第11話 物語は再び

 女勇者アルマ、魔法使いリタを含めて、呪いの影響を受けた人々は知らなかったのだ。オリヴァの身体を侵す邪竜のそれは、“愛憎反転”という世にも悍ましき呪いであると。


 オリヴァ自身、ロロと呼ばれた老婆からそうであると聞かされてようやく、その表面的な効果しか理解が及ばない程の呪いなのだ。


 何しろ“呪い”といえば、単純に“人命を奪う”ものから“少し体が気怠くなる”程度のものまで、内容が広範囲に渡る。その上でという考えが、世界においては一般論とされていた。


 ゼジリアの遺したそれはその点においても人類の常識の埒外であった。


 邪竜の呪いはそれに呪われた者の、、それも世界という尋常ならざる規模で。その結果として呪いを受けし者を苦しめるのだから、やはり恐ろしいと言わざるを得ないだろう。


 ……邪竜が最期に遺した呪いだ、油断すべきではない。


 当時の勇者一行はそう理解していても、よもや“感情”という目に見えぬ、しかし確かに人間を構成する要素に干渉するとは彼らも想像していなかった。


 呪詛と血を浴びたオリヴァであるが、傍目には影響を受けているようには思えない。


 そう考えたアルマ達は、邪竜を討ち果たした後の魔物の対処を各国に任せて、人類側の拠点に戻ることになった。……その時点で違和感に気付けていたのであれば、きっと世界が歪むこともなかったのかもしれない。








 ——オリヴァがいる大陸の北西には、この世界で最も信仰されている“女神マーテル教”の、総本山とも言うべき国がある。


 その国の中央には、ヴァイセフーゲル大聖堂と呼ばれる、荘厳と神聖さをそのもの表したかの様な、真白い石材で作り上げられた歴史ある教会が聳え立っていた。


 女神マーテルへの一心な祈りを捧げる多くの人民が集う中、その信仰心を認められた聖職者達はマーテル教の教えを人々へ説いている。


 大聖堂には、ただの教会としての機能を有するだけではなく、将来の聖職者を育成する為、幾つかの修行の場が備えられていた。


 信仰心を認められたものの、マーテル教が扱う“光魔法”を未だ有さない少年少女に、その神秘を抱かせる為のとりわけ神聖な空間だ。


 その修行場の内の一つに大聖堂の地下深くに広がる、“聖水が水面を満たす泉”がある。


 ここは、その心身を凍えさせる様な温度の聖水に身体を浸しつつ、女神マーテルへの祈りを捧げる事で信仰心を高めることを目的としている。


 もはや拷問の様な修行ではあるが、この泉に臨むものは他者に強制されているわけではない。自らその泉へ足を踏み入れる事で、己の中にある女神への信仰心と女神の慈悲を確かめる事ができる。


 その果てに女神の恩寵を授かり、光魔法に目覚める事が出来るのだ。


 ……その神聖な泉の広がる空間が、その日はかつてないほどに騒々しい声が響いていた。


 慌ただしい様子のシスター達が、泉から一人の乙女を引き摺る様に引き上げる。そして、乙女の体に濡れて張り付く、白の薄いワンピースの様な修行服を脱がしていく。そうしなければ、体温の低下によって死の危険があるからだ。


 淡い青色の髪を有する乙女の唇は紫色になっており、顔色も青く、どれほど泉に浸かっていたのか窺い知れぬ程に憔悴している。


 その目も何処へと視線を向けているのか分からぬほどに虚めいている。彼女はぶつぶつと何かを呟いては泉へ身を投げ出そうとして、彼女の側に控えるシスターに止められていた。

 



 ——乙女は本来、泉に浸かる必要などなかった。


 彼女は既に“聖女”であり、その信仰が生む光魔法にて勇者の旅路を支えた一人、ヘレナなのだから。


 空色の髪は腰程までの長さがあり、その途中からは柔らかな癖でふわりと広がっていた。


 煌めく桃色の瞳を宿すぱっちりとした丸い目は、これまで数多くの悩める人々の言葉に対し慈しみの視線を向けてきた。


 顔立ちに幼さが残っているのは、彼女がまだ17歳という子供と大人の狭間の年代である事の証明ではある。


 しかし159センチメートル程の背丈に対し、身体つきは既に大人顔負けのものを有しており、少なくとも胸囲については勇者一行の中では一番だと、当時の魔法使いリタは日記に書き記している。

