女勇者のパーティから追放された世界一の嫌われ者、咖哩を求めて旅に出る

のいめいじ

世界一の嫌われ者

第1話 出逢い、その名はカレー

 木と土でできた家屋が並び、酪農を主な生業とするオルドー村。この世界においては普遍的であり、牧歌的な空気を漂わせるこの村の通りを、一人の男が歩いていた。




 ——男の印象は、なんとも近寄り難い威圧感を放っている。


 黒く短い髪に、同じく黒い瞳。身長は180センチメートルを超え、衣服の下には鍛え抜かれた岩の様な筋肉を有している。シャツやズボンをもってしても厚みが生まれその存在感を隠しきれていない。


 歳の頃は20をようやく超えようかという程で、顔立ちこそ精悍さを携えてはいるが、何より目立つのは、その身体の至る所に刻み付けられた大小無数の傷跡。特に左の額から口元まで伸びる一筋のそれは、男が只者ではないという事を雄弁に語っていた。


 オルドー村に住まう人々は、彼の事を“無口だ”、“威圧感があって怖い”、“定期的に人を殺してそう”、“生肉が主食に違いない”などと口々に語り合い、村から少し離れたところにある森の、彼の住まいに近づこうとする人間は居なかった。


 男の名前は“オリヴァ”。かつて勇者と呼ばれる者と共に世界を東から西へ股にかけ、邪竜ゼジリアを討伐した戦士だ。


 オリヴァは今日、自前で用意できない食材や日用品の買い出しと共に、今となっては数少ない知己の顔を見る為に村を訪れていた。




 ——村の外れに密やかに佇む家へと、オリヴァは足を運ぶ。この村において唯一親しみを込めた言葉を交わす間柄の、友と呼べる人物を訪ねる為だ。


 ごん、ごん、と彼が鈍く家の戸を叩けば、ややあって、ゆっくりとその扉は開かれた。



「……おや、小僧じゃないか。来てくれたのかい?」



 現れたのは、この村で、いやこの国において珍しい装いの、褐色の肌をもつ年老いた女性だ。彼女は裾も袖も長い小豆色のワンピースに、さらに厚手のストールを巻いた装いをしている。


 老婆は顔馴染みの強面を見ると、からからと笑って見せて、オリヴァはその様子を見て、その日初めて柔らかな雰囲気を醸し出した。



「元気そうだな、ばあさん。様子を見に来たんだよ」


「様子をって、どうせ暇だったんだろう? おまえさんの世話になる程、アタシぁ耄碌したつもりはないよ」


「よく言う。家の壁の補修を手伝えと、俺のことを呼びつけて、こき使ったのはどこの誰だよ」


「さぁ、覚えがないねぇ。やっぱり、歳をとると物覚えが悪くなって困るもんさ」



 先程口にした事と真逆の事を言うじゃないか、などとオリヴァは苦笑しつつも、買い込んだ食糧のうち、艶々とした林檎などが収まる袋を彼女へと手渡す。


 老婆は唯一の理解者であった夫を亡くし、もう長い事この家に一人で住んでいた。オリヴァはそんな彼女と知り合い、定期的に気にかける様になった。


 オリヴァは幼い頃に住んでいた村で、良く年寄り連中に可愛がってもらっていたが故に、老婆の様な人を放っておきたくはないという、そういう優しさのある男でもあった。


 最近はどうだ、森でこんな物を見つけた、育てている作物の出来がどうだ、そんな話をしていると、オリヴァの鼻を嗅ぎ慣れない香りがくすぐった。



「不思議な匂いがするな。まさか“呪術”をしてるのか?」


「まさか! もう“呪術師”としての商いはしてない、小僧もわかってるだろう。この香りは、今日の夕食さ」



 食っていきなよ、と誘われ、オリヴァは家の中へと老婆の後を追って足を踏み入れる。


 不思議な香りだ。木や草花や土、あるいは戦場で嗅いだ汗や血、王都の婦女子が好む香油の香りなどとは全く違う。


 その香りは家に入り、キッチンが併設されたダイニングへ近づくにつれ、一層強く香る様になり、オリヴァの食欲を刺激した。


 促され食卓の席に着いたオリヴァの前に、老婆が深みのある木皿へよそって差し出したものに、彼は酷く驚いた。



「なん、だ……これは、まるで」



 オリヴァがその先の言葉をあわや飲み込めたのは、老婆への信頼と気遣いがあったからだろう。


 何しろ、皿に盛られていたのは、一見“泥”としか思えない、全体が茶色のみで構成された物だった。


 料理として考えるなら、クリームスープや葡萄酒赤ワイン煮込みの類いにも似ている。しかし、それらと違い目立って見える具材は浮かぶ肉片くらいのもの。加えて汁が泥のように何かが混ざったおりのように見える。しかしそれは、オリヴァの腹の虫を騒がせて止まない、あの不思議な香気を放っていた。


