第39話 戦いを前に、人々は何を思うか

 その日、ウィーゼアルム大闘技場は熱気に包まれていた。


 豪華な建築物が並ぶこの都において規模の一点では他に類がない程に、一見巨大な石造りの砦にも見えるその場こそウィーゼアルム大闘技場だ。


 中央には剣闘士や魔物、魔獣が戦う為の踏み固められた土が広がる空間がある。その土には過去に流された血や汗が染み込む事で黒く染まっており、ウィーゼアルムの剣闘における歴史を物語っている。


 そしてそれを囲む様に円形の客席が広がり、その収容人数は万を容易に超える。これは近隣諸国の人々も頻繁に剣闘の熱を求めてこの地を訪れるからだ。


 そしてその客席を、人々が様々な思惑で以て埋め尽くしていた。


 ある者は、一人の男が連続して百人を相手するという、未だかつてない試合に興奮して。


 ある者は、隠された英雄オリヴァの戦いが見られるという、その文言に目や耳を疑って。


 ある者は、オリヴァを名乗る“不届き者”が手ひどく痛めつけられる様を求めて。


 ……要するに彼らは、この日この場において“期待”を胸に、石で作られた客席へと足を運んでいた。


 闘技場の一角には、貴人を迎え入れる為に設けられた、闘技場において別格の部屋が存在する。


 そこには剣闘を観覧しにきた貴族や大商家の息子、物好きな令嬢が優雅に嗜好品を嗜みながら、試合の開始を待ち望んでいた。優雅とは言えどもその目に映るやや嗜虐的な光は、他の客席に座る平民が宿すそれと変わりはない。


 この催しの主催者であるツェーザルは、闘技場を埋め尽くす人の山と彼らの目に灯る光を見て、成功を確信していた。




 ——ツェーザルは意地が悪く、金に汚い。しかし悪人ではないが故に、国から奴隷商として認められ、その商いを進める事で利益を獲得し、己の名を冠する商会を大きくしてきた。


 今回の件も彼にとってはその一環に過ぎない。そのやり口の端々に異論を挟む余地はあれど、法を前に咎められる事はしていないのだから。


 故に、客席を眺めてはひたすらにほくそ笑んでいた。


 入場料に飲食、人気剣闘士の姿絵や伝記などの販売に、貴族達が口にしている嗜好品の料金と合わせたなら、既にオリヴァに提示した金額などは軽く超えた金額となっている。


 ここからさらにこの興行を主催したのがツェーザル商会であると話が広まったなら、それはもはやどれほどの利益を生み出すのか想像する事すら難しい程だ。


 そして……オリヴァが半ばで果てる様な事があれば、ヘレナなる乙女を奴隷として引き渡した際の手数料も懐に入るのだ。


 その為の策もまた、ツェーザルは用意している。


 オリヴァの相手する百人は、ツェーザルが有する剣闘士の中でも選りすぐりの者を集めた。特に、八十人目以降の者どもはウィーゼアルム全体の剣闘士の中でも一際猛者として知られている。


 ……この国における“剣闘”は、いわゆる“奴隷剣闘”ではない。


 あくまで戦いを求める有志が、ツェーザルの様な雇い主の下に身を寄せ、剣闘の舞台にて鎬を削る。そして剣闘士は消耗品ではなく、対人においては刃を潰した剣にて命を落とす寸前の所までその力を競い合う。


 つまるところ、保有する剣闘士の質や量はそのまま雇い主であるツェーザルの格を示す事となる。その格の高さで以て、ツェーザルは剣闘興行の主催側の立場を手にし、そして剣闘の都であるウィーゼアルムにおいて“有数”と謳われるほどの商会を築いたのだ。


 ……百という数字すら常人であるなら目が眩みそうなものであるというのに、その相手が強者であるとするなら万が一はないだろう。


 当然、さらなる秘策も用意しているツェーザルは、もはやオリヴァに対して憐憫の情すら抱く程に、自らの手腕に身を震わせていた。


 しかし男は、これから手にするであろう金と名声を前にしてオリヴァに対し手心を加えるつもりはなく、“英雄と謳われていても、所詮は人だろう”と、己の全てを以てオリヴァに対峙する事を決めていたのだ。




