第41話 瞬殺
進行を務める女装をした男ビルギットがけたたましく声を上げると、虎の口から一人の男が現れた。
呼ばれたその名はザシャ。くすんだ濃い緑色の髪を持つその男は右肩に長剣を担いで、ニヤニヤとした表情を浮かべながら闘技場の中央に立つオリヴァの元へと近づいた。
背丈こそオリヴァより低いが、腕には確かな筋肉がついており、幾度となく剣を振るってきたその戦いの歴史が垣間見える。
ザシャはオリヴァから少し離れた場所へ立つと、やはり嘲る様な笑いを隠す事なくオリヴァへとぶつけた。
「へぇぇえええ? オマエが“自称”オリヴァかぁ?」
「……自称って言い方もおかしいが、そうだ」
「カッコつけた喋りしやがってよぉ! 英雄を名乗る不届き者は、退治してやらねぇとなぁ?! ケッヒッヒ!!」
ザシャという男は嘲りながら、目の前の青年への露悪的な態度を隠す事なく笑う。
恐らくは闘技場における悪役的な立ち位置なのだろう。一番手に送り込まれてきた時点で、彼に求められているのがどういう役割なのかが窺える。
しかしオリヴァは
二人が対峙していると、進行を務めるビルギットが、会場に響き渡る様にこの試合のルールを説明する。
——挑戦者であるオリヴァは、主催者が用意する百の敵を連続で相手する。
オリヴァが全ての敵を倒し切った暁には、幾許かの賞金と栄光が与えられる。
試合は一方の降参宣言、もしくは
人対人の試合である為、得物には刃を潰した剣などの殺傷力の低い武器を用いる。
怪我や、あるいは当たりどころが悪く死に至ったとしても、それは当事者の責任とする。
……ヘレナを身請けする為に組まれた特別試合ではあるが、現時点で彼女の存在を公にするわけにはいかない。故に、“賞金と栄光”という文言には暗に彼女の事が含まれている。
契約書を交わした通りの内容であり、オリヴァ自身も、そしてシルヴィアも問題はなさそうだと判断している。
試合の
睨み合いが続く中、ザシャがやはりニタニタと不快な色を含む視線をオリヴァの手元に投げつける。
「しかしよぉ……いくらなんでもエモノが“木剣”ってぇのは、嘗め過ぎじゃあねぇのかぁ?」
「……侮ってるつもりはない。俺の振るう剣で、人に害なす者以外を殺すわけにはいかないからな」
「ケェ!! するってぇとなんだあ? 木剣じゃなきゃオレが死んじまうって言いてぇのかよぉ……」
「当たりどころが悪くなくてもな」
「……やっぱり嘗め過ぎだぁ……」
ザシャの目に侮蔑の色が混じる中、いよいよ会場の熱が高まり、そうして。
“それではァ……第一試合ィ……ザシャ対オリヴァ……試合ィ開始ィィィッッッ!!”
「ケェェェエエエエエッッッ!!」
ビルギットの開始の宣言と同時に、鶏の様な雄叫びをあげたザシャは、右手に掴んだ剣を大きく振りかぶってオリヴァへと跳躍。そしてその勢いのままに青年の頭めがけて力任せに振り下ろした。
対するオリヴァは悠然と剣を構えて、あえてそのザシャの一振りを剣で受けて見せる。
確かな重みをオリヴァは剣越しに感じるが、しかし刃を潰したとはいえ鋼の剣を受けてなお、手にする木剣が折れる事はない。
オリヴァは類い稀なる膂力を誇る戦士ではあるが、アッカーマン流剣術を修めた者として剣捌きとて一流なのだ。故にどう剣を受ければ損耗が少ないかという事を十全に理解している。
オリヴァに剣を受けられ、木剣が砕ける事もなかった事に、攻勢をとったザシャは驚くも、続け様に横薙ぎの剣を振るう。
力任せ、しかし迷いのない剣は、相手が弱者であったならその威圧感に気圧されてしまう事だろう。だが相手は、紛う事なき英雄オリヴァなのだ。
青年は再び振るわれた剣も器用に木剣で受け止めて見せると、ひたすらに対峙者の動きを観察する。
それから三、四、五……幾度となく打ち合わされる剣戟に、会場に興奮が広がり歓声が上がる。
しかし……オリヴァは、この戦いにおいて冷静に、ある事を見定めていた。
「……なるほど」
