静かなる銀は闇を秘めて

第12話 突然の来訪者

 邪竜の呪いが祓われた“あの日”から三週間が経ち、世界に混乱と狂気が滲み出ている中、呪いから開放されたオリヴァは。



「……クミン、クローブ、コリアンダー、カルダモン、ターメリック、辛味を演出するペッパー類……」



 カレーで頭がいっぱいいっぱいだった。




 ——老婆を見送り、残る親友ククルカと和解を果たしたオリヴァは、この数年間の中で最も充実した時を過ごしていた。


 老婆を失ってしまった事は彼の胸中に途方もない悲しみを齎した。しかし、呪いの影響が無くなったのだからと、オリヴァはオルドー村の人々と交流を始めたのだ。


 最初は、あの無愛想で無口な青年が、今になって朗らかな態度を見せるものだと、村人達は戸惑った。


 それに対しオリヴァは、“村の外れに住んでいた老婆が最期に遺した遺言で幸せを願われた。それを無碍にする事だけはしたくない”と語り、今までの無礼を彼らに詫びた。


 そうしてしまえば、元々人懐っこく面倒見の良い性格に加えて、隠しきれない傷は目立つものの精悍な顔立ちの好青年だ。そこに鍛え上げられた身体による力仕事の手伝いなどで、オリヴァは村人達の好感をあっという間に一手に収めた。


 ただでさえ人手の少ない田舎の村に、頼もしい若い風が吹き込んできたのだ。訝しんでいた村人達も今ではすっかり歓迎する有様であり、娘が居る家などは婿に来ないかと声をかけるまでに至っていた。


 村では笑顔で迎え入れられ、住まいとする森の小屋に帰ったならば友愛を向けるククルカと穏やかな一日を過ごす。数ヶ月前には考えもしなかった、悠々として快適な生活をオリヴァはその手に出来たのだ。




 ——オリヴァはこの日も、朝には村で飼われている牛の世話を手伝い、帰ってきてからはククルカといつかの泉で水浴びをしながら戯れる。そして日が沈んでからは手帳を眺めつつ、彼が狩った野鳥と引き換えに村人から貰った酒をちびちびと楽しんでいた。


 快適な生活だと、オリヴァ自身納得している。むしろこれ以上求めるのは、いくら老婆に幸せになってくれと言われたとて、贅沢が過ぎるのではないかと彼は考えているほどだ。


 しかし、その一度快適な生活を迎えてしまえば、人は次を求めてしまうもの。オリヴァにとっての“次”とは、やはりカレーに他ならなかった。



「……行くしかないか、街へ」



 食欲に塗れた覚悟を、窓の外に浮かぶ月へ向けられた熱い眼差しと共に彼は言葉にする。……その内容が“カレーを作る為にスパイスを買いに行く”というものでなかったのであれば、いかにも英雄然とした振る舞いであったのかもしれない。


 悲しみから立ち直りつつあるものの、一抹の寂しさから老婆の遺したレシピを眺め、そのたび“カレー”への思いを少しずつ、オリヴァはその分厚い胸の中で育ててしまっていた。


 もはや頭の中では、老婆が遺してくれたレシピを見て見ぬ振りをすることこそ罪なのではないか、オルドー村の彼らにもカレーを堪能してもらう事は己の役割なのではないか、などと、カレーを自分が食べたいが為の言い訳を幾つも用意している有様だった。


 それから、ククルカがついてきてくれるなら、荷物の運搬はグッと楽になる。友に荷物持ちをさせる事は気が引けるが、街には己が与えてやる事ができない美味もあるし、それで手を打ってもらえないだろうか……そう、頭の中ではカレーを作る上での算段を組み立てていると——



「……このような僻地にお住まいなのですね」



——不意に、凛とした声がオリヴァの耳に届いた。

 即座に椅子から立ち上がって臨戦体勢を取り、声が聞こえた方向に視線を向けたオリヴァは、その黒い瞳を宿す目を大きく見開く。



「……シルヴィア……?」

 


 オリヴァが視線を向けた先、彼が背中を向けていた小屋の入り口に、一人の乙女が立っていた。




 ——麗かな銀色の長い髪を高い位置で一つ結びポニーテールに纏めている。これは、彼女の国では瑞兆とされている銀髪を、その長さを保ちつつ、しかし騎士としての煩わしさを改善する為のもの。


