第29話 “エニス”から“ウィーゼアルム”へ(前編)

 その日は晴天にて、人や馬車の往来により踏み固められた土ばかりの街道が、遠く向こうの水平線まで延びる景色が一行の前には広がっていた。


 エニスにて旅の支度や必要物資の購入を済ませたオリヴァ達は、街の外で大きな欠伸をしていたククルカと合流して、“ウィーゼアルム”へ向かい北への道を歩んでいる。


 街の外でのんびりと過ごしていたククルカは、旅路となると率先して荷物を咥えて運んでくれる。その為オリヴァはエニスにて購入した長い帯皮ベルトをククルカに装備させ、そこに括り付ける様にして荷物を預けていた。


 当然その費用は、オリヴァの“へそくり”から捻出されている。二年と少し前、ほぼ全てを失った青年ではあるが、愛剣であり魔剣ヴォルクスガングとそこに括り付けていた皮袋に納められた、価値の高い硬貨と宝石だけは失わずに済んでいたのだ。


 この帯皮とエニス特産の塩抜きした白身魚の練り物は気高い森の女王もお気に召した様で、友からの贈り物として大袈裟なほど尻尾を振って喜んでいた。


 旅の支度にて装いが変わったのは、ククルカだけではない。



「ぱぱ、どう。かわいい?」


「あ、ああ、可愛いぞ、ツィツィ」



 旅に同行する事になったツィツィもぼろぼろだった服装から、新品の服装へとシルヴィアの審美眼によって姿を変えていた。


 とは言っても、本人はあまり重ね着する事を好まなかった為、物が良くなっただけで白いワンピースと旅に耐える厚手のフード付きローブという組み合わせに変わりはない。


 元々白髪赤眼の特徴ある容姿に、愛らしい顔立ちツィツィであれば、素朴なその服装でも子どもらしい魅力がたっぷりと表現されている。


 ツィツィ曰く“拾った”と話していた過去の服装に比べると、装いが綺麗になった事が相当に嬉しかったのか、手を繋いで歩くオリヴァに対し、この日何度も、何度も同じ事を訊ねていた。



「むふー。ツィツィも……あー……これで、すてきな女の子ってわけだね」


「……ああ。もしかしたら、どこかの国のお姫様と思われてしまうかもしれんな。攫われたら困るから、離れるんじゃないぞ」


「むふふー。わかってるよー」



 “ぱぱ”と慕うオリヴァの、何度も繰り返し聞かれたが故にややありきたりになってしまった褒め言葉に気を良くしたツィツィは、少し眠たげな目を輝かせて、オリヴァの言葉に大きく頷いて見せた。


 口許はにんまりと笑みを浮かべ、小さな鼻からは嬉しさが堪えきれなかった様に“むふー”と息を漏らしている。


 オリヴァが何故己を“ぱぱ”と呼ぶのかと訊ねた際には、“ぱぱはぱぱだから、ぱぱなんだよ”と、少し辿々しい口調で答えた不思議な白髪の幼女であるが、今はとにかく青年と一緒に居られる事が嬉しくてしょうがないといった様子だ。


