第40話 いざ、戦いの舞台へ



淑女そして紳士諸君レディースエンドジェントルメン! 本日はよくぞお越しくださった、このウィーゼアルム大闘技場に! 司会進行はワタシィ、ビルギットでござまぁすッ!!”



 風魔法“流言拡散ウィスパーボイス”は、行使者の声を大気に広げ、広範囲の対象にその音を届ける魔法だ。


 その魔法が込められた、長い杖の様な魔道具スタンドマイクを手に、闘技場の一角に備えられたお立ち台で、ビルギットと名乗る女装をした男が興奮した様に声を上げる。



“本日行われるのは前人未到、前代未聞、空前絶後ッ! 一人の男が百人の闘士を前に、どれだけ生き延びられるのか、その天運を試す“英雄の剣宴”だァッ!!”



 “英雄の剣宴”とは、大層な名前をつけたものだなと、男の声を聞くオリヴァは苦笑いする。


 しかし民衆にとってビルギットの声は、興奮を促す為の促進剤となっている様で、男の一挙一動に応じて歓声が湧き上がる。



“まずは身の程知らずな男を迎え撃つ、我らが猛き剣闘士の紹介だァッッ! 西方、虎の口からぁ……入ッ場ッッ!!”



 声を上げるビルギットの案内で、オリヴァ達の反対側の出入り口から男達が現れ、観客の声が一層激しいものになる。


 線が細い本当に剣闘士なのかという美丈夫もいれば、いかにも筋肉こそ美であると言いたげに肉体を誇る者もいる。共通するのは目に我の強さを示す光を宿しており、己が強者であるという事を疑う素振りすらない。


 しかし、入場して見せたのは百人もいない。これは華を魅せるよりも武を尊ぶ存在が彼らの中にはおり、その武芸を振るう瞬間のみを望んでいるからだ。



“まずはこの男ォッ! 対する敵を無惨に切り裂く毒蛇剣の使い手、バルナバス!!”



 そして一人一人謳い文句と共に紹介され、紹介された闘士が応えたならば歓声や一部からは罵声があがる。


 なるほど、これが演出パフォーマンスかとオリヴァが感心しているうちに、闘士の紹介は進んでいき、そして一人の男の番となった。



“彼こそがッ! 我らがツェーザル商会が誇る最強最優の剣闘士ィッ! 美と武の全てを手にする男……テェェェオドォォォォォルゥゥゥッッッ!!”



 テオドールと呼ばれた男が、流麗な振る舞いで天に剣を掲げると、会場が破れんばかりの歓声が響き渡る。


 白い鎧を身に纏った体格はオリヴァより一回りは小さく、そしてうねりのついた白銀の髪を持つ男はいかにも華があり、歓声の中には婦女子の黄色い声が多分に混じっている。


 役者をしていた方がよほど似合うのではないかと思われるテオドールであるが、この世界において、


 その代表例が、細身の女性でありながら邪竜を屠った勇者アルマである。


 人類は、その身体に宿すマナと呼ばれる神秘にして不可視のリソースを活性化させる事によって、魔物や魔獣、あるいは“怪物”に対抗しうる程の膂力や耐久力を得る事ができるのだ。


 己より小さく見えるものでも、決して力で劣るというわけではないのだという事を、誰よりも女勇者のそばに居たオリヴァは理解している。故にテオドールと呼ばれた美丈夫が、剣闘において最強と言われているのも伊達ではないのだろうと、その立ち姿を注意深く観察していた。



“続きましてェ! 我らが剣闘士に挑む命知らずの愚か者の入場でェすッ!!”



