第42話 英雄達の関係、焦燥の奸計

 オリヴァが臨んでいるこの特別試合は、一試合一試合が極端に短くなったとて、オリヴァの武器交換や剣闘士の入退場を含める事によって長丁場となる。


 特にここまでオリヴァの前に立った者どもは悉く失神する事となっており、その搬出作業の時間を含めると、五十人を超えた段階で三時間を大きく超えていた。


 その為、予め半ばを持って“第一部”とし、観客は総入れ替え、オリヴァもこの機会に長めの休憩を取る事になっていた。


 五十人目の体を分厚い脂肪で包んだハゲ頭の男を、“ひでぶ”という断末魔をあげさせながら吹き飛ばしたオリヴァは、自身の待機場所である獅子の口へと足を運んだ。


 二十人目以降の剣闘士達は皆、マナによる肉体強化を知ってか知らずか戦いに用いており、彼らを相手にした事でオリヴァは己の身体に潜む力をその手にしつつあった。


 確かな手応えを見出したオリヴァを、影の伸びる通路で待っていたのは、青髪の乙女ヘレナだった。



「あ……おかえり、なさいっ! こちらを、どうぞ」



 “シルヴィアさまが用意してくださいました”と、ヘレナが律儀にも言葉にしながら差し出す飲み水と手拭いを、オリヴァは笑顔で受け取った。


 シルヴィアが気を利かせてくれるのもありがたいが、彼女を立てようとするヘレナの振る舞いは、皆を見守ってきた聖女としての面影を残している。そこにはかつて交わした友情がまだ続いており、その事を想うオリヴァは微笑まずにはいられなかった。



「ありがとう、ヘレナ。シルヴィアはどこに?」


「昼食を求めに、再び外されました。すぐに戻られるとは伺ってます」


「そうか。そういえば、始まる時にも居なくなってたな。……後で聞こう。少し座って待とうか」


「はい。……あっ!」



 通路の壁沿いに用意された長椅子ベンチにオリヴァが腰掛けると、ヘレナが何かに気付いたように声を上げて、彼の正面へと歩み寄る。


 不意に乙女との距離が縮まったオリヴァは、一瞬胸を弾ませるものの、その真剣な眼差しに驚いて身体を固くする。



「ど、どうしたヘレナ。何かあったか?」


「頬に傷が!……手当を、させてください。それから、疲労も軽減できます」


「傷……あぁ、最後に木剣が砕けた時に破片が掠めたかな。頼むよ、ヘレナ」



 この戦いにおいてオリヴァは一撃たりとて相手の攻撃を受けていない。この日彼を傷つけられるのは、彼自身の破壊力以外にないのだ。


 ヘレナがオリヴァの頬へと手を近づけて、そして囁く様に詠唱をする。そうしたならば彼女の手のひらから柔らかな白い光が溢れ、みるみるうちにオリヴァの頬から流れていた赤い雫は治っていった。



「……流石の腕前だな。傷痕のどころか、痕すら残らないだろう」


「こ、これくらいは……では次に、お身体の方を……」



 真剣な眼差しで己に治癒を施すヘレナを見て、オリヴァが思い出すのはかつての旅路。長い道中、態度には出さない様我慢しながらもくたびれ始めたリタを、その疲労が回復する様にとヘレナはよくよく魔法を用いていた。


 その、他者への献身的な態度は、やはり聖女らしい人であると言葉にしても憚る事はないだろう。だが、彼女はそれを望んでいないのだ。故にオリヴァは、ヘレナの桃色の瞳を、彼女が魔法を振るう姿を静かに見守っていた。