「ケェーッ! どうしたどうしたぁ?! 防戦一方じゃあねぇかぁ! えぇ? 自称オリヴァさんよぉ?!」
「確かめてたんだ……あんたじゃ力不足だ」
「何をぉ?!」
青年の言動を挑発と受け取ったザシャは、再び上段から勢い任せの剣を振るう。
それをオリヴァは下段から横へ払う様に木剣を振るい相手の剣をかち上げると——
「悪いな」
「なぁ?!……ケッポゥ!!」
——ザシャの開いた胴体に、マナによる身体強化を使わず握りしめた拳で殴りつけた。
戦闘能力は体格の良さに比例しない。しかし、鍛え上げた肉体が戦闘において裏切る事もない。
大柄であり、元々筋骨量に優れた青年が、さらに極限まで鍛え上げた肉体を躍動させた殴打。
それを受けた胸に受けたザシャは、十メートルほど宙を舞い……そして地面に打ちつけられると、後は悶えるだけで立ち上がる事など出来なかった。
“三……二……一……決ッッッチャァァァクッッッ!! 第一試合勝者、オォォォリィィィヴァァァァッッッ! 拳でキメるなんて、剣士としての誇りはないのかァッッッ?!”
瞬殺である。
試合開始から一分に満たない決着は、物知らぬ観衆から見たならば剣戟の隙をついた一瞬に、差し込まれた殴打による不意のものに見えただろう。
しかしその実は、余裕を持ってザシャの剣を受け止めていたオリヴァが、これ以上は不要と判断した為に終わらせたに過ぎない。
それ程までに、二人の実力差は乖離していたのだ。
存外見応えのあった剣の応酬に、そして、一部の者にとっては憧れであり敬愛を捧げるオリヴァの戦いに、会場から空へと声が響き渡る。
「俺は戦士だ、使える者はなんだって使うさ。……しかし、参ったな。これじゃあ“試し”にならない」
そう言葉にしたオリヴァは、木剣を握る自身の右手を見る。
この戦いはヘレナの為である。しかし、相手が折角場を用意してくれたのだからと、オリヴァには確かめたい事があった。
——トーレントとの戦いにて発覚し、その後ゴブリンを薙ぎ払う事で明確なものとなった謎の力。
体内に宿すマナを活性化させ、“身体強化”を用いた際、その結果はオリヴァの想像以上のものを齎した。
大木の様な怪物を一振りで両断……どころか半ば以上を消滅させ、群れを成した十数体からなる小鬼共をまた一振りで断ち切る。
オリヴァとて己の力には一定の信頼を置いていたが、それでもこれが異常なものである事を認識していた。
その為、相手が意を以て立ちはだかるというのであれば存分にその胸を借りて、その由来はともかく力の詳細と制御を確かめるつもりでいた。
——然りとて相手は人間である。必要以上に傷つけるつもりはない為、力任せで剣を振るう様な身体強化を身につけていないものに、己の力をぶつける訳にはいかない。故に、最初の数回は相手を見定める為に剣を合わせていた。
そうして十試合、二十試合と、全てを一撃の下に終わらせたオリヴァは、漸くお目当てに相応しい男が試合相手とした現れた事に安堵した。
「ちったぁやる様だが……大した事ねぇなぁ! よくもザシャをやってくれたなぁ?!」
大柄であるオリヴァが見上げる程、二メートルはゆうに超えていようかという大男だ。
オリヴァの視点に立てば、確かにマナを使って身体強化を用いている気配があり、この相手であれば己も力を奮って問題ないだろうとオリヴァも力を込める。
……それと同時に、オリヴァにはその大男に見覚えがあった。
あの“劇”を観覧していた際、劇団に食ってかかっていった“反オリヴァ派”の酔っ払い。その酔っ払いが、オリヴァの身の丈ほどはあろうかという大剣を手にして、今青年の目の前に対峙していたのだ。
「……あんたは、オリヴァが嫌いなのか?」
「あぁ?! 当たり前だろぉ! 俺たちが血と汗を流して生きてるってのに、最近じゃあどこもかしこも死んだはずのヤロウをありがたがって……これが気に食わずにはいられるかってんだ!!」
「俺も、血を流さずに生きてきた訳じゃないんだが……」