 そう言われると無闇に距離を置くわけにもいかず、オリヴァは、可能な限りツィツィの望みを叶えてやらなければ、と考える。



「しかし……本当に良かったのか? 何度も言うが、そこそこの旅にはなるんだ。途中で嫌になっても、引き返したりは難しいぞ」


「あー……もちろん。……迷ってたツィツィに、教えてくれたんだ」


「教えてくれた? 誰が、何をだ?」


「ばぁばが、ぱぱといっしょに行きなさいって。そして、“幸せ”を……みたいな」



 オリヴァが問えば、やはりツィツィは口角を柔らかく上げて、微笑みと共に言葉を返す。



「ツィツィは、すごいから。わるいやつが出てきても、ぱぱを守ったりできるから。……あー……まかせていいから」



 そう、拙くも自信たっぷりに言葉を紡いだツィツィは、オリヴァを見上げながらも胸を張って、また鼻から“むふー”と息を漏らした。


 その愛らしくも、“邪竜を討ち果たした英雄を守る子ども”というチグハグな考え方に、オリヴァがも小さく笑いを溢してしまう。



「ははっ、頼りにしてるよ、ツィツィ。だが、歩き疲れたりしたら言うんだぞ。俺がおぶってやるからな」


「だいじょうぶ。その時は……」



 オリヴァの当然の心配を聞いたツィツィは手を離すと、迷う事なく一行の側を歩くククルカの側に歩みを寄せ、その白い毛をわしと掴んで、森の女王の背に乗っかってしまった。



「“くく”がのっけてくれるから。ツィツィとくくはもう、なかよしなので」



 背中に跨りながら、小さな身体の全てを使って器用にククルカを撫でるツィツィが、“ねー”などと言えば、ククルカは彼女を見上げてそれから、わふ、と小さく吠えた。


 森の女王の意外な姿と、恐れ知らずな幼女の行いに、やはりオリヴァは笑うしかない様で、“あまりククルカを困らせないでやってくれよ”と軽く嗜めるのみに納めた。



「しかし、ククルカの背に乗るとはな……俺も乗せてもらった事はないんだが」


「クーシーが他者を……特に、人間を背に乗せるなどは聞いた事がありません。これが“グリフォン”や“ペガサス”、一部の“ワイバーン”であるならば話は変わるのですが」



 ツィツィがククルカの背に乗る事で、空いたオリヴァの隣に、二人の会話の邪魔をしない様にと控えていたシルヴィアがすかさず並び、オリヴァの話に相槌を打つ。


 その目はちらちらとオリヴァの手を見ており……その心情を明かすのであれば、自身も手を繋いだり出来ないかと伺いつつ、しかし従者なのだからと葛藤している様だ。


 それには気付けないオリヴァは、並んできたシルヴィアの言葉に、旅の無聊を慰める良い話題ができたと、話を続ける。



「人類に友好的な魔獣……そういう種族は、“聖獣”とも呼ばれるんだったか。魔物と共に連れ立っている姿ばかりが目に浮かぶが、魔獣は必ずしも人類に害を為す訳ではないんだよな」


「左様でございます。魔物は人と見れば必ず襲いかかりますが、魔獣は警戒するに留め、縄張りなどの条件を侵さない限りは排そうとしない、そういう傾向が多いとされています」


「“魔物”と“魔獣”の違いか……ククルカと関わるまではあまり意識しなかったが、こうやって共に歩む事ができるのは良い事だと思える。しかし、皆がそうしないのには訳があるんだろう?」


「どのように友誼を結ぶのかは、基本的に秘匿されています故に。……“力を示す”事で従えるのではないか、と言う考え方が一般的でございます」



 “魔物”が一部の魔獣を従えるのは、魔物の中での上位存在である“怪物”共が、力を示す事で無理矢理従えているとも、あるいは、魔物に従う魔獣はそういう本能を持っているともされている。


 シルヴィアにそう説明されたオリヴァは、“

そんな事ククルカにした覚えはないんだが”と、首を傾げながら、幼女を背に乗せた友を見遣る。


 ククルカはツィツィを落とさない様にさりげなく気遣いつつ、青年の視線に気付くとまた、わふ、と小さく吠えて応えた。



「その力というのも、“単純な暴力”とも“身体に秘めるマナの量”とも、“魂の格”とも言われており、定かではないのですが。こう言った事は、リタ様が詳しかったですね」


「何はともあれ、俺とククルカは友である。その事実があれば、問題はないな。エニスでは控えていたが、ウィーゼアルムには魔獣を連れて行く事は可能なんだろう?」


「はい、ワイバーンで訪れる貴族も多い都ですから、外門にて従魔登録を行えば問題ないです。それにしても……少し、羨ましいですね」



 涼やかな性格ではあるものの、その実動物と触れ合う事が嫌いではないシルヴィアは、ククルカと戯れるオリヴァやその大きな背中に跨るツィツィを内心羨ましく思っていた。


 あんなに大きな柔らかく温かい動物に、自身も触れ合ってみたい。


 そんな乙女心を胸に、そーっと撫でてみようかと伸ばしたシルヴィアであるが、ククルカはそんな乙女を一瞥すると。



「あっ」



 その手を、ぱくり、と口に含んでしまった。

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