「……如何でしょう。少しでも楽になったなら、いいのですが」


「ああ! ありがとう、対して疲れてないと思ってたんだが……やはり、ヘレナに魔法をかけてもらうと、身体の軽さが全然違うな!」


「……そう言ってくださったなら、良かったです。では、ゆっくりとお休みください」


「そうさせてもらう。ヘレナも座ってくれ」


「わ、わたくしは、あちらで立って待っていますので」


「一人だけ立たせているなんて、俺が我慢できない。ほら」


「そんな……あぅっ!」



 離れようとするヘレナの手をオリヴァが優しく引くと、思わず躓いた彼女はオリヴァの胸に飛び込む様にもたれ掛かる。


 オリヴァの胸板に、ヘレナの頭が預けられたなら、二人の距離が自然と近くなる。


 ……ヘレナは聖女という肩書きと功績が先行しがちであるが、そうでなかったとて頭に美のつく少女なのだ。


 その容姿は、幾つか年上であるはずのオリヴァから見ても、既に女性として完成され始めた美しさを持ち合わせている。そんな存在が不意に目の前に来たのなら、この日五十を超える人間を剣の一振りであしらったオリヴァとて、動揺してやはり固まる他ない。


 同時にヘレナもまた、目の前にいるのはかつて憧れ、そして言葉にする事こそ躊躇えど今でも愛している青年なのだ。聖職者故に初心な彼女は、その状況を前に動く事はできなかった。


 そうして、客席の騒めきが遠く、二人の鼓動だけが聞こえそうなほんの僅かな時間があって。



「お待たせしました、主様」


「ふぉぉっ?!」


「ひっ」



 静寂を破るのは、銀髪のメイドなのである。


 何かが入ったバケットを片手に提げたシルヴィアが、無音で二人の隣に立ち、微笑ましいやりとりを眺めていた。


 見られていたとわかれば、二人は即座に長椅子に座り直し、顔を赤らめたまま姿勢を正す。



「ウィーゼアルムで今流行中と聞く、フリカデレサンドでございます。それから、ツィツィ様達もお変わりがない様でした」


「そ、そうか、ありがとうな! シルヴィアも、隣にかけてくれ!」


「畏まりました、では、失礼して」



 差し出した包みを、どこかぎこちなくオリヴァが受け取ると、シルヴィアもヘレナと挟む様にして青年の隣に腰掛ける。


 シルヴィアが用意したのは牛挽肉を固めて焼いたものを、玉ねぎや葉野菜と共に柔らかいパンで挟んだものだ。


 女性二人に挟まれてしまった己の現状と、パンに挟まれている肉が似ている。そうオリヴァが思いつつも、それを頬張ったならば肉汁が溢れる様に広がり、肉の旨みと脂の甘みが洪水の様に味覚を蹂躙していく。



「ヘレナ様も、どうぞこちらを」


「わ、わたくしは……」


「俺もヘレナに、食べてほしいな。美味いぞ、肉汁が堪らないんだ……!」



 シルヴィアが差し出したものを、おずおずとヘレナは受け取って、そうして包みを開いて少し躊躇った後、漸く口へと運んだ。


 存在感たっぷりの肉もさる事ながら、シャキシャキとした野菜達が、噛むたびに口の中に爽やかさと咀嚼する喜びを教えてくれる。


 その美味に、病んだ青髪の乙女が顔を小さく綻ばせた。



「……やっぱり、ヘレナは美味しそうに食事をしてくれるよな」


「えっ! あ、あぅ……恥ずかしいです……」


「恥ずかしがる事じゃないさ! はは、あの旅では幾度となく目にしてきたわけだし、なあシルヴィア」


「はい。ヘレナ様は料理の腕もさる事ながら、それを美味しそうに食されるので、殊更に料理が美味に感じられました」


「シルヴィアさままで……うぅう……」



 二人と比べると小柄なヘレナは、その身体をさらに小さくして、恥ずかしそうに頬を染め上げた。


 やはり、ヘレナはヘレナだ。そう思うオリヴァは、この戦いの暁に彼女が自信を取り戻してくれる事を願いつつ、再び手にしたフリカデレサンドを口に運ぶ。



「恐れながら、主様。お耳に入れておきたい事が」


「ん、聞かせて欲しい。離れていたのは、昼食やツィツィの様子を見にいってた……だけじゃないんだろう」


「ええ、それが——」



 そうしてシルヴィアの話を聞いたオリヴァは、“なるほど、油断はするべきではないな”と言葉にしながら、厳しい視線を闘技場の方へと向けた。



「契約書には確かに相反するものでもないのか、上手いこと考えるもんだ……観客が盛り上がり、そのうえ俺の挑戦を妨げられるなら、可能性はあるんだろう」


「恐らくは。……今のうちに、私の方で処理する事も叶いますが、如何されますか」


「うぅん……いや、この段階でこちらが動くのは、難癖つけられる要因になりかねない。シルヴィアは様子見で頼みたい」


「畏まりました。そう仰られるかと考え、は行っております。今の主様であれば、きっと対処は用意かと」



 そう語るシルヴィアの視線を追うと、彼女の傍らにはある物が立てかけられている。


 “不滅の戦いを皆が望んでいるんだ、だったら見せてやろうじゃないか”などと考えたオリヴァは、垣間見える浅はかな企みを、料理の残りとともにパクリと咀嚼して呑み下した。