 邪竜を斃し、そこに至るまで数々の戦いに臨み、そしてそれらを斥けてきた歴戦の勇士。そのオリヴァがかつてないほど怯んでいる。


 彼が、目の前のこれは何なのだと訝しんでいるとと、老婆は匙を渡して“食ってみな、トぶよ”、と短く告げる。


 そう言われては怯んではいられぬ、そう、オリヴァはいよいよ匙をとり、皿のそれに手を伸ばした。


 匙で触れたなら、汁はやはり粘度のある液体じみた物であることが窺える。自炊こそすれども、料理を得手としているわけでもないオリヴァには、何が使われているのかはわからない。


 しかし、世界中において数少ない友人、といっても過言ではない老婆が差し出しているのだ。そうオリヴァは覚悟すると、恐る恐るといった体で、匙で掬ったそれを口に放り込んだ。


 瞬間、オリヴァの脳内に宇宙が広がる。



「……美味い」



 良くよく火を通した野菜によるあま味、肉の脂ならではの旨味が奥深い味わいを生み出している。


 とろり、とした汁は、舌の上にいつまでも残る様にその風味を楽しませてくれる。


 具材の中で唯一大ぶりにカットされている鶏肉が、噛むとぷりぷりと歯を押し返すようであり、その度にまた美味なる肉汁を溢れさせる。


 食感を損ねないよう細かく刻んだ人参や甘唐辛子ピーマンが入っているのは、老婆のレシピならではなのだという。



「いいぞ……すごく良い。なんて奥行きのある美味さなんだ」


「気に入ったかい? これは、アタシの故郷の料理でね。“カレー”って言うんだよ」


「“カレー”……聞いたことがないな。ばあさんの故郷って事は、あの“黄金の国”の?」


「ああそうさ。本当にたまたまスパイスが手に入ったから作ってみたんだが、おまえさんも運が良いね」



 老婆の話を気にかけようとしても、オリヴァは匙を口元へ運ぶ手を止める事はできないと悟る。


 やはり、あの“香り”だ。口から鼻へ通り抜けていくそれは、かつてないほど脳内の食を司る神経を刺激し、一口、二口と匙を動かす手を止めることは叶いそうにない。


 そして、オリヴァは自身の舌に、そして身体に異変を感じる。



「しかし、辛いな……! まるで火を浴びたかのように、身体が熱い……!」


「キッシッシ、小僧には刺激が強すぎたかね。赤唐辛子の粉をたんまりと入れてあるからねぇ」


「そういうものなのか……ばあさん、ぜひ作り方を教えてくれないか!」



 最初の印象は何処へやら、すっかり“カレー”を気に入ってしまったオリヴァが興奮を抑えられぬように問いかけると、老婆は苦笑いを浮かべながら首を横に振った。



「レシピを教えるのは構わないが……スパイスがこの辺じゃあ手に入らないのよ。アタシの故郷までとは言わないが、少なくとも海沿いの大きな街に行く必要がある」


「それくらいなら! ……いや、難しい、か」



 老婆の言葉に、オリヴァは大袈裟なほどに肩を落とした。彼には、大きな街に行くことができない理由があるのだ。


 そんなオリヴァの様子を見て、老婆は小さく息を吐きつつも、まるで本当の孫を見るかのように慈しみの眼差しを彼に向ける。



「こんなババアの料理でそこまで喜ぶたあね。あの“不滅”のオリヴァなら、よっぽどの美食を堪能したこともあるだろうに」


「都にだって、こんな料理はなかったさ! ……それに俺はもう、そういう場所には赴けない。この村にくるのだって、正直気が引けるくらいなんだよ」


「邪竜の呪い、“愛憎反転”のせいかい。……恐ろしいもんだよ、まったく」










ちょっとしたあとがき。(7/2 17:00追記)

この度は当物語を読んでくださりありがとうございます。

若輩者の稚拙な作品ではありますが、早速レビューの☆や応援の♡、ブックマークをいただく事が出来て非常に嬉しいです。小躍りしてしまいそう。

これからもオリヴァと彼の仲間達の波瀾万丈の物語を奮って書き連ねて参ります為、お暇ございましたらお付き合いいただければ幸いです。

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