第43話 異形なりしは百の敵
かつての仲間であるヘレナを助けるべく、奴隷商ツェーザルの手引きによりウィーゼアルムで行われる剣闘試合に出場したオリヴァは……今、九十九人目となる、ツェーザル商会所属において最強の剣闘士テオドールを吹き飛ばしていた。
“女勇者、聖女、女騎士、魔女と来たならば……僕の様に華と勇敢さを兼ね備えた男性の方が、同行するには相応しかっただろうに!”
などと宣ったテオドールは、つい苛立ってしまったオリヴァに頬を木剣で打たれ、錐揉み回転しながら宙を舞い、そうして頭から墜落すると動かなくなる。
仲間達は皆女性であるがそれ以上に、邪竜討伐という目的を前に心を一つにして戦ったかけがえのない友なのだ。それを性別だけ判断して華がどうだの、相応しいだのと言葉にしてみせるのは、実際に戦い血を流し仲間を守ったオリヴァには度し難い行いだった。
しかし心穏やかでなかったとて、既に己の力の制御を果たしたオリヴァは戦いにおいては冷静に、しかし立ち上がる事を許さぬ絶妙な塩梅でテオドールを下してみせた。
確かに強敵ではあった様だが、あくまで“剣闘士という枠組み”においてだ。無限のマナという神秘の力を手にしたオリヴァどころか、得意の細剣を手にせぬシルヴィアにすら敵わないだろう。
「まったく、最後まで“反オリヴァ派”なる連中が出てくるとは。だが、事は成った。……その点については、感謝するしかない」
この九十九回の戦いにおいて、ついにオリヴァは自身に潜む力の核心を掴んだ。
悪戯に他者を傷つける可能性も排し、ともすればそれ以上の秘奥すら叶えられるかもしれない。
例えば、一振りにて百の魔物を蒸発させ、空高く舞う邪竜の翼を切り落としてみせた女勇者の究極の剣、その真似事を。
剣を握る己の手を、力強い眼差しで確かめたオリヴァは、いよいよ最後の戦いを迎える。
……相手方の最強剣闘士が九十九試合目に出場したという事は、恐らくはシルヴィアの懸念は間違っていなかったのだろう。
隣にいるヘレナは困った様な表情で、メイドの振る舞いを眺めた後、祈る様に胸の前で両の手の平を組み合わせて、そしてオリヴァに視線を向ける。
そんな乙女達の振る舞いにオリヴァが苦笑いしている一方、闘技場のお立ち台にてオリヴァの戦いに打ち震えていた進行役のビルギットの下へ、何者かが駆け寄った。
ビルギットは手渡された指示書きを確認すると、誰からも気付かれない様に溜息を吐いた後、しかしこれが己の生業なのだと諦めて、会場へと声を届けるべく視線を向けた。
“ついに! ついについについにィ……
その声にオリヴァは意識を闘技場へと戻し、そしてこれからくるであろう敵を待ち構えるべく西方、虎の口を睨む。
観客達は“最終試合”という文言を前にして、やや悲鳴染みた声を上げる。不滅のオリヴァの戦いをもっと見たいと、既にオリヴァを疑う者の居なくなった客席からは、物足りなさ故の運営に対する非難の声すらあがった。
しかし、ビルギットが指示書きに書かれていた言葉を読み上げると、今度は歓声が上がる事になる。
“ここまで九十九人の猛者を一撃で下してきた我らが“不滅”のオリヴァ選手ですがァ……しかァしッ! 我々は知っているッッ! 英雄オリヴァは、何を相手に戦った戦士なのかをッッッ!!”
「やはり、そうなるか。……いいさ、どうせなら、最後にでかい花火でも打ち上げてやる」
相手の入場口を睨みつけていたオリヴァは、確かに感じ取った。人ならぬもの、“怪物”に似た、圧倒的強者の気配を。
“その勇姿、その伝説、それをォこの目で確かめたいッ!! 故に我々は用意しましたァ……英雄に相応しい、最強の刺客をォ!!”
オリヴァが感じている禍々しい気配が色濃くなるにつれ、その存在の歩みと共に闘技場の地面が確かに揺れる。纏うのは濃厚な死の予感。他者を用意に屠る事ができる者のみが有する、第六感の圧。
いよいよオリヴァが睨みつけていた虎の口から……獅子が現れた。
そして獅子に続いて現れた、山羊の頭、そして蛇の姿を見て、“ツィツィとククルカを連れてこなくて本当に良かったな”と青年は胸の内で言葉を漏らす。
“その相手はァ! 人類が生み出した究極の魔獣ッッ! その名はァ……キィィマァァァイィィィルゥァアアッッッ!!”
