第2話 邪竜ゼジリアの呪い

 邪竜ゼジリア。山のような体格に、堅牢な砦を想起させる黒い鱗を纏う、魔法すらも自在に操り、その尾の一振りで群れるような人を鏖殺する、魔を統べるもの。を滅ぼさんと、人類に仇なす“魔物”を率い、世界中に絶望の火を齎した。


 その邪竜を見事討ち果たした者共の中でも、剣を以て前線に立ち、勇者を含む仲間の盾となった者こそが、オリヴァだった。


 戦いの最中、邪竜の振るう牙や爪を受け止め、振り撒く黒い炎を剣の一振りで掻き消して、オリヴァは勇者の道を切り開く。


 そうして勇者アルマが邪竜の額へと聖剣を突き立てた、その瞬間をオリヴァは瞳で捉え……そして、断末魔と共に撒き散らされた邪竜の呪詛と血から身を呈して勇者を守った。そうすることが己の運命だと理解していた彼は、降り注ぐ黒いそれを前に迷うことなく庇ってみせた。


 そうして、オリヴァが浴びた呪いこそ、“愛憎反転”。


 邪竜ゼジリアが最期に遺した、死すらも生ぬるい、生あるからこその苦しみを望む最悪の呪いだった。




 ——オリヴァは邪竜の事を思い出して苦々しい表情を浮かべると、カレーを一掬い口に運んだ。



「……邪竜の戦いでは、俺は俺の為すべき事を為した。結果はどうあれ、後悔はしてないさ」


「後悔がどうとかって話じゃないさね。おまえさんみたいな奴が、報われるのが正義ってもんだろ」


「俺は……共に戦ったあいつらが元気でいてくれたならそれでいい。かたわらに俺がいなくともな」


 

 そう言いながら、自身の左手に装着された、かつての仲間たちから送られたブレスレットを見て、オリヴァは悲しげな、寂しげな表情を浮かべる。




 ——呪いを一身に浴びた彼を待っていたのは、彼の愛すべき全ての人々からの憎悪と殺意だった。


 彼が勇者の一行として様々な戦いにて武勲を立てた事は、彼の故郷の国も含めた世界中が知るところであり、勇者に次ぐ、いや並ぶ程の尊敬をオリヴァという青年は集めていた。その全てが、文字通りに反転したのだ。


 そして、彼と共に戦った仲間たちですら、彼に殺意を向けた。


 煌めく金の髪をたなびかせ、時には背中を預けあった幼馴染の女勇者。


 色鮮やかな赤い髪を、魔法で放つ爆炎の光で照らす、勝気な魔法使い。


 麗らかな青い髪を持つ、まるで女神そのものであるかのように麗しい聖女。


 高貴な血筋を示す銀の髪と共に、騎士団を率いて一行の旅を助けてみせた女騎士。


 その全てが彼の敵へと変じ、最後には……彼の胸に白刃を突き立てた。


 オリヴァが死ななかったのは鍛えた身体の持つ生命力とほんの少しの運が齎した結果に過ぎない。それ程までに邪竜の呪いの影響は強かった。


 オリヴァは死を恐れてはいなかった。恐れるようでは、とうに邪竜との戦いの中で果てていた。しかし彼の故郷の人々に、代え難い同胞に己を殺めさせる事だけはあってはならぬと、常人であれば容易に死に及ぶ程の怪我を負ってなお身体を引き摺り、逃げ出すように流れて、そしてこのオルドー村に辿り着いた。


 この村には当然人は居れども、国の中枢からは離れている為に、オリヴァを見て救世の戦士であると、そうわかる者もいなかった。


 しかし、己に宿る呪いを自覚していたオリヴァは、本来であれば人懐っこい性格を封じ、近寄り難く気難しい男を演じる事で、今日までの日々をながらえていた。




 ——その中で老婆と出逢えたのは、数少ない奇跡だったに違いない。


 老婆がいつの間にか差し出してくれたカレーのおかわりを見て……いや、を見て、オリヴァはそう思った。



「ばあさんは本当に変わりない、みたいだな。これでも仲良くしてきたつもりだったんだが」


「キッシッシ、アタシぁもうこの身に万の呪いを宿しているんだ。いくら邪竜の呪いが凄まじかろうが、万を超える人の心には勝てぬだろうさ」


「流石は歴戦の呪術師だ。……それでも、この呪いは打ち祓えないんだよな」


「影響を受けなくとも、やはり強すぎる。対価には命がいるだろうね、小僧と同じ人間の。……それでもと言うなら」


「よしてくれ。俺は誰かを見捨ててまで、自分の苦しみから逃れようとは思わないよ」


「だろうさ。おまえさんが仮に、アタシがあんたにトドメを刺してやるよ」



 皮肉を言うように笑う老婆に、再び苦笑いをオリヴァは浮かべると、また匙を動かしカレー頬張る。その痛みにも似た辛さと熱が、己を慰めるようだとオリヴァは心のどこかで感じた。


 ふと、オリヴァの買い込んだ食糧を見て、老婆が“パンがあるなら合わせて食いな、キマるよ”、と彼に促してみせる。


 これほど舌を喜ばせる料理にさらなる段階があるのかと、一も二もなくオリヴァはパンを手に取ると毟り、カレーの茶色い知るにつけて口に放り込んだ。


 やはり、


 カレーには炭水化物が、生き別れた兄弟かというほどに合う。まるで土の色をした黄金だ、などとオリヴァが詩的な感想を脳裏に書き連ねている内に、かれの広げた手のひら程もあったパンは、みるみる内に胃の腑へと収まってしまった。そしてさらに残っていたカレーも、いつの間にか何処かへと消え去ってしまっている。


 そしてオリヴァは気付く。物足りないと。


 カレーには魔力染みた、食欲をさらにさらにと増進させる効果がある。ただでさえ大柄で、意識して抑えていなければ人の倍ほどの量の飯を食らうオリヴァは、カレーの魔力にすっかりやられてしまった。

 


「……なぁ、ばあさん、その……」


「わかってるから、そんな捨てられた子犬みたいな顔をするんじゃないよ、大の男が」


「……ありがとう……!」


「そんなに気に入ったなら……また作ってあげようかね。アタシがまだ生きていれば、だがね。キッシッシ」



 そして新たに盛られた皿がテーブルの上に置かれると、すぐさまオリヴァは新しいパンを取り出し、老婆への感謝の言葉も慌ただしく、カレーへと飛びついた。


 その日、結局鍋が空になるほど食を堪能したオリヴァを、老婆はひたすらに優しく見守っていた。

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