 ——剣闘の舞台に繋がる、入場前のやや暗い通路にて。


 三人の男女が、聞こえてくる人々の騒めきを耳にしながら、その時を待っていた。


 得物を手にし、乙女達の前に立つのは、今日の主役である黒髪の青年、“不滅”のオリヴァだ。


 彼はいかにも騒がしい民衆の声にやや辟易といった表情を隠さず、思った事を口にする。



「ツィツィとククルカは連れてこなくて正解だったな。こんなもの、絶対教育に悪いだろう」


「左様かと存じ上げます、主様。幸い、ツィツィ様も興味を示されませんでしたし、宿の方が面倒見の良いお人で助かりました」



 ぼやく様に漏らした青年の言葉に反応するのは、銀髪のポニーテールを揺らす乙女。


 青年の“自称”メイドであるシルヴィアは、熱気が満ち満ちるこの場においても、やはり涼しげな表情を崩す事は一切なく、淡々とオリヴァの背中を見守っていた。



「ツェーザル男爵より手配された武器について、確認は完了しておりますので、手元のものが破損した際にはお声かけを」



 シルヴィアが手のひらで指し示した先、通路の壁沿いにはずらりと今日用いる可能性のある武器が並んでおり、オリヴァの手に握られる瞬間まで眠っている。



「ありがとう。しかし本当に、これほどの数を向こうが用意してくれるとはな」


。それに、このくらいの費用は既に回収できているのではないでしょうか」


「そうみたいだな。……ここまでは、向こうの思惑に乗ってやるとしよう」


「……あの……」



 平然と言葉を交わす二人を前に、所在なさげに佇むのは、空色の髪と桃色の瞳を持つ……聖女たる自身を否定する乙女、ヘレナだ。


 いよいよこの日、ヘレナを助け出す為の剣闘試合が開かれ、その戦いに臨むオリヴァ、そしてそれを見守るシルヴィアとヘレナは闘技場を訪れていた。


 オリヴァの要望により一時的な外出となった彼女の首元には、その身分を示す細い黒鉄の首輪がつけられており、万が一の脱走を抑止する魔法的効果が付与されている。


 弱々しく声をかけてきたヘレナとその首元に光る首輪をみて、オリヴァは一瞬だけ目に力を込めるも、“己はヘレナを怖がらせる為にここに呼んだのではないはずだ”と、すぐさま優しく笑みを浮かべた。



「どうした、ヘレナ」


「……本当に、剣闘試合をされるのですか?」


「ああ、ヘレナを助ける為に必要な事だ。その姿を、見ていて欲しい」


「や、やっぱり! わたくしには……聖女ではないわたくしには、そんな、英雄であるオリヴァさまの手間をかける価値など、ない筈です……」



 その言葉を受けたオリヴァは、少しだけむすっとした表情を浮かべ、然りとて優しくヘレナへと歩みを寄せると、視線を合わせて口を開く。


 オリヴァが目にした桃色の瞳は、何処か不安そうで、かつて人々に優しさを振り撒いていた時の様な光は失われてしまっている。


 その光を、取り戻す為に己はここにいるのだ。オリヴァはヘレナを見て、決意をさらに強めていく。



「価値がない、なんて事はない。その証明を俺はこれからしてみせる。だからそんな悲しい事は、出来れば言わないでくれ」


「……ごめんなさい、わかりました。その御姿を、どうかわたくしにお見せください」


「ああ。しかと見届けてくれ、“不滅”のオリヴァが戦う姿を」



 桃色の瞳が揺れて、そしてヘレナが頷いたならば、オリヴァもまたそれに応える。


 そして次にシルヴィアに視線を向けると、見慣れ始めてしまったメイド服姿の彼女に声をかける。



「シルヴィア、ヘレナを頼む。長丁場……になるかもしれないから、適宜休んでくれ。俺も剣闘試合なんか出場した事がなかったから、いまいち勝手がわからないんだよ」


「畏まりました。……僭越ながら主様、ここは掴みが肝心かと。入場次第、天へと拳を突き上げ、観客を盛り上げるなどの演出パフォーマンスをされてみてはいかがでしょう」


「そういうものなのか?」


「そういうものです。そして観客が盛り上がりましたら、最後にこちらにいる私に片目を瞬かせウインクしてください」


「……それは、何の為だ?」


「私が興奮します」


「絶対にしないからな!!」


「どう……え……シルヴィアさま……どういう?」



 惚けた事をいう銀髪のメイドに、わあわあと抗議する黒髪の青年戦士、そして空色の髪を持つ乙女が二人へと交互に目を遣って慌てていると、観客の声とは異なる、始まりを告げる音が鳴り響いた。


 その音を耳にしたオリヴァは、三人がいる通路の出口……舞台への入り口に視線を向けた。



「……始まるみたいだな」


「ご武運を、主様」


「……お怪我なされませぬ様、お祈りしています。オリヴァさま」



 “こんな時でも、やっぱり祈るんだな”とオリヴァが言葉にはせず苦笑いをしていると、風魔法“流言拡散ウィスパーボイス”にて、喧しく興奮した男の声が聞こえてきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る