第27話 はじめまして、ツィツィ

 エニスの通りにて、シルヴィアの猛攻を凌いでいたオリヴァの外套マントを引いたのは……黒髪の青年にはとんと見覚えのない、どこか不思議な空気を漂わせる少女だった。


 ……オリヴァとシルヴィアは己らを見つめる存在には気付いていた。しかし、その気配には殺意や敵意といった、二人に対し害を為そうとする様子がなかった為に、気にする事はなく放置していた。……気付いていてなおオリヴァを誘惑するのであるから、シルヴィアの形振り構わなさが窺える。


 しかし、この機会を狙って接触をしてくるとは考えていなかったオリヴァは、その少女をまじまじと眺める事になった。




 ——不思議な少女、いや、見た目としては背丈がオリヴァの頭二つ分以上低い、120センチメートル半ば程しかない為、“幼女”といった方が正確でだろう。


 幼女を例えるなら、“白猫”を擬人化した様な雰囲気を纏っていた。


 肩の辺りまで伸びた癖のない白髪は、両耳の上の辺りだけ外向きに跳ねて、伏せた耳の様にも見える。


 眠たげに少しだけ降ろされた瞼の奥に、煌めくのは鮮やかな赤色の大きな瞳だ。


 可愛らしい彼女に、しかし何とも似合わないのが、酷く傷んだワンピースと、同じく古びれたフード付きのローブといった装いである。


 その装いからして、ただの街娘といったわけではなさそうな彼女は、オリヴァの外套を引いて、ただじっと彼の事をその眠たそうな目で見つめていた。




 年端もいかない幼女が見ているのだから、年長者らしく振る舞うべきだと居住まいを正したオリヴァは、しゃがみ込んで彼女に視線を合わせると、傷だらけの顔がせめて怖くない様にと柔らかく笑みを浮かべた。



「ああ、えぇとだな……どうしたんだ、お嬢さん。迷子だろうか」



 己の強面を承知しているオリヴァは、努めて和かに話しかけてみせるも、その眠たげな瞳は目立った反応を示さず、ただ彼の事を見つめている。


 子ども好きではあるが、決して子どもの扱いに慣れているわけではない彼は、妙な汗が頬を伝うのを感じながら、再び口を開いた。



「そう、だなぁ……俺の名前はオリヴァ。名前を教えてくれないか?」


「……あー……“ツィツィ”」


「ツィツィ、可愛い名前だな! ツィツィはどこから来たんだ?」



 少しの間はあったが、返事らしい返事が来た事で少し安心できたオリヴァは、ツィツィがこの世界においても陽が沈む方向……西の方角を指差した姿を見て、一つの事柄を頭に浮かべる。


 同音が続く名前は、かの“エイガルサ”を含めて、地図上では西の地域に住まう女性に多いものだ。今は遠く愛する夫の下へ旅立った老婆の名も、“ロロ”であったように。


 邪竜との決戦の舞台となったのも、同地域の北にある霊峰であり、もしかするとツィツィは邪竜や魔物に故郷を追われ流れてきたのかもしれない。そう考えたオリヴァは、一先ず彼女の話を聞いてみようと更に会話を続ける事を決めた。


 ……そのオリヴァに倣って、隣にしゃがみ込んだシルヴィアはツィツィの様子を観察し始める。


 ツィツィの着ている服は酷く傷んでおり、これが普段着であるならば彼女の育つ環境には難がある事が容易に窺える。


 かと言って、首元には“奴隷身分”である事を示す“首輪”は見受けられない。


 となると……“孤児”だろうかと、シルヴィアはその薄い表情の向こうで、苦々しく分析を行った。


 邪竜の脅威こそ無くなれど、未だ魔物が跋扈するこの世界においては、“孤児”や“奴隷”は決して珍しいと言えるわけではない。


 その辛い現実をやはり憎々しく思うシルヴィアは、オリヴァに核心をついてみるべきだと視線を送る。


 隣の乙女が何かを察したのならば、あとはどうしてか懐かれている自分の役目だろうと理解したオリヴァはいよいよ気になっていた話を切り出した。



「なぁ、ツィツィ。どうして俺を呼んだんだ?」


「……ばぁばが……あー……おしえてくれた」


「ばぁば? ツィツィのおばあさんって事か? ……うぅん、心当たりがないが……ツィツィ、その……家族は?」



 家族については、苦しい過去があるのかもしれない。しかしそのことを訊ねなければ、ツィツィをどの様に扱っていいものかわからない。その為にオリヴァは、彼に出来る限り優しい声色で以ってツィツィに訊ねた。


 そして白い髪の幼女はオリヴァのその問いかけに対し、赤い瞳を彼の視線と合わせると、何を言うでもなく青年の大きな身体に身を寄せる。それから、すんすんと鼻を鳴らすと、オリヴァの首元に手を回して抱きしめた。


 そして一言、こう言葉を溢したのだ。



「……ぱぱ。会いたかった」



 ぱぱ、とは。一瞬で疑問符が頭を埋め尽くしたオリヴァは、しかし慌てる事なく自身を抱きしめるツィツィを見遣る。


 幼女はすりすりとオリヴァに頬擦りして、そうするのが当然であると言わんばかりに身体を青年へと預けている。その様を見ていると、。オリヴァがそう、思い至った時。


 世界が止まった。


 ……錯覚ではある。しかし、オリヴァの隣から発せられた“圧”が周囲一帯を呑み込み、その気配に当てられたものは身動きが取れなくなったのだ。


 何かがあれば死ぬ。


 その濃厚な気配を前にして動けているのは、まだ幼く理解が及んでいないであろうツィツィのみ。


 瞬きすら躊躇う程、圧倒的な死の香りを放つ隣へとオリヴァはゆっくりと視線を向けて……そして、思わず息を呑んだ。


 隣にいる麗しき銀髪の乙女シルヴィア。


 彼女のその紫の瞳からは……魂すらも凍る様な闇がまろびだしていた。


 “主様は私に手を出すべきであるというのに、既に他の女性と子を成していたと”。そうシルヴィアは目だけでオリヴァへ語り、彼はその圧力を前に言葉を失う。


 しかし“不滅”は……否、不滅と謳われた英雄オリヴァも、この時ばかりは心底怯んだ。


 シルヴィアが己を傷つける事はきっとない。しかしこのまま、自身を不要であると彼女が判断してしまっては、あの夜の様にシルヴィアが自身を害そうとしてしまいかねない。


 一瞬でその事を理解したオリヴァは、“俺に子どもが居る筈がない、なぜなら”と、公衆の面前で“女を知らぬ童貞である”事を宣言させられる羽目になった。

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