 



 ——ヘレナはただひたすらに、自分自身が恐ろしかった。


 何故を、黒髪の青年に向けてしまったのか。確かにあの瞬間、彼に対して“穢らわしいという感情”が湧き上がっていたのは間違いない。しかし自身は聖女であり、それに恥じぬ努力をして教徒の模範たらんと生きてきた。それに相手は、他の誰でもないオリヴァという青年なのだ。


 “聖女としてではなく、ヘレナ自身を見てくれる逞しい異性への思慕”を思い出した彼女には、ひたすらにそれが恐ろしかった。

 


「きっと、きっと……わたくしが至らないから、あんなにも悍ましい言葉を……はやく、祈りを捧げなくてはいけないのです」



 変わらず虚な、光を宿さない瞳でヘレナは泉へと這いずる様に向かおうとする。その様はまるで何かの天罰を待ち望むかの様であり、見る者を戦慄させた。


 見ている事ができず、一人のシスターが“貴女は聖女なのです。誰よりも女神マーテルに愛されている方。その貴女が、これほど自らに鞭打つ様な真似を、誰も望んでいません”。そう、悲鳴じみた声でヘレナに語りかける。


 その声を聞いたヘレナは、その昏い瞳をぐるりとそのシスターに向け、にたり、という擬音が聞こえそうな様子で笑顔を浮かべた。善良なる教徒の喉から、引き攣った様に空気が漏れる。



「……愛されている? わたくしが? ……ふふ、面白いことを仰いますねぇ。愛されているわたくしが、あのような、本来なら言葉にすることすら憚られる様な真似をぉ? ふ、ふふ、ふふふふふ」


 

 ヘレナは誰よりも熱心に女神を信仰してきた。そして彼女自身は“当たり前のこと”と謙遜するが、彼女の心根が、他者に対し限りない慈しみをむける事を好しとする、優しいものである事は間違いない。その筈だった。


 その自分がよりによって、誰よりも血を流し、人類の為にと身を尽くしたオリヴァを否定する言葉を吐いたのだ。


 彼女はもう、女神の慈悲も、そして自分自身すらも信じる事が出来なくなりつつあったのだ。



「マーテルさまが間違っているはずはありません。オリヴァさまが穢らわしい筈もありません。……でしたら歪んでいるのは、わたくしですよねぇ? ……だから、だからぁ!!」



 そうして喚き始めたヘレナを、シスター達は複数人がかりで、そうすべきではないと理解していても、まるで罪人かの様に引き摺っていく。


 ……そして、ヘレナは療養という名目で軟禁される事になった。


 稀代の聖女の乱心は、マーテル教にとってこの上ない醜聞だ。聖女ともあろう者が、信心を否定するなどあってはいけない事であると、そう複数の司教によって判断されたのだ。


 故に、ヘレナは縋るべき縁を失い、部屋で一人祈り続ける。誰へ向けたものかもわからない、ただ己の弱さを恥入り謝る祈りを捧げ続けた。




 ——女勇者は自暴自棄に蝕まれた。


 魔法使いは現実逃避を選んだ。


 聖女は自己否定に陥った。


 そして……騎士は贖罪に臨む。


 これは、世界を滅ぼす邪悪を討ち果たした後の物語。


 残酷な世界で、一人の青年が望むものを手にする為の物語だ。















ちょっとしたあとがき。

ここまで『女勇者のパーティから追放された世界一の嫌われ者、咖哩を求めて旅に出る』をご覧くださり、本当にありがとうございます。

なんとなくで書き始めた物語ですが、想定より多くの方が目に留めてくださった様で、このあとがき執筆時点でブックマーク数は213名。多くのレビューの☆もいただけて、結果週間ランキング220位にランクイン致しました。

拙い書き手の力量で恐縮ですが、楽しんでいただけているならこれ以上の喜びはありません。

これからも奮って書き連ねて参りますので、気が向いた際にでもまたお立ち寄りいただければ幸いです。

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