 相手側の紹介が終わったならば、次はこちらの番なのだ。オリヴァはそろそろ自分も舞台に上がるのかと、どこかそわそわした気持ちを抱きつつ、手にした得物を握り覚悟を決める。



「出番みたいだな。じゃあ、行ってくる」



 さて、行こうか。そう、オリヴァが思った時、妙に乙女達が静かなのが気になり、彼は振り返る。



「……何だそれは」


「主様を支援すべく、戦いに赴かれている際には、こちらを用いてやりとりをしようかと」



 振り返ったそこでは、シルヴィアがいつの間にか手持ち規格サイズの黒板を手にしていた。


 “ウインクをお忘れなく”などと書かれたそれを掲げる緊張感のないその振る舞いに、オリヴァは思わず笑ってしまう。



「ツィツィ様のこれからの教育にと、先日購入しておきました」


「それはありがたいんだが……試合中にそれを見せられたら笑ってしまいそうだ。ヘレナ、シルヴィアがあんまりおかしな事をしそうになったら止めてくれ」


「シルヴィアさまを止める事は、わたくしには少し荷が……アルマさまやリタさまのお役目でしたので……」



 勇者一行において唯一ヘレナは暴力担当ではなかった。彼女の有する光魔法は攻撃する手段を持たないわけではないのだが、彼女以外の四人があまりにも攻撃的すぎる為に、ヘレナは基本的に一歩引いた立ち位置を取り、仲間を支援する事を主としていたのだ。


 その事をオリヴァが懐かしんでいると、“東方、獅子の口”と彼らが立つ入場口を指し示す声が聞こえた。


 いよいよ出て行かなければ、と最後にオリヴァは二人の乙女達のそれぞれと視線を合わせた後、ゆっくりと戦いの舞台へと足を運んでいった。








 ——オリヴァの姿が通路の向こう、光に紛れる様にしてその場から離れた後、そこには二人の乙女が残された。


 戦いに臨む青年の姿を見送った青髪の乙女が、ぽつり、と言葉を漏らす。



「……でも、本当に、どうして……」


「決まっております」



 その隣に立つ銀髪のメイドは、さも当然であろうという様に、その言葉に答えてみせる。その視線は、愛する主の背中をどこまでも見つめたままで。



「ヘレナ様の為以外の、なにものでもございません」



 シルヴィアの言葉にヘレナは桃色の瞳を揺らして、隣に立つ凛とした美貌の乙女に一度だけ視線を移した後、それから再び、“見ていてくれ”と願われた青年の背中へと視線を向ける。



「わたくしの為……やっぱり、オリヴァさまは、優しくて素敵で……大好きだった、あの頃のままなのですね」


「ええ。友の為、仲間の為であれば、例え怪物を前にしても臆することのないその姿。その背中に、私達は勇気づけられ憧れた。……だからこそ私は……ともかく、主様が今あの場にいるのは、ヘレナ様を助ける為に相違ございません」



 どこまでも慈しむ様な言葉を吐くシルヴィアに対し、ヘレナは堪えきれない様に視線を自分の足元へと向ける。



「……素敵な人だから……わたくしは、やはり自分を……」


「それ以上の言葉は、続けるべきではないでしょう。……ヘレナ様の為だけにという事が贅沢であると感じられるなら、主様には別の思惑……確かめたい事もあるそうです」


「確かめたい事、ですか?」


「左様です。今は見守りましょう。私達が……“乙女の約定”を交わした四人が、愛して求めたあの背中を……?」



 その言葉を告げた後、シルヴィアは不意にオリヴァの背中から視線を外し、彼の脚元……正確には闘技場の地面へと視線をやった。



「……ヘレナ様、申し訳ありません。用事が出来ました。すぐに戻ります為、主様をどうか」


「は、はい。どうかされたのですか?」


「はい、少しだけ。……杞憂であれば良いのですが。あぁ、こちらをお持ちください」



 そう言って手持ち黒板をヘレナに手渡すと、シルヴィアは闇に紛れる様な速度でその場を離れた。


 銀髪の乙女が離れる姿を見送った後、ヘレナは再び舞台に立つオリヴァへと視線を向ける。



「オリヴァさま、どうか、ご無事で……」



 その乙女は信じる者、そして、祈る者。


 たとえ自分が何者であるかをわからなくなっていても、信仰する神の実存を疑う事はない。


 故に、愛した青年の戦いをひたすらに見守り、血を流すことのない様にと、ただ一心に祈りを捧げた。







“——その男は、かつて数々の魔物と対峙し、邪竜討伐を果たした英雄……その名を騙る者ォ!”



