第9話 呪い、その影響

 邪竜の呪い、“愛憎反転”。


 オリヴァを苦しめ、そして彼の恩人である老婆ロロがその人生の終わりに、青年から自らへと移す事で祓われた悪意の塊。


 その呪いにかけられた者に対して、他者は愛情を抱く程に、憎悪へとその感情を反転させる。正と負が表裏一体である故に、それを反転させてしまう、恐るべき呪いだ。


 愛している程に、憎く思ってしまう。その本質こそ単純ではあれど、その呪いは邪竜単独でなし得るのが本来不可思議な程、複雑な構造をしていた。


 例えを挙げるなら、認識阻害の効果もその一つだ。


 呪いをかけられたとて、昨日まで背中を預け、共に釜の飯を食らっていた同胞を見て、今日になってその者を悪しき存在だと認識する事に違和感を覚えないものだろうか。


 しかし、呪いの影響を受けた者は、その違和感に気付けない。と受け入れてしまうのだ。


 そして一度、悪感情に呑まれた者はその事を解明しようという気概を失ってしまう。“なぜ、自分があの憎い者の為に手間をかけなければいけないのか”。その様な思考を働かせてしまうのが、人の持つ弱さというものである。


 その複雑さを有す呪いに、ある種の弱点は存在した。


 “記憶”には干渉出来なかったのだ。


 悪意や害意を抱かせるのであれば、記憶を改竄してしまえばいい。


 例えば、“あの男は理由もなく強盗を働き、まだ若い少女を傷つけた”。このように記憶を改めてしまえば、幾らでも容易に他者の負の感情を誘うことが出来る。


 しかし、事こそを意義とする呪いにとっては、どれほど記憶を改竄すれば良いのかという加減の判断は出来ない。


 故に感情のみへとその矛先を定められた呪いであるが……この“記憶への不干渉”はオリヴァという黒髪の青年の希望であり、そして彼を知る者の絶望のはじまりであった。


 オリヴァにとって唯一の友である魔獣クーシーのククルカは、呪いの影響でオリヴァを友として親交を深めた。


 そして影響が晴れた後も、彼との思い出を有していたが故に、魔獣としての本能に抗い、再び彼と隣り合う存在へと立ち帰ることができた。


 そう、


 それが、大切な想い人を傷つけ、故郷から追い出したという、残酷な記憶であっても。


 ……にとっては、ともすればオリヴァが本当に悪人であったなら、余程楽になれた事なのかもしれない。そして、そうであったなら、オリヴァも苦しむ事はなかったであろう。


 しかし、そうはならなかった。








 ——オリヴァの住む森から遥か西方の大地。そこには“対魔戦線”と呼ばれる戦地が築かれていた。


 邪竜討伐を果たされたが、残る魔物は即座に瓦解するという事には至らず、知能の高い一部の魔物が指揮を取り再び人類圏への侵攻を行っている。ここは、人類がその魔の手を食い止める最前線だった。


 その戦いの場において、一人の鎧を見に纏う乙女が、金の髪を振り乱しながら単騎にて数百という魔物の群れに飛び込んだ。


 手にするは聖剣キャストリオ。その担い手の意思に感応し更なる力を齎す、邪竜を屠る一撃を加えた神秘の剣。聖剣が力を発揮する時、その刀身は白く輝くとされている中、彼女の手にあるそれは染め上げられていた。


 闇を思わせる色に染まる聖剣を手に、乙女は狂乱の叫び声を上げる。

 


「——さぁ!! キミたちの憎き“勇者”はここだよ!! かかってこいよぉ!!」

 


 そして迫り来る魔物と魔獣を、彼女は嵐のような剣捌きで斬り払っていく。




 ——乙女こそ、女勇者“アルマ”その人だ。


 艶やかな金の長い髪に、翠玉の様な濃い緑色の瞳を持つ、剣を持たなければ何処ぞの令嬢と紛う程の美しさの、歳の頃は19にも満たない女性だ。


 剣を振るう事で引き締まった、背丈161センチメートル程の身体には、女性である事を殊更に強調する様な起伏を有している。


 品のない言い方ではあるが、まるで瑞々しくに実った胸には、貴賎を問わず多くの男性の注目を集めた。そうして声をかける不届き者がいれば、彼女はオリヴァの影に隠れる様にやり過ごす。その彼と彼女にある信頼関係を、アルマは好んでいた。


 しかしながら、幼馴染と共に成長してきたが故に培われた、少しばかりの男勝りな気質が祟り、オリヴァを何度もドギマギとさせる。そういう親しみやすさを有しているのが、女勇者アルマという乙女だった。




 ——その美しい乙女の今を一言で言うのであれば、“悲惨”だった。


 人目を惹いてやまない筈の美貌には、誰の目に見ても狂気が宿っている。狂った様に目を見開き、裂けたかの様に口を開いて叫び声をあげながら、アルマは自身の剣が生み出した血の雨を浴びて、ひたすらに魔物を殺戮していく。


 アルマは呪いそのものの影響も、そして“祓われた事による影響”も、他者より大きく受けた人間だった。


 呪いが祓われたあの日、彼女はオリヴァへの“幼い頃から胸に抱いていた恋慕の感情”を取り戻した。


 その上で、、“”と、そう思ってしまった。彼女は未だ知る由もないが、“生き残った”オリヴァの胸に一際大きく残る傷痕は、他ならぬ彼女の手によって与えられたものだからだ。


 結果、彼女の心を絶望が埋め尽くし、聖剣は黒く染め上げられた。


 ……そこで話が終わるなら、アルマはのかもしれない。


 すぐにでも、死したオリヴァの後を追う事を求めたアルマを引き留めたのは、皮肉にも彼女が誇りとしていた筈の勇者という栄叡ある称号だった。



「……ハァ、ハァ……殺せ、殺せ、殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ!!」



 赤く染まる手を見て、再びアルマは狂った様に魔物の一団へと吶喊とっかんする。


 アルマは勇者であるとされてしまったが故に、人類を見捨てて自死を選ぶ事を許されなかった。絶望に堕ちながらも、彼女に残された僅かばかりの矜持が、それを許さなかった。


 すぐにでも最愛の幼馴染の下へ行く事を望む願望。それを許さぬ勇者という名前の重圧。


 その葛藤の果てにアルマは……狂った。


 自らの死を選ぶことが許されぬと言うのであれば、“魔物との戦いの中で死ねばいい”。そうすれば、言い訳になると狂った選択をしてしまった。 


 その言い訳が、誰に対する者なのかという事を、彼女はもう考えることはできなかった。



「殺せ……殺せよ……早くぉぉぉ!!」



 魔物の雄叫びが上がる戦場に、誰よりも悲壮なアルマの慟哭が響き渡る。


 しかし、邪竜を討ち果たした勇者を殺せる者など、彼女自身を除いては存在しなかった。

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