第44話 昏れた空にも陽は昇る(前)

 オリヴァは自らの技に応えた魔剣を労わりながらも、シルヴィアに預けていた鞘に収める。


 あの技は魔剣ヴォルクスガングの有する“担い手の魂が折れぬ限り不朽である”という特性がなければ、到底その出力に耐える事はできない。故に、オリヴァは自身の信頼に応えてみせた愛剣へ感謝を伝えた。


 女勇者アルマの使う奥義、“滅天剣閃シエロフィロキャストリオ”を再現し、キマイラをも一撃にて屠ってみせたオリヴァであるが、その反動を少なからず感じていた。


 用いるのは魔剣でなければ叶わない上、放った後は僅かながらも疲労や倦怠感が身体を襲う。己の身体に宿る力を御したオリヴァですら、慣れぬうちは何度も振るう事は能わないのだろう。

 


“わーってマナを起こして、ぎゅーんってキャストリオに込めて、それからとりゃって振ったらちゅどーんって光が出るんだよ。え、わかんない? しょうがないなぁオリヴァは、ボクがいないとまったくぅ”



 などと嬉しそうに語りながら、剣を振るたびに光を放っていた幼馴染の事を思い出して、オリヴァは小さく息を溢しながら笑った。


 それから、改めて目の前にいる二人の乙女へと視線を向ける。まず出迎えたのは、この日においてここ一番の働きを見せたシルヴィアだった。彼女は銀のポニーテールを静かに揺らし、青年と視線を交わすと小さく微笑んだ。



「おかえりなさいませ、主様。……かの魔獣に慈悲を与えた剣技、お見事にございます」


「ありがとうシルヴィア。色々と助けられた」


「勿体なき御言葉でございます。それで……」



 そこでシルヴィアは視線を隣に立つヘレナへと向ける。青髪の乙女は青年を見上げては、視線を逸らし、また見上げて……そうして何を伝えるべきかと迷っている様だった。


 その姿を見てシルヴィアは無表情のまま小さく息を吐いて、それからオリヴァへと視線を向ける。



「畏れながら、帰りの馬車の手配をして参ります。このまま歩いて帰る様では観客の“出待ち”に捕まってしまいかねない為」


「ああ、頼む。本当に今日は、頼りにしっぱなしだなぁ」


「私がすべきと、そう定めていますから。……主様はどうかごゆるりと、ヘレナ様の手を引いて差し上げてくださいませ。それでは」



 その言葉に一番驚いてみせたのは、ヘレナだった。何故と言いたげな視線をシルヴィアに向けるも、銀髪のメイドはその視線をさらりと流す。


 シルヴィアにとってヘレナは無意識下の恋敵である。しかしそれと同様に……かけがえのない友なのだ。そして彼女を救うのは自身ではなく、青年であると理解していた。


 心が砕け散ってなお、大切な物だけは魂に刻みつけていた銀髪の乙女は、二人をその場に残して、今また仕事を成す為に静かにその場を離れた。


 その背中に、“どれほど強くなっても、彼女には頭があがらないな”とオリヴァは胸の内で呟いた後、空色の髪の乙女、その桃色の瞳へと目を向ける。


 ヘレナは自身に視線を向けられている事がわかると……泣いてしまいそうな程に、目元や眉を小さく歪めた。


 そんな顔を望んでいたわけではないのだと、オリヴァは言葉を紡ぎ始める。



「約束通り、見ていてくれてありがとう。どうだった、俺の戦う姿は」


「……格好良くて、勇ましくて、頼もしくて……わたくしが憧れた、あの頃のままの……素敵な、お姿でした……」


「そ、そうか、格好良かったか」


「はい……だから、わたくしは。……そんなオリヴァさまを、傷つけてしまったわたくしは、聖女などではないのです。聖女でないヘレナは……わたくし、は……」



 ぽろ、ぽろ、と桃色の瞳から涙が溢れ出す。


 愛する青年との残酷な別離という結果に、自身の在り方を、信じてきた過去を否定して、そうして自分が何者であるかもわからなくなった乙女は、心に闇を宿してしまった。


 そんな彼女を救う為には……彼女が何者であるかと言う事を思い出させてやらねばならないのだ。


 そう、不器用なりに考えたオリヴァは、一先ずヘレナの涙はそのままにする事を決める。


 泣きたいなら泣けばいい。むしろ泣く事によって、晴れる気持ちもあるだろう。かつて、老婆を亡くした時の己を思い出して、オリヴァはひたすら優しい視線をヘレナへと注いで……少ししてから口を開いた。



