オリヴァの目から見てやはり違和感を有していた。
己を殺めにきたにしては、殺意がない様にも思える。しかし、涼しげな表情の奥から隠しきれない“緊張”を確かに感じることが出来るのだ。その違和感にオリヴァは訝しみはすれども、どちらにしろ同じ事、と深掘りする事は放棄した。
それよりも、気になる事はやはりある。それを訊ねようとオリヴァが口を開けば、
「なあ」
「あの」
……二人の言葉と視線がぶつかって、なんとも気まずい空気が流れる。
シルヴィアからオリヴァへ“お先にどうぞ”と促され、オリヴァはいやいやと断ろうとして……結局、青年の方から尋ねることになる。
オリヴァはシルヴィアという女性が、彼の方から積極的に語りかけるべき人物であると理解していた。
明朗快活なアルマ、勝ち気なリタ、柔和なヘレナと比べるとシルヴィアという乙女は幾分静かな人格を有している。
決して無口というわけではない。しかし、余分を好まず、目的にひたむきである事を美しとする性格ゆえ、シルヴィアは彼女が必要としない限り口を開かない傾向にあった。
だからこの日も、オリヴァから言葉を紡ぐ事で、二人の会話の口火を切ることになった。
「その……元気、だったか」
何しろ二年ぶりの再会だ。かつての辛く苦しい記憶があったとて、共に邪竜や数多の魔物に立ち向かった仲間なのだ。
故にオリヴァは、何気ない会話の
「……ええ、お陰様で。邪竜が討伐された事で、王国の不安も抑えられましたから」
「そうか。なら、身体を張った甲斐があったな。……あれからしっかり話す機会もなかったが、騎士団の面々には助けられた。ありがとう」
邪竜討伐におけるシルヴィアの役割は、勇者アルマの前に立ちはだかる数千数万の魔物の軍団を、人類側諸国が連合で編成した騎士団を率いて牽制する事だった。
邪竜に相対す為に必要な個の力はアルマやオリヴァ、リタが人類の戦力としての最高峰である事は間違いない。
しかし、野を埋め尽くす魔物を前にして必要なのは同じ“数”の力である。その点についてアルマは人を率いる事には慣れていない為、抜擢されたのがシルヴィアだったのだ。
呪いの影響もあり、まともに互いを称え合う暇もなく別れてしまったからこそ、オリヴァはその感謝を伝える。
しかしシルヴィアは僅かばかり困った様に眉を寄せて、彼の言葉に喜ぶ素振りを見せる事はなかった。そして彼女がか細い声で呟く、“貴方様はどうして”という言葉は、オリヴァの耳に入る前に霞んで消えてしまう。
オリヴァはその姿を見て、思わず苦笑いを浮かべる。これから命を奪う相手から捧げられる感謝など、気持ちの良いものではなかったかと省みたのだ。
それから話題を変えるべきかと考えたオリヴァは、やはりどうしても気になってしまう“その点”について尋ねる事にした。
「ええとだな……なあシルヴィア、なんでメイド服なんて着ているんだ?」
当然の疑問である。
彼女は騎士であり、それ以前に彼女の故郷の王国においては公爵の位を有する家柄の令嬢なのだ。
シルヴィアのメイド服姿、それ自体に違和感はない。171センチメートルのすらりと伸びた長身には、落ち着いた黒と白の装いはよく似合っているとすら言えるだろう。しかし、圧倒的な器量と合わせたそれは、オリヴァの華のない住まいにあって異様な雰囲気を醸し出している。
故に、この後の事を踏まえたとしても、オリヴァはその事を訪ねずにはいられなかった。
そこでようやく、視線を床に貼り付けていたシルヴィアはオリヴァへとその紫色の瞳を戻しはするものの、返ってきたのは、
「何故とは、当然仕える為にこの装いを纏っているのです」
と言った具合の、なんとも青年の求るようなものではなかった。
「仕えるって、シルヴィアはご令嬢だろ?!」
「メイドなのですから、知識や礼節を学んだ貴族子女が務めてもおかしいものではないでしょう」
「そうは言っても、その、ただの令嬢じゃなくてだな……」
「公爵令嬢であっても同じ事です。……以前、その様な事を聞かせてくれたのは、オリヴァ様ではなかったでしょうか?」
そこでオリヴァは言葉に詰まる。確かに彼は、貴族の上下のみならず、人の生まれや育ちで在り様が決まる事を好んではおらず、そしてそんな事をシルヴィアにも話題の一つとして語った覚えがあった。
その事を踏まえても、やはり公爵という貴族制度において最上たる爵位の令嬢が、何某かに仕えるなどというのは前代未聞であるには間違いないが。
的を得ている様な、そうではない様な返答に、釈然としない気持ちでオリヴァは杯を一息に呷ると、次の酒を注ごうとして……そこで、もう酒が残されていない事に気づいた。
その残っていた果実酒こそ、己の命の蝋燭と定めていたつもりのオリヴァは、ひとつ息を吐いてシルヴィアに切り出した。
「……来てもらったばかりだが、続きは夜風に当たりながらにしないか。外に出よう」
再びの白刃を受け入れる為、オリヴァはそう言って席から立ち上がったのだ。
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