「知ったこっちゃねぇ! テメェがオリヴァを名乗るってんなら……ぐへへ……骨の一本や二本覚悟してもらわねぇとなぁ?」
“骨だけで済めばいいがな”などと舌舐めずりをする相手に、オリヴァは何を言うでもなく己と言う器に満ちるマナの働きに注意を向ける。
やはり、無限に湧き立つ様だ。
人の身に宿るマナの総量は、人それぞれではあるが限界がある。勇者であるアルマや天才魔法使いであるリタに比べて、その総量が優れているという訳ではないオリヴァとしては、そのマナの有り様は如何にも異様である。
一体どこからその力が顕れるのか。そこに思考を巡らせるよりもまずは、この力の制御をすべきだとオリヴァは認識を改めた。
そうして、試合開始の合図が行われる。
大男は相変わらず下卑た表情を浮かべたまま、オリヴァに対し大剣を構えた。
「ぐへへ……しかし、向こうにいるのはテメェの
男の視線の先には、通路に控える青髪の乙女の姿がある。不遜にも信仰心の薄いこの男には、彼女が聖女であるなどという事実に行き着く事は能わず、ひたすらに乙女の豊かな身体にのみ意識が捧げられている。
「違う。彼女は俺の大事な……仲間だ」
「よく言うぜぇ。テメェが負けたら、オレ様が貰ってやるよ。情けねぇツレよりそっちの方が良いよなぁ?」
「それ以上は、喋らない方が良いな」
「キレたかぁ? 気にすんなよぉ、オレは懐が広いからよ、中古だろうと気にしねぇ。グヘヘヘェ!!」
「……剣をしっかり握ってろよ……!」
瞬間、男の目の前からオリヴァの姿が消えた。
オリヴァの身体能力にマナによる強化を加えたその動きは、もはや目で追えるものではなかったのだ。
そしてオリヴァは力を込めた木剣を、大男が手にする大剣に叩きつけ——
「な、何処にっ?! ……フンモッッッ!!」
——そのまま相手ごと振り抜いた。
木剣が砕ける。しかし、その圧力に抵抗する事すら許されなかった大男は、頭が天地を行き来する様に身体を横回転させて……そのまま吹き飛び、遠い闘技場の壁面に直撃すると、動かなくなった。
“……ッ!……け、決ッチャァク!! またしても瞬殺! “オリヴァ”の名を騙るのは伊達じゃなぁぁぁぁぁあい!!”
瞬殺である。
壁にめり込んだ男は、ぴくぴくと痙攣しており死んではいない様だ。
仲間を侮辱されたからと、手に力の籠ってしまったオリヴァではあるが、あくまで人を害する者以外を殺めるつもりのない故に、一先ず相手の命が存えた事に一息つく。
そして観客は、その御伽噺のような戦い方に、この日一番の大きな歓声を上げた。
「しまった、やり過ぎたか……まぁ死んではない様だし、良しとしよう。しかし……」
歓声を身に浴びながらも、現在オリヴァの意識はやはり、自身の力に向けられている。
今の一撃も、相手を吹き飛ばすつもりこそあれ、広い闘技場の壁面まで持っていくなどは考えていなかった。
少なくとも、邪竜討伐前までのオリヴァには到底不可能な所業ではあるのだが、しかし現実としてこの結果が現れている。
少しマナを働かせるだけで身体の底から無限に湧き立ち、そしてその力は理外の結果をもたらす。その在り方はまるで。
「魔物か魔獣……いや、怪物と同水準か? 違うな、もっと……勇者や同格の……」
勇者と同格の遥かな存在。その言葉が意味するところは、かつてこの世において最も恐れられた、かの生命を示しているに他ならない。
それ程までに己の力に対しある種の畏怖と、同時に一つ確信を得ていた。
「……しかし、仕組みは理解できた。マナを働かせたなら、無限と思える力が湧いてくる。あとは、この手綱を握るだけだ」
成すべき事を再確認したオリヴァは、四十、五十と、自身に剣を向ける者どもを打ち払っていった。
……そうして、三時間が経過し試合の半ば程が終わると、会場には彼がかの英雄ではないと疑う者は、誰一人として居なくなった。
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