第34話 ツェーザル商会での駆け引き(前編)



「——ヘレナが聖女ではないと言っている? そんなわけはないだろう」



 ツェーザル商会の豪華な応接間で、努めて声を荒げない様、オリヴァは目の前の男に疑問を呈す。


 他者へ惜しみない博愛を示し、邪竜討伐という本来なら人の身に余る行いすら、“人々の為になるのならば”と受け入れたヘレナという乙女ほど、聖女という肩書きに相応しい者はいない筈だ。


 そう考えるオリヴァは、故にただその事を問いただすつもりで言葉を放ったのだが、ツェーザルは礼儀正しくも、飄々とした態度でその言葉を受け止めた。



「そんなわけがあるのですなぁ。空色の髪に桃色の瞳。かの聖女ヘレナ殿の容姿はあまりに有名だ。故に、道端で行き倒れていた彼女を拾った当商会の部下も訊ねたのです」


「それで、彼女はなんと」


「先ほど申し上げた通りです。……彼女も困っておったのではないですかな? かの聖女とからと、同じ様に扱われては身に余るというもの」



 変わらず、臆面もなく語るツェーザルに、オリヴァは思わず奥歯を噛み締める。


 ツェーザルの態度は間違いなく、あの馬車に乗っていた乙女が聖女ヘレナであると気付いている事を示している。しかし、“商材”としての価値を優先しているが為、とぼけているに過ぎないのだ。



「彼女に会わせてくれないか。もしかしたら俺の見間違いだったかもしれないと考えると、貴殿に無用な時間を使わせてしまう事になる」



 あえてオリヴァはツェーザルの言葉を呑み込んで、その調子に合わせる。彼女が何故、という疑問がなくなったわけではないが、一度言葉を交わせば如何様にも出来るのではないかと考えたのだ。


 しかしツェーザルは首を横に振って、“残念ですが”と、全くもって気持ちの篭っていない言葉を吐き出した。



「当商会の規則にて、購入の意思のない方に奴隷を会わせる事は出来ません。“実は遠い親類だったから引き渡せ”などと口裏を合わせられても困りますからな」


「そんなつもりはない」


「皆様そう仰られます。まあしかし、ご安心召されよ。彼ら一般奴隷は尊厳を保障されている為に、土や埃に塗れていても、などにはなっておりません。その点は当商会の誇りでしてな」



 傷物。その言葉の意味するところにオリヴァは一瞬殺気立つが、しかし荒事にて事態を解決するつもりはないのだと深呼吸して気を鎮める。



「……そういう事であれば、彼女の身請けをしよう。費用を教えて欲しい」


「おお。そう仰っていただけたのであれば話は早い」



 ツェーザルはオリヴァの言葉を聞いて、側に控えさせていた部下に声をかけると、部下は慌てたように書面を用意し、そしてツェーザルはそれを机に広げた。


 そこに記載された、手持ちでは到底足りそうにない金額の桁を見て、オリヴァは目を見開く。



「……俺はこういった事に詳しくはないんだが、いくらなんでも高値が過ぎるんじゃないのか」


「当然、あの器量ですから。側に置きたいと考える方々は少なくないでしょう。それに……この金額を出していただく事が必要なのです、不滅殿」



 まるで道理のわからぬ子どもに諭すかのような口振りで言葉を並べるツェーザルに対し、オリヴァは渋い表情を浮かべる。


 オリヴァはその言葉に対し、ウィーゼアルムに来てから理解している事があるのだ。



「奴隷を引き取るにあたっては、彼らを保護するに充分な身分が必要です。わかりやすく例えるなら、貴族の皆様ですね。しかし貴方にはその身分の証明がない。故に、この金額を躊躇いなく払っていただく度量を求めるのです」


「俺の名乗りでは身元の証明には足りないというわけ、だな」


「申し上げにくいのですが、左様でございます。……何せ近頃は、“実は己は、生きていた英雄オリヴァなのだ”と嘯く輩が多いと聞きます為」



 オリヴァは眉を顰め、目を細めて、改めて己の立場というものに考えを巡らせる。


 そう、多くの人々にとって英雄オリヴァという存在は、あの日勇者の白刃を胸に受け止めたその時に、“死んだもの”とされていたのだ。




 ——邪竜の呪い、“愛憎反転”を受けたオリヴァは、邪竜討伐以降、彼を見る憎悪の視線に晒された。


 ある日、仲間たちに当時西方に築かれた人類の拠点、ヴァサルティス砦近くの平原に呼び出された青年は彼を呪う言葉と共に、鈍く光る殺意を向けられ、そしてその白刃を胸に受け入れる事になった。


 それから姿を消した彼は“行方不明”として扱われ、彼がオルドー村で過ごしていた二年の間に死亡したものとして、故郷のアルケイディア王国を含む多くの土地で受け入れられてしまった。


 これもまた、邪竜の呪いの影響だ。


 “どうにも憎いオリヴァという人間はきっと、勇者の威光を前に己の醜さに怯え、逃げ出して、何処ぞでのたれ死んでいるに違いない”。そう人々は解釈し、扱う事を決めてしまったのだ。