 ゆっくりと歩きながら、オリヴァ“騙ってるつもりはないんだがな”と内心ぼやきながら闘技場の中央へと歩む。



“その手に黒き刃を握り、傷だらけの姿でツェーザル商会に殴り込みをかけた大馬鹿野郎ッッッ!!”


「……本当に殴り込んでやった方が良かっただろうか」



 呆れながら闘技場に姿を現した青年を見て、観客は騒めき始める。しかしビルギットなる司会は、ひたすらに興奮を煽る様に、その日一番の力を込めてその名を謳い上げた。



“黒髪のォ、筋肉もりもり大男マッチョマン……オォォォリィィィヴァァァッッッ!!”



 そして中央にたどり着いたオリヴァは、もしかしたら己も歓声で迎え入れられるのかもしれないなと、内心期待と緊張を有していたのだが……そんな彼を待っていたのは、やはり変わらぬ困惑のどよめきだった。


 ウィーゼアルムの多くの人々にとって、英雄オリヴァは死んだ者である。確かに“雰囲気”は感じられるが、日々を戦いという緊張の中に身を置かぬ者どもには、オリヴァの有する戦闘能力の多寡を測ることは出来ない。オリヴァと彼らでは、生物としての“格”が違うのだ。


 そんな響めきで迎えられたオリヴァは、少しだけ額に汗を流しながら、次にどうすれば良いのかを考える。



「シルヴィアは演出をすれば良いと言っていたな……えぇと、こうか」



 メイドに助言を受けた通り、オリヴァが握った左の拳を空へと突き上げると……観客席からは罵声ブーイングが飛び始めた。


 “人殺しみてぇな面しやがって”。


 “主食は生肉ですって顔に書いてあるぞ”。


 “オリヴァ様を名乗るなんてふざないで”。


 “図体がでかいからって調子に乗るなよ”。


 “僧帽筋がちっちゃいお山みたいになってるよ”。


 ……そんな言葉が飛び交ったのならば、あまり好意的に迎え入れられているとはオリヴァも感じ取ることは出来なかった。


 客席に座る人々のうち、五割ほどは英雄オリヴァの名を好むからこその否定。そして四割ほどは、英雄オリヴァの名を嫌うからこそのヤジ。そして残りの一割は……オリヴァが本人であると気付いて、言葉を失っていた。


 彼らは何処かで青年の姿を目にした事があったのだろう、中には泣く者もいれば、罵声を飛ばす周囲を止めようとする者もいる。


 しかし、聡い少数より愚かな多数の声は大きく、罵声は留まるところを知らずに盛り上がってしまった。


 その声を聞いて、二年前、勇者に斬られた後の事を思い出してしまいオリヴァは気分が悪くなるものの、しかし同時にこうも考えた。



「あの時とは状況が違うか、戦ってみせれば良いんだ。誰が何と言おうと、俺は“不滅”のオリヴァなんだからな。……さて、次は」



 シルヴィアが助言をくれると言っていたなと、オリヴァが振り返って己が出てきた“獅子の口”を見ると、メイドの姿はなく、黒板を手にする青髪の乙女だけがそこにいた。黒板に書かれているのは……先程と変わらぬ文字である。


 故に青年は、少し困った様に眉を寄せながら、しかしこれでヘレナが元気になるならと、視線を彼女に向けて存外器用に片目を瞬かせウインクしてみせた。幼い頃にアルマにせがまれて、幾度となく繰り返した経験がここで役に立っていた。


 その仕草を受けたヘレナはきょとんと目を丸くした後、顔をみるみる赤く染めた。そして自身の手にする黒板を確認した後慌てふためいて、ぷしゅーという音が聞こえそうな程に恥ずかしそうに沈黙した。



「あんなに恥ずかしそうにされると、こっちも照れてしまうな。……さて、試合だ」



 ヘレナの仕草にオリヴァは一つ笑いをこぼすと、ゆっくりと視線を正面に戻し……そして、まだ見ぬ相手が現れるであろう、虎の口を睨みつけた。


 青髪の聖女ヘレナを救い出す為……そして、自身に秘められた謎の力を確かめる為。オリヴァは手にする得物に力を込めたのだった。

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