第10話 人々は、そして彼女達は

 邪竜の呪いが祓われてから二週間が経過し、オリヴァの事を知る世界中の人々には混乱が生じていた。


 何故、救世の英雄たるオリヴァという青年を人は、いや、己は悪し様に考え、扱ってしまったのか。


そう考えた人々は、恥じて、悔い、恐れた。そうして、後悔の念を抱えたまま押し黙る者もいれば、やり場のない感情を他者にぶつける者まで現れた。




 ——とりわけ、ある西方の国では暴動に等しい騒動が起きた。


 この国では呪いの影響により、勇者の徒党に相応しくないとしてオリヴァの名を、語り継ぐべき勇者の記録から抹消すると国による決定を下してしまっていた。


 それをすぐさま撤回し、オリヴァを今すぐにでも暖かく迎え入れるべきだと、平民や国を守る為の騎士たちから声が上がったのだ。


 何故ならその国は、魔物に陥落寸前まで追い込まれていた窮地を、オリヴァを含む勇者一行が直接的に救い出されていた。


 当然、民の中には、自身を助けようと魔物を前に血を流す彼を目の当たりにし、その背中に敬愛の念を抱いていた者が数知れずいる。そういった人々が国に対して、をぶつけた。




 ——このような悪ふざけにも似た話が起こり得るとは、呪いを祓った老婆も、呪いをかけた邪竜ですらも想像していなかったに違いない。


 “愛憎反転”は、オリヴァに抱く好感情が強ければ強いほど、仇にも等しい殺意を抱かせるまでの憎悪へそれを反転させた。


 その様な強い感情を抱いていた者が、彼の事をいつまでも忘れ去るなど出来よう筈もない。


 人々は呪いが祓われたあの日から、ふとした拍子に彼の事を思い出してしまって……そこでオリヴァへの温かな感情と、彼へ向けた自身の残酷な仕打ちを想起してしまう。その結果、堪えきれない慚愧が彼らを襲った。


 決して、全ての人がその良心の呵責に苛まれる事になったわけではない。元々がオリヴァを好まない様な悪漢であったり、彼の事を知りはしても自身とは関わり合いになる者ではないと割り切っていたりした人々などは呪いの影響を受けなかった。


 人類にとって不運だったのは……やはりオリヴァが邪竜討伐を果たした、英雄だったという事だ。英雄であるが故に数多の人々は彼を知り、敬愛を含むさまざまな好感情を抱く。それは平民から貴族、そして国の中枢たる王にまで、影響を及ぼす事になった。


 最も呪いの影響を強く受けたのは、彼と共に歩んだ四人の乙女達だろう。


 そうして、呪いが祓われた日を境に、少しずつ世界には歪みが生じていった。








 ——とある国には、魔の道を極めんとする意志を持つ者達が集い、そうして形を成した魔法都市があった。


 その魔法都市には、魔法について記された魔道書を、無限とも思える数ほど納めた大図書館が存在する。


 智慧の樹海とも呼ばれるそこには、己が求める魔法を先人に倣おうと、多くの魔法使いが日夜を問わず集う姿が見えた。


 その大図書館の一角、山の様に積み上げられた本に囲まれて、縋る様にそれらを捲り目当てを血眼で探す、ローブを羽織った赤い髪の少女の姿があった。


 その様子はいかにも苛立たしげで、爪を噛んでは堪えきれない様に頭を掻き、魔道書の頁を次から次へと捲っている。



「……ない……ここにもない……“時間遡行”や“事象改変”なんて大それたものじゃなくていいから、ほんの少しだけ“やり直し”が出来るだけでいいのよ。……ない……」



 ぶつぶつと、誰に聞かせるでもない言葉を溢し続ける彼女の目元には隈が浮かんでおり、探し物を求めて、もう長い時間を費やしている事が窺える。


 彼女はもはや、自分が言っている事が矛盾している事にすら気づけていない。彼女の口にする“やり直し”とは、否定したそれらの“大それたもの”に他ならないのだ。




 ——彼女こそ、その魔法の才覚と腕前で勇者の旅路を支えた少女、“紅焔”のリタだ。


 一行の中で最も幼い彼女は、今年16歳を迎えたうら若き才女である。


 色鮮やかな赤色の髪は二つ結びツインテールに纏める事を好み、彼女の性格をよく表している様なツリ目には、満月に似た金色の瞳を宿している。


 魔法こそ己の全てだと豪語する彼女は、身体を作る鍛錬や食に頓着しない事もあり、背丈は150センチメートルを少し上回る程度。身体つきは、かつて“まないた”と揶揄された事もあるほどだ。