 紫水晶の様に色濃く煌めく紫の瞳は、冷たい鋭さをもつ切長の眼に収められ、彼女の意志の強さを物語っている様。


 美形。そう語る事を憚る必要がないほどに整った顔立ちには、涼やかな表情が浮かんでいる。これには、かの国の貴族達も求婚する事を敢えて慎む程だ。


 身体つきはまるで、男の妄想をそのまま具現化したかの様。腹部や四肢周りは引き締まりながらも、胸元や臀部はしっかりとした発達の具合を示しており、その身体を抱き締める事だけでも一つの幸福と言えるだろう。


 勇者一行の中でヘレナに次いで育った胸に関しては、“こんなもの、剣を振るうには煩わしいものですが”などと本人が口にして、その度リタが激怒するという光景を、オリヴァは旅の最中に目の当たりにすることもあった。


 救世の英雄が一人、シルヴィア。本来位の高い貴族であり、騎士団を率いて邪竜討伐に臨んだ女騎士。


 その彼女が、何故かケープ丈の短いマントの下にメイド服お仕着せを身に纏って、オリヴァの小屋を訪れていた。




 ——オリヴァは久々の戦友との邂逅を喜ばなかった。いや、


 邪竜の呪いが祓われた今でも……今だからこそ、彼の脳内には一つの懸念が宿っていたのだ。


 邪竜の呪いについて、オリヴァが理解できている事は二つ。


 一つは他者が自分に好意を抱けば抱くほどに憎悪に駆られるという事。もう一つは呪いの影響を受けていたとて、その間の記憶は消失しない事。


 後者がオリヴァを悩ませたのだ。


 ククルカの場合はそれが良い方向に働いた。魔獣の本能に呑まれそうになった彼女が、オリヴァとの間に築かれた思い出によって、本能を振り切る事ができた。


 では逆に、? ……その時、人がどう動くのか、オリヴァは把握する術を持たなかった。


 故に黒髪のオリヴァは、月の光に銀色の髪を輝かせるシルヴィアの出方を待つ事にした。


 彼女が諸手を挙げて二人の再会を喜んでくれたなら良い。しかし、オリヴァの生存を……


 日頃はそうと見せぬが、呪いを受けて確かに心に傷トラウマを負っていた青年は、シルヴィアを見つめて、その時を待った。


 そしてシルヴィアは、夜風の様に涼やかな表情のまま、薄い唇を開いて言葉を紡ぐ。



「……生きていらしたんですね」



 その言葉を受けて、オリヴァは愕然としてしまった。


 とはやはり、己の死を望んでいたのかと。


 そう受け取ったオリヴァは、諦めたかの様に口許に笑みを浮かべ、再び腰を椅子へと落ち着かせた。


 オリヴァは彼女の手を汚させる事を善しとしなければ、これから彼自身が為したい事もある。


 しかし、相手は、自身と同じく邪竜討伐の第一線へ臨んだ世界屈指の猛者だ。女だてらに武芸を修めたその技量の高さは、抗ったとてお互い無事で済むはずはない。


 故にオリヴァは潔くその意志を受け入れる事にした。せめて村人にもらった酒だけは空けてしまおうと、器を傾けて口に含みながら。
















ちょっとしたあとがき。

12話でようやくメインヒロインと主人公の絡みが始まるってマジです?

ここまで『女勇者のパーティから追放された世界一の嫌われ者、咖哩を求めて旅に出る』をご覧くださりありがとうございます。

連日のあとがきで恐縮ですが、この度レビューの☆が100を突破、フォローもあとがき執筆時点で275名の方がくださり、執筆意欲を奮い立たせられる思いです。

有難いことにコメントまで下さる方もいらっしゃって、書き手として冥利に尽きます。コメントっていただけるだけでこんなに嬉しくなってしまうものなのですね。

この後はしばらく銀髪女騎士シルヴィアとのお話が続きます。ヤンデレスキーな皆様に楽しんでいただける様奮って書き記して参ります。

お時間ございましたら、何卒お付き合いいただけますようお願い申し上げます。

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