 ——この特別試合を提案し、そうして莫大な金銭を獲得していた筈の奴隷商ツェーザルは……この時焦っていた。


 オリヴァが並ならぬ強者である事はわかっている。しかし言っても人の子だろうと、タカを括っていたツェーザルは、自身の下に集まる金銭を前に、悠々と試合を眺めていた。


 確かに、青年は強い。十試合目までは様子見という事もあり、用意した剣闘士の中でも格の低い者をあてがったが、彼はそれを一撃で下して見せるのだ。


 しかも、存外見世物ショービジネスの才覚がある。一方的な試合がないわけではないが、何かを確かめる様に剣を打ち合わせる事もあり、そういった一見白熱した試合は観客の好むところなのだ。


 貴族達などは逆に、泥くさい試合よりも個人の圧倒的“武”を見て喜ぶ傾向にあり、剣戟の後に一撃で決着をつけるオリヴァの戦い方に満足している事が窺えた。


 ……しかしそれが二十を超え、五十を超え、そうして強者を配置した八十人目を超えると、ツェーザルは次第に顔を青くし、ごくりと喉を鳴らさずにはいられなかった。


 英雄オリヴァは強すぎた。彼なりの手心を加えた決着は、多かれ少なかれ剣闘士達に疵を負わせた。


 身体の負傷は多少なりとて、専門の光魔法使いによって癒される。しかし、オリヴァの圧倒的な戦い方、そして身体強化を用いた際の人外染みた気配は、剣闘士達の心を無惨に圧し折った。


 人と戦うつもりで臨めば、そこにいたのは人の形をした“怪物”だったなど、誰が予想できたであろうか。


 敗北した彼らの殆どは剣闘士として役に立てないであろう。部下からその報告を受けたツェーザルは、事態の深刻さにようやく気付いた。


 ……このままでは、自らの下から剣闘士がいなくなる。


 雇い主であるツェーザルの有する剣闘士の質と量が、そのまま彼の剣闘興行に関しての格につながる。


 さらに言うのであれば、剣闘士達は国家規模の争いに際して、戦力として見做される事もあり重宝される。


 剣闘士達が居なくなれば、ツェーザルは剣闘興行についての権利を失い、商会を大きくしてきた一因であるこの事業を失う羽目になる。


 さらにそうなってしまえば、爵位を失う可能性すら考えられるのだ。


 ……そうこうしているうちに、九十人目の剣闘士が倒される。剣闘士という身を削る生業を十五年も続けてきた古株が、今地面にめり込む様に叩き伏せられていた。


 その姿を見たツェーザルは、焦る気持ちをそのままに部下を呼び寄せた。



「……を用意してください」


「はっ! し、しかしツェーザル様、よろしいのでしょうか」


「ええ、契約書にはこちらの用意する百のと戦うと明記してあります。観客の皆さんも、彼の真なる戦いを望むでしょう」


「畏まりました。すぐに準備させます!」



 走り去る部下に目をくれる事もせず、闘技場でいつの間にか九十一人目の闘士を打ち破ったオリヴァを、ツェーザルは見下ろす。


 剣闘士を失い、さらには価値の高い奴隷すら失うという事を、商人としての自尊心が許さなかった。


 暫く苦労はするかもしれないが、金さえあれば、再び成り上がる事は出来るはずなのだ。その為には、奴隷の身請け代金という僅かな利益すら惜しい。


 何処までも金を基準に考える男ツェーザルは……焦り故に、今まさに金に溺れようとしていた。


 その男を、遠く、獅子の口から、紫色の瞳が捉えているとも知らずに。

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