第3話 呪われし記憶



「私は勇者様の力になれればと、多くの騎士達を率いて戦いましたが……のうのうと貴方が生きていては、戦いに散った彼らに申し訳が立ちません。……消えてくださいませんか?」



 不思議と身動きのとれぬオリヴァの前で、銀色の髪を流した乙女“シルヴィア”が、手にした細剣と共に言葉を吐き捨てる。


その目には、邪竜ゼジリアを前に共に戦った筈の、オリヴァへの親愛など微塵も浮かんでおらず、どこまでもどこまでも、蔑むような暗い色を浮かべている。


 また、別の女性が口を開いた。



「あぁ女神マーテル。どうしてこの世に、こんな穢らわしい存在が赦されているのでしょう。遍く人の子に福音をお与え下さるあなたさまが、どうして! ……いいえ、きっとあなたが悪いのでしょう?」



 青い髪を揺らす聖女“ヘレナ”は、信仰する女神への問いを天に捧げた後、自らの頬に手を添えて、信じられないものを見るかのような眼差しをオリヴァへと突き刺していく。


世界を創りたもうた女神が間違っている筈はないのだから、悪いのは彼である。そう言わんばかりの言葉と仕草だ。


 続くのは、オリヴァには馴染みのある筈の女性だ。



「なんで女ばっかりの仲間内に、あんたみたいなのが居るのか不思議でならなかったのよね。……もしかして、あたし達のカラダでも狙ってたとか? あぁ! 気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い!!」



 赤い髪を振り乱し、まだ成長途上の身体を抱きしめながら魔法使い“リタ”は叫ぶ。叫んで、喚いて、ひとしきり身を悶えさせた後、彼女が天に翳した手のひらの前に、何もかもを呑み込み尽くすような炎塊が生じさせる。標的は当然、オリヴァだ。


 最後に、剣を掲げた乙女が、いよいよを以て口を開く。



「キミがボクの旅に着いてきてくれた事、嬉しかった筈なのに。……まさか、ボクを欲望のままに汚したかったと? ……度し難い、許し難い、看過し難い。死んで……生まれてきたその罪を贖え」

 


 金の髪を風に遊ばせ、女勇者“アルマ”は聖剣キャストリオを掲げた。勇者の意志に呼応し敵を必ずや滅さんとする、かつて邪竜に向けたそれを、今は幼馴染である彼に向けている。



(やめろ、皆! これは邪竜のせいなんだ!)



 そうオリヴァが声を上げようと踠いても、やはり不思議とその音は空間を前に掻き消えてしまう。身動きも取れぬ彼の前には、明確な殺意を抱く四人の乙女達。先頭に立つアルマは、その掲げた剣を振り下ろして——



「……やめてくれ!!」



——そう叫びながら、オリヴァはベッドから跳ねるように、身を起こした。



「……夢。そうか、夢か。あれからもう、二年も経ってるんだ。……イヤなものを、見ちまったな……」



 寡黙であろうとするオリヴァが、堪え切れず言葉を零す。気付けば、額には汗をかき、寝間着とするシャツも濡れて色を変えている。

 振り下ろされた剣の行方を想像して、彼は自身の胸の縦に大きく伸びる傷痕に手を添えた。古傷がずきり、と痛むような錯覚がオリヴァを襲う。


 水を、と窓際に備えた飲み水を溜めているかめに、歩みを寄せれば、窓の外には満点の星空が広がっている。悪夢によって目を覚ましたものの、まだ朝を迎えるには程遠い時間だった。


 その星々と輝く月を眺めて、彼は物思いに耽る。



「あいつらは……元気でやっているだろうか」



 あいつら、とは、他でもない彼に刃を向けた彼女達に相違ない。自身に白刃を突き立てたとて、彼は愛すべき仲間達の安寧を一心に祈っていた。


とりわけ、まだ年若い乙女でありながら剣を持つ事を半ば強制された、幼馴染のアルマについては、離れていようとも気がかりでならなかったのだ。


 例え悪夢に魘されようとも、その顔を、その金の髪を思い出してしまったオリヴァは、幼馴染が健やかに生きていてくれる事を、濃紺の空に浮かぶ月に祈る。


 そうして、彼は夜空を眺めた後、何気なく腹をさする。不意に醒めてしまった意識が、少しばかりの空腹を訴えた。



「……“カレー”、食いたいなぁ……」



 かつての仲間達、今現在唯一会話を交わす老婆、時折家を訪れる人ならざる友人、育てている作物。それらを除いた時、オリヴァの頭を占有するのは数週間前に味わったあの奇跡の料理についてだった。


 カレーには中毒性がある。オリヴァはまだ知る由もないが、夜中に食べるそれは、もはや背徳の味だ。


 中毒性とは決して、人の身に害を成す薬物のそれではない。しかし、スパイスの独特の香り、野菜と肉とが織り成す豊かな味わい、炭水化物と合わさった時の無敵の存在感が脳髄に焼き付き、一度味わった者は再びカレーを求めてしまう。そういう、ある意味で健康的な中毒性を有していた。



「やっぱり貿易拠点の港街に……いや、流石に浅慮がすぎるか……外套を深く被っていけば! ……この時期だと、怪しいよなぁ……」



 カレーの為なら、たとえ殺意を向けられようとも、と一瞬オリヴァは考えてしまう。


 しかし、食欲の為に街に赴いて、それで彼に気付いた子どもに背後から刺されるなどと言うことがあれば、何の為に彼がここまで逃げてきたかわからない。そう思い直し、腹の虫を慰めるように自身の腹部をさすった。


 彼は自意識過剰のへきがあるわけでも、ましてや自惚れているわけでもない。しかし、勇者と共に戦ったという経歴と名の有する価値と邪竜の呪いについての自負と自覚があった。


 そして傍目には、悪夢を見た事以上に悲壮感を漂わせたまま、オリヴァは寝台へと戻っていった。

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