第28話 これからを見据えて



「——よろしかったのですか、連れてきてしまって」



 エニスの酒場で教えられた宿の二つ寝台が並ぶツインの一室にて、窓際に備えられたテーブルを挟み、シルヴィアはオリヴァに問いかけた。


 彼女も流石に宿でメイド服は寝苦しいからと、寝間着へと着替えている。薄手でありながら艶やかで上質なネグリジェは、当然彼女の鞄から取り出された物であるが、野営をする事もある旅路に寝間着などを持ち込めるのは鞄に秘密があった。


 その姿と鞄を見るたび、オリヴァは少しだけ羨んでしまうが……それ以上にシルヴィアの寝間着姿に誘惑されてしまわない様、一先ず窓の外に視線を窓の外の夜空に向けていた。


 ……シルヴィアの視線の先には、片方のベッドを占領する様にすやすやと眠る白髪の幼女——ツィツィが居る。



「それが当人の希望、だしな。仕方ないと言うつもりはないが、他に選択肢も無さそうだったんだ」


「……本当に、血の繋がりは無いのですよね」


「俺があんなに大きな子どもがいる歳じゃないのは、シルヴィアも知っているだろ」


「英雄は色を好むと申しますから、私と出逢う前に何があったとしても不思議ではないかと」


「やめてくれ……」



 何故か己への不機嫌さを露わにしたシルヴィアの視線を避ける様にして、オリヴァもツィツィへと目を向ける。


 唐突に現れ、青年を“ぱぱ”と呼び慕う不思議な子ども。


 あの後、一時間以上かけてシルヴィアの誤解を解いたオリヴァは、そのツィツィが何処から来たのかを探るべく方々を訪ねていた。




 ——手続きを兼ねて宿の受付に、酒場まで戻ってヴァネッサに、市場まで足を運び店を開く各々に、最後にはエニス唯一の孤児院を訪ねて、ツィツィの事を聞いて回ったオリヴァ達であるが、その返事は“見たことがない”というものだった。


 幼いながらの白髪に赤い目、加えて可愛らしい顔立ちのツィツィは、例え襤褸を纏っていたとしても目立ちそうなものである。


 ヴァネッサなども“こんなに可愛い子をみたら、覚えていそーなもんだけどね”と言う程であるツィツィを、誰も知らないというのだから、オリヴァ達はいよいよ困る事になった。


 保護者にあたる存在がいない事も問題ではあるが、それを見つけるまでツィツィをどう扱うべきなのかこそが問題だったのだ。


 最後に立ち寄った孤児院の代表からは、預かる旨の提案がなされはしたが、ツィツィは断固としてこれを拒否。


 オリヴァは、己がこれから旅をする人間である事。あるいは、例え住まいであるオルドー村近くの森に連れ帰ったとしても、同年代の子どもも居らず寂しい暮らしになりかねない事などを優しく諭した。


 しかしツィツィは、むしろオリヴァの旅について行くのだと、しまいには腕も脚も青年の身体に回して抱きついて、“絶対に離れない”と言わんばかりの振る舞いをしてみせた。


 その後は目を合わせる事すら叶わず、かと言って引き剥がす事も躊躇ったオリヴァは、そのままツィツィを宿まで連れてくる事になったのだ。




 ——困惑させられた事には間違いない。しかし、愛らしくも親しんでくれるツィツィに対し、オリヴァは不思議な親近感を覚え始めていた。まるで何処で会った事があるかのようなその感覚に、彼が絆されてしまったというのは否定できないのだろう。


 寝返りを打って身体を丸めた白髪の子どもを見て、オリヴァは小さく笑みをこぼした。



「……子ども連れでの旅が過酷なのは俺もわかってるし、ツィツィにもよく話したつもりだ。しかし、この魔物が蔓延る世界で俺とシルヴィアの側ほど安全な場所はない、そう思わないか?」


「邪竜の討伐以降、目に見えて被害は減りつつあるものの、魔物の群れによる集落の壊滅危機は無くなったわけではありませんから。……一理ある、と言えます」


「それに、外の世界を見て回るのは楽しい。ある程度育った俺ですら、遠い異国の景色には胸を打たれたものだ。取り敢えずはツィツィにも、カレーを食わせてやりたいしな!」


「何処までも、お供致します。では北のウィーゼアルムに向かうと言う事でよろしいですか?」


「ああ。その先の事は、向こうで落ち着いてから考えよう」



 そうして二人は微笑みを交わして、今後の旅の目標を共有した。


 かつての旅路ではここにアルマ、リタ、ヘレナを加えた五人で度々行っていた話し合い。二人きりとは言え、再びそれを出来たならば、またあの喜びに満ちた旅を迎える事が出来るのではないかと、オリヴァは一層頬を綻ばせた。