 因むのであれば、その言葉を発した野盗の一団は、彼女が放つ爆炎の炎に巻かれ沈黙し壊滅、即座に牢獄に放り込まれる事になった。


 それを見たオリヴァは、何があってもリタだけは怒らせまいと胸に固く誓ったのは、彼の秘密の一つである。

 




 ——仮にもこの場は図書館だ。訪れる者は彼女以外にも多く、その者もきっと己の目的の為集中したいに違いない。


 その中で呟き、喚き、時折けたまましく笑うリタを咎める者はいない。正しく言にするのであれば、彼女の周囲に人影は存在しない。


 声をかける事を躊躇う程に、声をかけてはならないモノと思われる程に、彼女のその様子は“異常”そのものだった。


 リタもまた、呪いによる影響に心身を蝕まれてしまっていた。


 彼女もまた、オリヴァに抱いていた“頼もしき兄貴分に対する淡い恋心”を取り戻していた。


 同時に、あれほど己の拠り所としていた大きな背中に、自身の放つ焔に因って惨たらしい火傷を負わすという残酷な過去の行いを思い出す。


 リタは幼さ故のへそ曲がりではあったがその実、甘えたがりな性分の少女だった。


 その彼女が、最も甘えを見せていたオリヴァを、自身が遠ざけてしまったと言う事実に、やはりまだ年若いリタは耐える事ができなかった。



「やり直すの……全部……この二年間を、ううん……邪竜を倒した所から……ちがう……出逢った所からやり直して……“おにいちゃん”って、呼ぶのよ。……あはは」



 支離滅裂な言葉を吐きながらも、悲しみが産んだ妄想を脳裏に浮かべ、リタは歪んだ口許から笑みを溢す。


 彼女はその絶望を魔法という神秘に縋る事で、“なかった事にしよう”と考え、今日までに無数の書物を読み漁った。


 彼女の中の罪悪感は無くならずとも、せめて“オリヴァを追い詰めた”という事実さえなくなれば、どうとでも出来るのではないか。悲しい現実逃避に落ち入り、そしてそれを叶えかねない力を有するものが魔法だった。


 しかし、彼女が手にする魔道書の中に、彼女の求めるものはない。


 時間、空間、ゼロからの物質創造、魂と生命。これらを操る事は魔法の中でも秘奥の中の秘奥であり、それを完全に操る術を得た者は、深く己の中に留め余人の目に晒す事などしない。


 リタは天才だった。事実、時間と空間の魔法については、僅かではあれど一端を扱うまでの魔法使いとしての高みに至ってはいたのだ。


 その才能故に、何処かに自身の求める魔法があるに違いない。そう思ってしまったのだ。


 しかし、求めているのは、という、いわば魔法の窮極。



「ない……ない、ない、ない! どうしてどこにもないの?! ! あたしが求めてるのはそれだけだっていうのに! どいつもこいつも、ばかみたい!! ……ちがう、本当に馬鹿なのはあたしだ! おにいちゃんを遠ざけてしまったあたしなんだ! あは! あははははははは!!」



 そういって、“決壊”したリタは狂った様に笑い、涙を流す。それは少しの間行われた後に、不意にぴたりと止まり、また彼女はぶつぶつと呟きながら魔道書へと視線を落とす。彼女がこの大図書館を訪れてからの数日、この狂気が繰り返され続けていた。


 彼女にとって不幸中の幸いだったのは、まだ縋るべき魔道書が無数にあったという事だろう。それらがとうに尽きていたのなら、彼女の幼い精神性もまた悔恨に押し潰されていたに違いない。


 彼女達の中には、縋るべきものを見失ってしまったものもいたのだ。

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