「俺が今日、ああやって戦えたのはヘレナのおかげなんだよ」


「……それは……わたくしの為に、出場されたのだと……シルヴィアさまから、ききました……」


「……出場を決めたのはヘレナの為に、で間違いないんだが……もっと根本的な話だよ」


「どういう、こと、ですか?」


「ヘレナが居なかったら、かつての旅路で俺は死んでいたからな。あの場に立つなど、不可能だったという話だ」



 死んでいたという言葉に目を丸くするヘレナを前にして、オリヴァは徐に身につけていた革鎧などの装備を外していく。それらを壁際に寄せた後、再びヘレナに向き直ると、オリヴァは少しだけ躊躇って、自身のシャツの裾を捲り上げ腹部を露出した。



「覚えているだろ、きっと」



 青年の引き締まった腹部にはやはり幾つも傷がついている。その中でとりわけ目立つのは……向かって臍の左辺りに穿たれた、何かに貫かれたかの様な太く丸い傷痕と、その周囲を囲む肉が溶けた様な痕だ。


 その位置は、人が生命を保つ上で重要な働きを為す臓腑の直上に刻まれている。尋常ならば即死したであろう事が、容易に窺えるほどの無惨な傷痕だ。



「ハイドラの牙を受けた時のものだ。……ヘレナが癒してくれなければ、俺はあの日死んでいただろう」

 


 ヘレナは当然、その傷跡を覚えている。何故なら他でもない、彼女自身が治癒したものだからだ。




 ——怪物“ハイドラ”は獰猛な大蛇にして、兇悪な毒蛇だった。馬車すらも丸呑みにしてしまえそうな頭を九つも有し、それを支える胴や尾の太さたるや、その異貌だけで人を殺してしまえそうな程である。


 さらに呼吸をする度に牙から漏れ出す毒を辺りに撒き散らし、直接牙などを受けたならば、その激痛と猛毒の作用により、万物を問わず腐らせ死に至らしめる。


 そのハイドラが人類の集落を幾つも壊滅させていた時、勇者アルマと仲間達は使命を以て立ち向かった。


 激闘の果て、全ての首を切り落とし……彼女らが勝利の余韻に浸かるよりも先に、ハイドラの悪足掻きがあった。


 何しろ蛇なのだ。頭ひとつになったとて、最後に牙を突き立てるくらいの事はしてみせる。


 そうして、襲いかかる大蛇の顎門から、仲間達を庇ったオリヴァは……背中から腹へと貫かれる様にして、その毒牙を受けてしまった。


 二つ名こそ“不滅”であるオリヴァだが、決して不死身や不老不死ではない。ましてやハイドラの毒の苛烈さは、この世に並ぶものはないほどだ。


 幸か不幸か、激痛による即死こそ免れたオリヴァであるが、劇毒により蝕まれたその命は風前の灯だ。


 その命を救った者こそ、ヘレナだった。


 彼女自身もハイドラとの戦いで光魔法を使い続けたことにより憔悴しながらも、決して青年を死なせてはならないという一念だけで、三日三晩を費やし、青年からハイドラの毒を取り除き、その身体を癒したのだ。

 



 ——ハイドラの毒は強すぎた為に、ヘレナであっても傷跡を残さずにはいられなかった。しかしヘレナでなかったならば、オリヴァはとうにこの世を去っていたのだろう。


 その傷跡は、オリヴァにとってその証明であり、誇らしい仲間を思い出す大切な徴だった。



「あの時は流石に死んだと思ったよ。ヘレナが居てくれたから、俺は生き延びて、こうしてまた顔を合わせる事ができて……そして今日、剣を取ることができたんだ」



 “ハイドラの牙に比べたなら、呪いの影響を受けたヘレナの言葉なんて、可愛いものだろ”などと、少しだけ戯けてみせる青年を、ヘレナは涙の止まらぬままに見上げる。


 ヘレナが見たオリヴァの瞳には……それを見た者に安心を与える様な、優しくも確かな光が宿っていた。



「なあ、ヘレナ。あの時、俺を助けてくれたのは、ヘレナが聖女だったからだろうか」


「……違い、ます。わたくしはただ、オリヴァさまを死なせてはならないと、その為の奇跡を、わたくしは有しているのだからと、その一心で、あなたさまのお側で、祈りました」


「……はははっ。とりあえずヘレナは……あの日俺を助けてくれたヘレナだって事は、思い出してくれたみたいだな」


「……あ」



 ヘレナが呆然と見上げる様を見て、オリヴァは少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべると、言葉を紡いでいく。

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