 それから、まだ寝るには早い時間だからと、少しだけ言葉を重ねようかとオリヴァは口を開く。



「ウィーゼアルムでカレーを食べた後は、ジルバレーベ王国に行ってもいいかもな! シルヴィアの故郷なんだ、美味いものとか教えてくれよ」



 気心知れた仲間の故郷に興味があるという、何気ないつもりの一言。


 しかしその言葉を受けたシルヴィアは、珍しくオリヴァから目を逸らして、相変わらず冷静をである事を装いながらも、何処かばつの悪そうに返事を遅らせた。



「……それだけは、叶えて差し上げる事が難しいかもしれません」


「ん? どうしてなんだ?」


「私は職も国も、家族すらもかの地に置いて参りましたので」


「……ん?」



 オリヴァはシルヴィアの言葉に理解が及ばず、笑顔でありながらも、冷や汗がひたひたと背中を伝うのを感じる。


 シルヴィア曰く、彼の下へ駆けつける直前までシルバレーベ王国の近衛騎士団副団長として職に就いていた。


 これは大変な名誉であり、同時に辞職を決意したとてそう簡単に辞められるような軽いものではない。


 しかし一刻も早く愛する主の下へ向かいたかったシルヴィアは、直属の上司へ辞意を告げると共に、その責を貴族籍の剥奪をもって贖うと意思表明し、国を出たのだ。それも、かなり一方的に。


 それ程までにシルヴィアのオリヴァに対する愛は深いものであったのだが……それを聞かされた青年はいよいよ慌てる事になる。



「そ、それは……あー……父であるシュバルツシルト公爵の許可……というか、確認は取れている、のか?」


「いえ。足止めを受ける可能性を考慮し、団長以外には書き置いた手紙にて伝える事にしました」


「つまり……認められているかどうかはわからない、と言う事だな?」


「そうなります。……駄目、だったでしょうか」



 駄目か駄目じゃないかで言うのであれば、もはや問題外である。


 誉ある職を一方的に辞した事も悩みどころではあるが、末娘とはいえ公爵家の令嬢。さらに祖国では尊ばれる艶やかな銀髪の持ち主であり、さらにさらに邪竜討伐を果たした英雄の一人なのだ。


 国が彼女に定めている価値は、もはや一人の人間という枠組みを大きく超えて肥大化していた。……誰も彼女の出国を認めていないのであれば、彼女を連れ戻そうと言う意志が働く事は、容易に想像ができる程に。


 それらの事を改めて認識させられたオリヴァはもはや滝の様になった冷や汗がシャツを濡らしていく事を感じつつも、しかしここで、“そこまでして欲しいとは思ってない”や、“そんな必要はないだろう”という言葉だけは吐くわけにはいかないと、懸命に言葉を飲み込んだ。


 その言葉に対し、シルヴィアはこの世の終わりかの様な拒絶反応を示すからだ。


 故に、そっぽを向きながらもちらちらと視線を送る銀髪の乙女に対して、オリヴァは弱々しく別の言葉を吐く事にした。



「……頼むから、夜這い染みたあれだけはもうやめてくれ。シルヴィアに万が一があって、大国を敵に回す様な事はしたくない」


「むしろ喜ばれるのではないでしょうか。英雄オリヴァの“種”を持ち帰ったとあらば、王から賞詞を賜れるかもしれません。いっそ、ジルバレーべに根を下ろすのは如何ですか」


「如何もしないし、そんな事にはならない……よな?」



 呪いの影響で仲間からは追放され、人々に石を投げられ、故郷に帰る事すら許されなかったオリヴァであるが、これはすなわち、それ程までに人々はオリヴァに対し好感を抱いていたと言う事になる。


 そして呪いが解かれた今、昼間のヴァネッサの様に、オリヴァの事を好しと考え始めた人間がいる事は決して不思議ではないのだ。


 事実、オリヴァの目の前の麗しい乙女は、国を捨ててまで彼の下へと駆けつけてきたのだから。


 その事に気付いてしまったオリヴァは、すっと目を細めて、現実から遠い夜空へ逃げる様に視線を向けた。



「俺はただカレーが、食べたかっただけ、なんだがなぁ……」

 

「やはり、許されない事だったのでしょうか」


「あ、いや! そんなことはないぞ! ……シルヴィアに再び会えたのは、やっぱり嬉しいからな」


「……そう仰っていただけたなら、私も嬉しく思います」



 瞳から光を失い始めたシルヴィアに慌ててそんなつもりはないとオリヴァが告げると、彼女は小さく微笑んで、その言葉を宝物の様に受け取った。


 それから、“明日の昼までは離れる許可を”と用事がある旨を申し出た彼女にオリヴァは頷き、その日は床に就く事となる。


 ……そして、二人はどのベッドで寝るのかでまた一悶着があり、少しだけ夜を更かしてしまうのだった。

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