人造魔獣“キマイラ”。魔獣という理外の存在において、更なる異形を有する怪物。
獅子の上半身に、背中から頭を生やした山羊の下半身。極め付け、尻尾には毒を撒き散らす蛇の頭を持つ、闘うために生み出された歪な魔獣だ。
オリヴァが見上げる程の巨躯を有しながら、その喉元に首輪をつけられた獅子が、今にも獲物に飛び掛からんと青年を射殺す様な目で見据えるその姿は、闘技場を囲う様に“結界魔法”が施されていなければ、観客は一目散に逃げ出していただろう。
オリヴァがキマイラの全容を確かめた時、音もなく彼の傍に銀色の影が跪く。当然彼女もマナによる身体強化を行使できるのだ、余人にとってはまるで突然に現れた様に感じるだろう。
恭しく傅いた彼女が手に掲げるのは、オリヴァが幾度となく命を預け、共に魔を討ち払った黒く光る刃。
剣闘試合において人が相手でないのであれば、使う得物に制限はない。魔獣が相手ならば容赦しない事こそ、戦いを宿命付けられた哀しき生命に対し最後に残された慈悲なのである。
「主様、こちらを」
「ありがとう、シルヴィア」
主が剣を受け取り、鞘から抜き放ったなら、シルヴィアはその鞘を手にして再び姿を通路へと隠す。彼女のこの日の役割は、あくまでオリヴァの影なのだ。
——闘技場の地下にて飼育される魔獣の気配に異質なもの感じ取ったシルヴィアは、オリヴァが戦い始めると同時にキマイラの存在を確認していた。
檻に誂えられた何処の所有なのかを示す印には、この特別試合を組んだ商会の名が刻まれている。
木剣で相手するにはやや難儀な獣だ。そこでいっそ片付けてしまおうかと考えたメイドではあるが、試合に出ると決まっていない現状こちらから動くのは得策ではないと判断し、穏便な決着を望む主に判断を任せることにした。
そこでこの日使う予定のなかったその魔剣を用意していたのだ。
——魔剣ヴォルクスガング。鞘から抜き放った諸刃の剣を手にしたオリヴァは、己のマナを活性化させる。
次の瞬間にはオリヴァの五体に戦う為の力が満ち満ちるが、さらにさらにとマナを際限なく生み出していく。そうして、オリヴァという器から溢れ出したマナを、今度は手にする魔剣へと巡らせる。
女勇者アルマが好んで用いる、己を砲台、聖剣を砲塔とし、マナという神秘の力を敵への手向とする絶対の一振り。
かつて真似する事など到底できなかったオリヴァは、今は出来ると確信を持つ。そうしてキマイラへと正対する様に向き直ると、剣を下段に構えた。トーレント戦でも用いたアッカーマン流剣術下段の構え、“龍飛”だ。
地から天へと軌跡を描くこの構えでなければ、どれだけ被害が出るかわからない。それでもオリヴァがこの技を選んだのは……“勇者一行を嘗めるなよ”という、青年のささやかな矜持故だ。
いよいよ、異形の獅子と人の姿をした怪物の視線が、交わった。
“それではァ最終……キマイラ対“不滅”のオリヴァ……試合ィ開始ィィィッッッ!!”
咆哮が響く。獅子の、そして青年の。
身を、心を、魂を震わせる咆哮が、空間に響き渡る。
そして、首輪から信号を送られたキマイラは、即座に青年との距離を詰め、振り上げた前足を膂力のままに突き立てようとする。当たれば即死の一撃だ。
応じるオリヴァは、己の全霊でもって剣をキマイラの喉へと振り上げる。
——勝負はたったそれだけで決した。
振られた魔剣からまろび出るマナは、即座に熱量を持つ暗黒色の光へと変換される。
そうして産み出された“光の刃”はオリヴァからキマイラへと放たれ、かの異形を一瞬にして蒸発させた。
それどころか、観客保護の為の結界魔法を砕き、闘技場の上端の一部を消失させ、空へと駆けて行き……上空数千メートルに漂う雲すらも払ってのけた。
勇者曰く“
膨大なマナと、それを御し切る剣の腕を以て成し得る、無二の一撃にて、キマイラは永遠の眠りへと誘われて行った。
そして瞬きほどの静寂が闘技場を支配した後——。
“……決ッッッチャァァァアクッッッッ!! キマイラを、たった一振りで終わらせたァァアアアッッッ!!”
——地響きのような声が上がる。万雷の喝采が響く。観客の感動が、茜色を帯び始めた空に吸い込まれてなお止まることを知らぬ中、一仕事終えた青年は。
「……“演出”、したほうがいいのか」
とだけ呟いて、自身の手により切り開いた空へと拳を突き上げる。
その拳に応える民衆の歓喜の声は、青年が英雄である事、そして、百の敵を倒して退けた証左である。
それを、少しはにかんだように笑って受け止めたオリヴァは、悠々と乙女達の待つ場所へと歩いていった。
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