 無論全ての人間がそうであるわけではない。情報の遅い地方の人々……例えばヴァネッサの様な人間は、オリヴァの生死などに意識を向けることは無かった。


 しかし殆どの人類がオリヴァは既に亡くなったものと思ったが故に、邪竜の呪いが祓われて以降嘆く事になったのだ。


 そしてそれは、オリヴァにも明確な形で不利益を齎している。


 例えばウィーゼアルムにククルカを連れ込む際、一定の身分を求められた。当然魔獣という並の人類を遥かに超える脅威を市街に入れるのだから、当然の措置といえる。


 これもまた“英雄オリヴァ”の証明が生きていたのであれば、きっと問題なかった事であろう。しかし今の彼が有するのは“オルドー村のオリヴァ”という身分しかない。その為、過去にシルヴィアに与えられたシルバレーベ王国の証明を用いる事になった。


 そして今もまた、オリヴァには身分を求められている。




 ——どこまでいっても、身分や生まれというものがついてまわる。その事に嫌気が差しつつも、どうにかせねばなるまいとオリヴァはさらに思考を展開して……そして一つ思い当たる。



「訪問に際して預けた剣があるだろう。あれは勇者より並び立つ者として授けられた魔剣ヴォルクスガングだ。あれこそ俺がオリヴァであることの証明にならないか」


「ほう、聖剣キャストリオと並ぶ魔剣でございますか! それが真実であるならばこれ以上ない証明でありましょうな。拝見しても?」



 オリヴァが頷いたのを受け、ツェーザルが再び部下に手配をさせた後、少しの間を置いて、部屋の扉が叩かれた。


 そこには鞘に収まった魔剣を手にした商会の女性と……銀髪のメイドが立っていた。


 “お連れの方をご案内しました”と女性が言葉にして、ツェーザルがそれに応えるとシルヴィアと共に粛々と入室して、机の上に剣を置いて女性は部屋を後にする。


 シルヴィアはオリヴァの様子を覗った後、彼の座る椅子の後ろに立ち、すぐさま机に預けられた魔剣と、隅に寄せられた書面を見て状況を把握した。



「お待たせして申し訳ございません、主様。ツィツィ様とククルカ様は手配した宿にて待機していただいております」


「助かった、シルヴィア。……それで、今は……」


「恐れながら、ヘレナ様の引き受けを決めた主様の、身元が証明できないなどと度し難い不遜な言葉を、ツェーザル男爵より述べられている状況とお見受けします」



 シルヴィアの言葉にツェーザルは苦笑いを浮かべながら、オリヴァの許可を得て魔剣を手に取る。


 鞘から抜き放たれた黒刃は濡れた様に光を返し、その切れ味の鋭さと宿す神秘を物語っている。


 一端の商人であれば、その真贋を見極める事など容易いだろう。しかし。



。これほど、精巧に」


「シルヴィア!!」



 再びとぼけようとしたツェーザルの言葉を遮る様にオリヴァは声を上げる。


 その声の色が意味するところは、“手は出さないでくれ”というものに他ならない。



「不甲斐ないのは俺なんだ、許してくれ」


「主様が謝られる事では。……至らぬ側仕えで申し訳ございません」



 今の一瞬で、シルヴィアはツェーザルを害そうとした。


 殺気も、何も放つこと無く、ただ主が下手に出ているから図に乗ったと判断した男を、消してみせようとしたのだ。


 しかし主がそれを望まないならと、銀髪のメイドはその鉾を納めた。


 その事に気付いたツェーザルは、いよいよ堪えられずごくりと喉を鳴らし、先程までとは違う愛想笑いを浮かべた。



「ざ、残念ながらこれでは、不滅殿の証明とは成りません、なぁ」


「……主様、僭越ながらシルヴィア・フォン・シュバルツシルトの名において契約を交わすのは如何でしょうか」


「また、シルヴィアに頼る事になるのは偲びないが……そうだな」



 シルヴィアの名があれば、不当と思える金銭を払わずに済む。そうであるなら、ここは矜持などは捨て置き、かつての仲間を助ける為になりふり構うべきではないのだ。そうオリヴァが決心した時、シルヴィアの名を聞いたツェーザルがハッとした表情を浮かべて口を開いた。


 その言葉は、現状のシルヴィアにとっては、痛む腹を突くものに相違なかったのだ。
















ちょっとしたあとがき。

これから数話曇らせパートが続くのですが、そんなの何日にも渡って投稿しても読んでくださる皆様も困ってしまうかと思います。

その為、頑張って本日は三、出来れば四話投稿したいと思いますので、お時間がございましたらお付き合いいただけましたら幸いです。

意地悪商人ツェーザルとの駆け引きが続きますが、意地悪した分ざまぁ……とまではいかなくてもちょっとしたお返しを話には盛り込んで参りますので、楽しんでいただけると嬉しいです。

また、近況ノートに日頃読んでくださる皆様にご報告と感謝を示す内容のものを用意致しました。

ご興味ございましたら、一読いただけると嬉しく思います。

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